歴史問題と心の癒し

 
最近の事だが、ホロコースト否認者として有名な英国の歴史家、デイビッド・アーヴィングの起こした裁判を扱った『The Denial』という映画を鑑賞した。これはアーヴィングが、自分自身を「反ユダヤ主義であり、歴史の事実を歪曲している嘘つき」と呼んだアメリカの学者デボラ・リップスタッドを名誉棄損で訴えた裁判をもとに作られた映画だが、非常に興味深いやり取りが、デボラと彼女の弁護士との間で行なわれる。

Irving v Penguin Books Ltd - Wikipedia

 

ユダヤ人に対する民族浄化を目的としたホロコーストがまぎれもない歴史の事実である事を法廷で証明する為に、デボラはホロコースト生存者を証人として招こうと提案する。これは「生存者の意見を全く聞かずに、ホロコーストの有無が法廷で議論される事は耐えられない」とする生存者の願いを受けての事だが、これをデボラの弁護士は一蹴する。
 
「生存者の証言は不正確なものだ。本来はドアが右側についていたものを、彼らはドアは左側についていたと証言する。否認者らは、こういった小さな矛盾をついて、生存者としての彼らの証言の信憑性を否定するのがパターンだ。彼らの通り抜けてきた苦難は想像を絶するが、彼らの苦難の記憶は否認者らの攻撃材料となるべきではない。法廷は彼らの魂の癒しの場ではないのだ。彼らの必要としているのはセラピー(カウンセリング)であって、法廷での争いではない。」
 
目撃者や被害者の記憶が不正確である事は、エリザベス・ロフタス博士も書かれている。

Creating False Memories

The fiction of memory: Elizabeth Loftus at TEDGlobal 2013 | TED Blog

 

「記憶というものは、多くの人々が考えるような、録画装置のように機能するものではない。何十年に渡る研究の結果が教えているのは、記憶は作られ、また再建されるのだ。それは、ウィキペディアのように、自分も他人も、行って変える事ができるのだ。」
 
韓国人元慰安婦たちの記憶の不正確さも、作られ、作り替えられる部分が多くあるからだろう。活動家らの期待に応えるかのように、元慰安婦たちがより過激な『体験談』を提供する場合もあるかもしれない。しかし記憶の塗り替えは、元慰安婦たちだけでなく、戦争の体験者やトラウマとなるような体験の生存者には頻繁に見られる傾向である。こうした生存者や被害者が訴えているのは自身の中の傷であり、悲惨な体験から来る痛みなのだ。
 

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そうした面を踏まえ、政治活動家や一部の学者らは、彼らの痛みに配慮した形で、彼らの証言の信憑性を疑うことなく「歴史の事実」として遺そうとする。こうした極端な「歴史の記憶」に対抗する為に、もう一方には、ホロコースト否認論者と同じように、小さな矛盾や記憶の不正確さをついて「すべてがでっち上げ」であり「悲惨なことは何も無かった」かのように反論を試みる政治活動家や一部学者が控えている。
 
しかしながら、生存者や被害者らの証言の矛盾をついて、彼らが意図的に嘘をついているかのように弁証する試みは、証言というものがどんなものだかを知る研究者らを説得する事が出来ないばかりか、大多数の人々を説得する事も出来ない。一般の人々からすれば、エスカレートする話の全てが信じられないにしても、何らかの悲惨な体験が被害者に起きた事は間違いないと思われ、やはり心情的に、実際に苦難を体験したと思われる側により同情の念を感じるたくなるのだろう。
 
ホロコースト生存者の証言が例え不正確にドアの位置を記憶していても、ホロコーストの有無そのものを争う議論に説得力が無いのと同様だからだ。
 
であるからこそ、歴史の真実を知る為には、政治的意図を持たない歴史家による、客観的な姿勢による研究が重要なのだ。歴史の真実への研究は、生存者による悲劇的な体験談よりも物的証拠を重視する。こうした研究は、『被害者』の証言を絶対視する事が無い代わりに、否定論者にとっても都合が悪い情報も容赦なく提供する。いずれの立場の心情の癒しの為にも学問は存在していないのだ。
 
プロパガンダに対抗する為には、被害者の心情に対して無慈悲と思えるほど客観的な姿勢を保ち、物的証拠によって事実関係を調査する歴史家の研究に頼るしかない。しかし同時に、こうした客観的研究は、プロパガンダに対抗する為に、真逆のプロパガンダを広めたい否認論の政治活動にとっても不都合である事を覚悟するべきだ。
 
私は「被害者」の"心の癒し"の為に、歴史研究が政治化される事には反対している。しかしながら、歴史研究が「否認論者」の"自分探しの旅"の為に政治化される事にも反対する。誠実な歴史家として欧米からは高く評価されている秦郁彦氏は、歴史論争の難しさに関して、「多くの人々が歴史問題を名誉の問題と混同している為、冷静な議論がなかなか出来ない」と嘆いておられた。秦氏の慰安婦問題への研究は高く評価されているが、同じ姿勢で研究をされた南京事件への研究に対する評価は、歴史問題を名誉問題として捉えるナショナリストの間では頗る低い。評価が低いだけではなく、秦氏の研究そのものが売国行為であるかのような怒りさえ口にする人々さえいる。それは秦氏の慰安婦に関する研究がナショナリストらの政治目的には都合が良いが、南京否定論者の政治目的にとっては都合が悪いからだろう。
 
しかしながら、歴史に『名誉』や『都合』は関係が無いのだ。「先人の名誉を守る為」「日本に着せられた汚名をはらす為」という姿勢では、都合の良い情報を選り好みした「ファンタジー史観」に浸るだけで、他者に対する説得力は皆無だ。冷静に考えれば、他者に対する説得力が皆無である限り、「日本の立場の弁護」が出来る可能性は当然皆無である。もし日本が、自分たちの極論の与えてきた影響を直視するような大人の国家であるならば、戦略の誤りには当然気付き、方向転換をしていただろう。しかし日本は、国家が国民の感情的必要を含め全ての責任を負う「Nanny State(ナニー国家)」と揶揄される通り、愚行の責任を政府に押し付け、個人が負うことはない国なのだ。
 
こうした幼稚な思い違いは、勿論日本人ナショナリストに限った事ではない。韓国人活動家にしても、本当に元慰安婦たちの「名誉回復」や「心の癒し」を求めるならば、80歳を過ぎた老婆を世界中引きずり回し、70年前の恨みや憎しみ、悲しみに浸る生活を強要するべきではないのだ。
 
高齢の元慰安婦たちの心の癒しを本当に求めるならば、日本軍に性サービスを行なっていた過去を恥としなくて良い社会環境を整えるべきだ。その際には、親日であった事が売国行為であるかのような反日社会は、改められる必要があるだろう。元慰安婦たち以上に和解のハードルを高くする韓国人活動家らは、自らの「慰安婦ビジネス」の為に問題を拗らせているという印象を与える。
 
また日本人ナショナリストらは、長い日本の歴史上の一時的政策や行動への批判を、自らの全人格への否定でもあるかのように受け取るべきではない。一時の政府の行動や政策に関する批判ならば、今日も普通に行なわれている筈だ。戦時中の日本政府の政策や軍事行動への批判する事は、村山元首相や鳩山元首相、また安倍現首相への批判が、日本の名誉を汚した事にはならないのと同様である。歴史の紐を解けば、一時の政策や行動に評価するべき点があるのと同時に、批判すべき点が見つかるのはどの国にとっても自然な事であり、日本もそれを免れない。
 
実質的な癒しや名誉回復が双方に起こらない理由は、実は双方のナショナリストらが歴史や政治問題を、自らのアイデンティティーの延長線上に見出している点に尽きるだろう。
 
 

 

ボリス・ネムツォフ故ロシア副首相の死を悼むロシア国民の無言の抵抗

ロシアの副首相ボリス・ネムツォフが、深夜12時近く、モスクワのボリショイ・モスクワレツキー橋を渡っている最中、背後からの銃撃による4弾発を頭や胴体に受けその場で即死したのは2年前の2015年2月27日の事である。プーチンによる恐怖政治や同僚への迫害を批判し、ウクライナ侵攻に反対する平和行進を提案したその数時間後、彼は帰らぬ人となってしまった。55歳の若さだった。モスクワでは何千人もの人々がロシア国旗を掲げて、花束やろうそく、写真を持ち寄り、ネムツォフの死を悼んで、無言の反抗を行なっている。日中ロシア当局は、花束などを「治安への妨害」として除去してしまったが、日が暮れると人々はまた花束等を持ち寄り、ネムツォフの死を悼み、プーチン政権への怒りとロシア民主化の儚い希望を表している。

https://www.nytimes.com/2015/03/03/opinion/the-brilliant-boris-nemtsov-a-reformer-who-never-backed-down.html?_r=0

Boris Nemtsov: Moscow state workers demolish memorial to slain Russian opposition leader | The Independent

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        故ネムツォフ副首相の死を悼むモスクワ市民による花束

ネムツォフが暗殺される直前の2月10日、彼は「彼がいつかプーチン大統領に暗殺されるのではないか」と87歳になる彼の母親が憂慮している事を書いている。彼の母親は同様に、プーチン大統領による、ミハイル・ホドルコフスキーやアレクセイ・ナヴァルニーの暗殺も心配していると書かれているから、こういった憂慮が杞憂ではない事がわかる。

Boris Nemtsov - Wikipedia

ロシア一のビジネスマンであり、プーチン対抗候補者とも言われていたミハイル・ホドルコフスキーは、ロシア政府によって賄賂や脱税への冤罪を着せられた後、逮捕、禁固9年の実刑判決を言い渡され、プーチンに対抗して選挙に立候補する資格を奪われている。欧州人権委員会は、逮捕、一連の裁判や収監中に、彼に対する重大な人権侵害があったとして、ホドルコフスキーに対してロシア政府に2万4500ユーロの支払いを命じているが、刑期を終え釈放後の現在ホドルコフスキーはスイスに亡命している。

Mikhail Khodorkovsky - Wikipedia

プーチン大統領が最も恐れる男と言われる、弁護士であり、民主化活動家であるアレクセイ・ナヴァルニーに至っては、ロシア政府による被害者のいない『窃盗』の言い掛かりで実弟が刑務所に送られ、自身も軟禁状態にある。勿論、ロシア政府によってありもしない不正が言い立てられ、プーチンに対抗して立候補する権利を剥奪されてしまった。プーチンは「ナヴァルニーなど取るに足らない男だ」と豪言しているのだが、だったら不正をでっち上げる事なく、ナヴァルニーの被選挙権を剥奪する必要など無い筈だ。

Alexei Navalny - Wikipedia

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        プーチンが最も恐れる男と呼ばれる民主運動家のアレクセイ・ナヴァルニィー

プーチンによる反対者やジャーナリストへの迫害、暗殺などを書く度に、「あれだけ支持率の高いプーチン大統領が反対派を殺害する訳がない」などという意見を耳にする。支持率の高さが圧制や反対者への迫害が無い証拠ならば、トルコの残虐な独裁者、エルドアン大統領も反対派を弾圧していないと言うのだろうか。トルコよりも、もっと日本人には身近な話題かもしれない、北朝鮮の金正恩などの支持率などは100%を超える場合もあるようだから、彼こそ全国民の支持を受ける偉大な指導者ということになる。
 
こういった高支持率を背景に、「弾圧などある筈がない」と主張する発言は、「投票しなければ罰せられる」という恐怖感が行き渡る国での選挙というものを、恐らく理解していないからだそろう。
 
ロシア政府による暗殺や殺害には、何種類かある。
 
ボリス・ネムツォフ故副首相の暗殺のように、プーチン大統領の政敵やジャーナリストなどの批判者が暗殺される場合。またもう一つは、プーチン政権初期に、クレムリン政権高官や治安部高官が突然謎の死を遂げ足り、暗殺される場合だ。初期に突然の不審死を遂げた高官で最も有名な事件は、KGBのアナトリー・トロフィモフ将軍の殺害だと言える。ただ最近になり、こういった暗殺事件が再発し、短期間に10件ほどの外交関係者、治安部高官の暗殺が続いている。
ボリス・ネムツォフ故副首相の暗殺に関しては、ネムツォフ氏を非常に憎んでいた、ラムザン・カディロフ、チェチェン共和国大統領の仕業である事が、ほぼ間違いないだろうと言われている。ネムツォフ故副首相の暗殺に関しては、プーチンは事前に知らされていなかった可能性すらあるが、プーチンもカディロフを反対する事は決して無い。カディロフは、誰でも自由に殺害、暗殺できる力を有し、実際に多くの人々を殺害している。

Ramzan Kadyrov - Wikipedia

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             故ボリス・ネムツォフ副首相の暗殺に抗議するモスクワ市民

カディロフとプーチンとの関係は、北朝鮮と中国の関係と似ている。カディロフは腐敗した強権専制君主であり、多くの殺害を侵してきている。但し彼は、自分への批判に対して非常に繊細であり、批判者に対しては脅迫し、あるいは暗殺の実行者を送っている。チェチェンからの迫害を逃れた亡命者によれば、カディロフは自分に批判的なチェチェン国民を誘拐し、拷問を加え、殺害し、ロシアにいる人々まで刑事免責を利用して暗殺していると証言されたが、この亡命者も殺されてしまった。権威のあるロシア治安局高官でさえカディロフを警戒しているが、プーチンがカディロフを必要とし、メダルを与え続けているため、誰も彼を排除する事が出来ない。
プーチンがカディロフの暴走を止める事は、中国が北朝鮮の暴走を止めるようなものだろう。第一に、プーチンは、人々を恐怖に陥れるカディロフの残忍さや暴政を利用している。プーチンを公けに批判しても、プーチン本人が脅迫めいたことを語る事はない。プーチンの代わりに、「このような人間は、厳しい教訓が教えられるべきだ」等の脅迫をするのが、カディロフだ。
 
実際に彼は、何人ものプーチン批判者を暗殺し他と言われている。自身の手を直接汚す必要が無い為、カディロフはプーチンにとって都合が良い。カディロフはチェチェンを恐怖でもって支配し、絶えずどこかで戦闘があるものの、比較的に安定した政権を保っている。カディロフは、プーチンが直接関連付けられたくないような、最も残酷で野蛮な方法を使って都合の悪い人々を拷問する為、プーチンはカディロフの与える恐怖の有効性を評価し、プーチンが彼を手放すことはない。勿論、時としてカディロフの過激さを不快に思う時もあるだろうが、カディロフの与える恐怖感こそが、プーチンの独裁を安定させているからだ。

 

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     アパートのエレベーターで射殺されたジャーナリスト、アンナ・ポリトコフスカヤ

私は、自由な立場にあるものとして、厳しくプーチンを批判する。命の危険を侵してこれらを主張してきたロシアのジャーナリストや民主活動家らに比べれば、私の批判など何でもないだろう。
 
ハッキリと述べるが、プーチンは大量殺人者である。プーチンが権力の座についたのは、そもそも300人に及ぶ自国民を意図的に犠牲にし、カティロフ以前のチェチェン共和国の犯行とした『アパートメント爆破事件』が背景にある。彼はチェチェンへの憎しみを煽り、第二次チェチェン戦争の指揮をとる事で、強い指導者を演出し、国民の支持を集めた。自身の権力欲の為には300人の自国民の犠牲も厭わない、KGB体質の典型である。
 
私はロシア人に反対をしているのではない。ロシア人がアメリカや西側、民主主義国家、あるいは人道への敵なのではない。プーチンがロシアの敵であり、アメリカや西側、民主義国家、また人道への敵なのだ。ロシア人の敵はプーチンである。
 
「どのようにロシアとの協調を図るべきか」といった議論が、西側諸国では語られる。しかしなぜ、プーチン・ロシアは「どのように西側との協調を図るか」考えなくて良いのだろう。平和共存や共存の道を探らなければならないのは、プーチン・ロシアの方だ。西側の責務は、プーチン・ロシアに対して人道への原則を示し、それを変えずに、プーチン後のロシアを迎える用意のある事を、示すより他はない。
 
 

韓国の『反日ナショナリズム』を理解する

以前も書いたが、ナショナリズムとは、自国を美化する神話を含んだ国家意識と共に、国民を別の集団に反対してまとめる主義を指す。ナショナリズムは、米国、日本、ロシア、韓国など、多くの国に存在し、その主張には、他国のナショナリストには共感し得ない、自国への美化や正当化が羅列されているが、特に「パトリオティズム(郷土愛)」と異なるのは、ナショナリズムには必ず『敵』と『被害意識』が存在している点だろう。
 
ロシアのナショナリズムは、欧米や西側を敵視する。実際、ロシア人ナショナリストらは、アメリカ人がロシアについて考える以上に、アメリカ人によっていかに自分たちが敵視されているかを信じ込み、アメリカ人への敵対心を「挑発への反発」として煽動する。彼らにとって『反西側主義』は、実際には攻撃されていないのにもかかわらず、『自衛』でもあるのだ。
 
アメリカのナショナリズムは、外国人を敵視してきた。但し最近の傾向では、イスラム教徒やメキシコ系だけでなく、同盟国、また国内のリベラル派も「アメリカにとっての直接的な脅威」と見做されている。自分たちが守ろうとしている生活様式への脅威が、リベラル派によってもたらされていると感じているからだろう。
 
日本のナショナリムズは、韓国、中国、またアメリカを敵視している。特に韓国に対する敵愾心は近年にない激しさを見せているが、日本のナショナリストらは一葉に、自国を守る気概を口にする。例え「韓国人は死ね!」等と書かれたプラカードを掲げる反韓国のデモ行進者であっても、自分たちこそ攻撃を受けているのだと信じているようだ。
 
韓国のナショナリズムは、反米、反日でまとめられていると言って良いだろう。特に日本に対しては、韓国人ナショナリストらは海外に在住していても活動を続けている。日本人ナショナリストと同様、活動を続ける人々の多くは戦後生まれの筈だが、それでも、たった今見てきたように「日帝」の犯した悪を語ってくれる。
 
こうしたナショナリストたちの主張が、いついかなる場合にも変わらないという悲観はしていない。論理的議論や、知見を広げることによって『被害妄想』から抜け出す場合もある。私は日本のナショナリズムを厳しく批判するが、勿論、韓国やアメリカ、ロシアのナショナリズムに対しても同様である。
 
但し、意外と知られていない韓国の反日ナショナリズムの背景について、以下に在韓アメリカ人学者、ロバート・ケリー教授の記事を訳してご紹介する。まず、韓国に蔓延しているかのように見られる「反日ナショナリズム」について、まず原因を知る姿勢も必要に思えるからだ。

Why South Korea Is So Obsessed with Japan | The National Interest Blog

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『北朝鮮の真のイデオロギーが社会主義ではなく、朝鮮民主主義人民共和国が外国勢力から民族を守っているといった、『民族』をもととした韓国ナショナリズムである事は、今では広く受け入れられている。国際化した経済、米軍基地、文化の西洋化、韓国に住む外国人の存在などの為に、北には『ヤンキーの植民地』と呼ばれる韓国は、北の『民族の純血』を強調した史観には太刀打ち出来ないのだ。
 

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こうした事も、もし韓国の政治アイデンティティ―が、人種を超えた真の民主主義であったならば、問題とはならなかっただろうが、政治アイデンティティーは違うのだ。『民族』への神話は、韓国内にも深く共鳴されているのだ。韓国の教育はそれを教え、国営メディアはそれを広め、業界はそれを強調し、私の教え子たちもそれを称賛した文体で書いていた。何年か前までは、国の忠誠の誓いは、民主主義国家『韓国』ではなく、『民族』に対してなされていたのだ。また韓国の民主主義は民族を基本としたナショナリズムに対抗できる強固な正当性を与えていないのだ。また一部の特権階級が政治的機会に恵まれるような機構は、路上デモの文化を作り出し、選挙結果が尊重されていない徴しとなっている。
 
もし韓国が民主主義を通して、か細く自身を正当化するとして、強力な民族ナショナリズムを背景に、ソウルは、『民族』と『5,000年の輝かしい歴史』の擁護者であるかを平壌と競う場合、接戦を迫られるのだ。しかし、北朝鮮による「虚偽の歴史を作り出す意欲」の為だけではなく、米軍の存在、市民の間に人種混合を推進する多文化主義の発達などによって、韓国にはこの戦いに勝ち目はない。北の純粋な民族主義ナショナリズムは、韓国でも何十年に渡り、絶えず共鳴されてきた。独裁者であった朴正熙故大統領は民族による正当性を強調し、最近の議会選挙では、10%の国民は公けに親北朝鮮の政党に投票をしているし、主な左翼政党は、北朝鮮よりも米軍基地の存在の方が韓国に対する脅威であるかのように、一貫して態度を曖昧にしてきた。
 
さてここに、韓国にとって「都合の良い他者」として本来ならば北朝鮮が占めるべき場所に、日本が登場する。北朝鮮、韓国に関係なく、朝鮮半島の全ての人々は日本による植民地支配(併合)が悪であった事には同意している。北朝鮮を非難する事は、すぐさま「誰がより優れた民族の後継者か」という問題を再熱させるが、日本を非難する事への道徳性は議論の余地が無い。本来ならば、これは必要のない議論なのだ。西ドイツは東ドイツに対して自らのアイデンティティーを明確にし、正当性の争いに勝つことが出来た。ところが北はマルクス主義を捨て、韓国も共鳴する民族の正当性に置き換えてしまったが、民主主義はこれに打ち勝つ力はないのだ。
 
であるから、日本を罵倒する事は、優れた『解決策』なのだろう。日本を非難する事で、韓国は民族の擁護者となり、あからさまな北へのシンパシーを煽動し兼ねない北との激しい民族ナショナリズムの競争から一歩退く事が出来る。また、財閥と呼ばれる凝り固まったエリートらを韓国政治から一掃する必要が生じる韓国の政治的正当性を、長期的に民族から民主主義へと変える為の議論を避ける事ができるのだ。とどのつまり、反日本主義は、韓国の多くの問題を管理するのに都合が良い戦略なのだ。しかも、アメリカが安全保障を担ってくれる限り、地政学的な代価を払わなくて済むのだ。
 
何の問題があるだろう。韓国が反北朝鮮になる事が出来ないならば、反日本で良いではないか。』
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また、以下はアンジェイ・コズロウスキー教授の書かれた日中韓のナショナリズムに関する洞察だ。
 
『中国の反日プロパガンダを反米の予行演習か何かであるような吹聴は、全く馬鹿げている。実際、中国は反米プロパガンダを反日プロパガンダよりずっと以前から行ってきているのだ。しかも中国による反米プロパガンダの主張は、日本人ナショナリストらの主張と同じなのだ。また中国と韓国には大きな違いがある。
 
無知な日本人ナショナリストの主張とは異なり、中国人の間では日本に対する敵愾心は殆ど無い。中国の田舎に出かけた事のある人間ならば、これに同意するだろう。実際に中国人とかかわった事のある人間ならば、一般の中国人の間に日本への憎悪がない事は明らかなのだ。第一彼らには日本に関する知識も無いし、政府の流すプロパガンダを読んだり聞いたりすることも無いのだ。中国では意図的に反日感情を煽るのは政府であり、共産党である。彼らは自分たちの都合に合わせてこうした感情を煽動しているのだ。
 
しかし韓国は逆である。韓国のナショナリズムは実在し、日本の植民地支配によって反日感情はナショナリズムの中心を占めている。日本人ナショナリストは認めようとしないが、韓国人ナショナリストらは反中国でもある。また韓国政府は、大抵反日ナショナリズムを煽動しようとせず、抑える方向で働くが、北朝鮮はこうした韓国政府による対日本への穏健な姿勢を、絶えず弱さの兆候として宣伝してきた。そうする事で、韓国人ナショナリストからの支持を得られるからだ。日本のナショナリストらとは違い、韓国のナショナリストらは左派(親北派)が多い。勿論韓国人ナショナリストの間には右派も存在するが、左派ナショナリストよりも声が小さい。
 
日本の場合は、これとは逆である。左派が「インターナショナリスト」であり、ナショナリストらは自分自身を「愛国者」と呼んだり、「保守派」と呼び、右派に属する。勿論、こうした定義は単純化されている。例えば、日本人ナショナリストらは、基本的に左翼と全く同じ、西側やアメリカなに対する『世界観』を持っている。それでも彼らは自分たちを右派であると信じているのだ。』
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韓国の反日ナショナリズムついて反感を持つにしても、反日ナショナリズムの台頭と北朝鮮からの圧力の狭間にある韓国政府の微妙な立場を理解する事は、日本外交の成否を決める上で欠かせない知識である。
 
こうした微妙な外交の現実は、実は日本だけが抱えているのではない。
 
約3,000人のアメリカ人が殺された911テロのハイジャッカーたちの多くは、エジプト人、またサウジアラビア人であり、両国はアメリカにとって敵対国ではない。911テロに関して、特に同盟国であるサウジアラビア政府の関与が疑われていたが、アメリカはサウジアラビアとの同盟関係、またテロリストやテロに関する情報提供の協力を重視し、サウジアラビア政府の責任を追及していない。サウジアラビア政府は、国内のイスラム教徒にとっては世俗主義と考えられており、サウジアラビア政府の責任が公式に問われ、政権が転覆でもされれば、更に反米イスラム主義国となる可能性が濃厚だからだ。道徳的、あるいは倫理的怒りや反発に任せてサウジアラビア政府に圧力をかけた場合の結果は、アメリカが意図しないものとなる事がわかり切っているからだ。
 
日本の場合も同様だ。(尤も、アメリカがサウジアラビア人に恨まれるよりも、韓国人に憎まれるべき要因が日本には遥かにあるのだが...) 誰が政権に立っていても、韓国政府への圧力は、更なる民間の反発を招くし、そうした民間の活動に圧力をかけようとすれば、更に反日的要素のある政権が誕生するだろう。
 
「元々は韓国政府が蒔いた反日感情の種が手に負えなくなっただけ」として理解すら拒めば、しっぺ返しは必ず日本にもやって来るだろう。

釜山総領事館前慰安婦像設置を巡る、安倍政権「在韓外交官召還」の大失敗

日本政府は慰安婦像を合意の精神への違反だと考える。しかし政府の管轄外にある市民団体の行動に対する日本によるハイレベルの応酬は、モグラ塚から山を作るようなものだ。極東地域におけるアメリカの同盟国同士の協力関係が重要である時に、日韓関係を危機に陥れるような、戦略的判断の誤りである。アメリカは日韓の緊張緩和と関係改善に向けて、日本の方向転換をさせなければならない。

日本は外交接触や一般の抗議などによる反対にとどめる事も出来たはずだ。しかし、それと引き換えに、大使を召還し、経済協議の延長を決め、この争論の輪郭を一気に高め、政府の協力姿勢と全く関係のない市民による行動を関連付けてしまっている。こういった行動は、戦時中の非難されるべき行動への誠意に対する疑いを搔き立て、日本への批判を力づけるだけだ。

韓国内の反日感情を考えるが、2015年のピュー・リサーチセンターの世論調査では、日本はマレーシアやフィリピン、ヴェトナムとオーストラリアから80%以上の好感度を得たが、韓国からの好感度は25%に過ぎなかった。ソウルに拠点を置くアサン研究所の調査では、韓国人は、バラク・オバマ、習近平とヴラジミール・プーチンを安倍晋三よりも遥か高く評価している。安倍への好感度は、2014年から2016年の調査では、北朝鮮の金正恩への好感度に近い。

今年の韓国では、慰安婦問題をめぐる日韓合意を取り付けた朴大統領の腐敗による弾劾をもって、日韓関係は更に微妙な位置にあると言える。対抗する大統領候補らは多いが、韓国の政治にとって、合意を取り付けた朴大統領の不人気さは、日本を更に安易なターゲットとし、大統領選の課題とさえなり得るのだ。新大統領の可能性のある文在寅候補は、すでに合意の再交渉を示唆している。」

Japan’s Terrible Mistake on ‘Comfort Women’ | The Diplomat

 

韓国・釜山の日本総領事館前に慰安婦像を設置した問題で、日本政府は長嶺駐韓国大使および森本在釜山総領事の一時帰国、釜山総領事館職員による、釜山関連行事への参加見合わせ、日韓通貨スワップ取り決めについての協議の中断、日韓ハイレベル経済協議の延期などを決めた。

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日本政府は、韓国側が釜山の日本総領事館前に慰安婦像を設置した事を非難し、「日韓合意での取り決めを韓国政府が着実に履行していくこと」を求めているようだが、日本政府は、韓国政府がどのように合意違反を行なったと考えているのだろう。

日韓合意は、日韓双方の政府が、双方の国民の間に広がる反発を抑えて、政府による互いの批判を国際舞台の場では控えるという合意である。当初から言われていた通り、これは、民間の言論や行動を制限するものではない。

実際に、「安倍政権が自民党右派及びその背後の右翼の無知、偏見を的確に批判し、日本政府の公式見解に反することを厳しく処断することができるかどうかが問われる」と投稿し、合意に反対する日本側右派の言論を規制しようとした民主党ブレーンとされる山口二郎法政大教授の意見については、『民間の言論をも「処断」するよう政府に求め、言論の自由への抑圧を主張したとも受け止められかねない発言だ』と、産経新聞は批判していた筈だ。言わずもがなだが、日本側にある合意への反対意見や言動が規制されるべきでないならば、韓国側の合意への反対意見や言動も規制されるべきではない。

【「慰安婦」日韓合意】政府に言論弾圧要請? 民主ブレーン山口教授「公式見解に反したら処断を」(1/2ページ) - 産経ニュース

確かに合意の一部には、日本大使館前の慰安婦像について、日本政府が、大使館の安寧・威厳の維持の観点から懸念していることを認知し、韓国政府としても、可能な対応方向について関連団体との協議を行うなどして、適切に解決されるよう努力する」という項目がある。一部の合意反対派が主張していた通り、民間の設置した慰安婦像撤去を約束するものではなく、政府として設置運動を進める団体と協議し、「適切に解決されるよう努力」する事が、韓国政府の負う責務であった。日本側の合意反対派の主張のよりどころは、この合意が、大使館前の慰安婦像撤去を約束したり、強制撤去させるものではない事にあった筈だ。彼らの不満の通り、日韓合意は慰安婦像撤去を約束していないのだから、撤去が不可能となったり、釜山の総領事館前に新たな慰安婦像が設置されたからと言って、韓国政府が合意に違反した事にはならない。

韓国政府としても、もし「撤去させる」などと約束すれば、民間の言動を政府が弾圧する事となる。実際に慰安婦像が撤去されるかどうかは民間団体の意思によるし、そこまで政府として約束が出来ないのは当然なのだ。日本政府がこれ以上の確約を韓国政府に求めれば、「政府は民間の言動を弾圧しないという民主主義国家の大原則を、日本政府が全く考慮していない」という悪印象を世界中に広める事になる。日本には、70年前の戦争で自国民や他国の人権を蹂躙したという印象があるが、今回、韓国政府による民間説得の努力を不十分とし、それ以上の介入を韓国政府に求める為に大使召還や経済協議の延期など行なえば、日本にまとわりつく威圧的なファシスト国家という誤ったイメージを、自らが演じる事となる。

ディプロマット誌は、「慰安婦問題での日本のひどい失敗」とする記事を掲載したが、この記事のあげる日本政府の過剰反応は、確かに非常識だと言える。一時的とは言え、大使召還はその他の外交手段のない事を意味する。非難の通り、大袈裟だし、馬鹿げた反応なのだ。そこまでするほどの挑発や侮辱、脅威を与えられたとは、日本人ナショナリスト以外の誰も思わないだろう。

朴政権の弾劾を迎えた上、トランプ米政権の発足で、朝鮮半島の外交、安全保障情勢が大きな転機を迎えることになりかねない現状を、全く視野に入れていないとしか考えられない。安倍政権のあまりにも無茶な期待は、残念ながら安倍外交が国際常識を持ち合わせていないことを疑わせる。

合意の通り、韓国政府は国際外交の場で、日本に対する批判を行なっていない。朴大統領が以前繰返していたような、外遊をする度に日本バッシングする姿勢からは方向転換をしたと言えるだろう。在韓大使館、釜山総領事館に向けた慰安婦像は、日本人に不快感を与えるかもしれないが、現在の日本が、市民団体の言動を弾圧するような国家だと見られる事に比較すれば、そうした不快感は、外交関係を絶ってまで我慢できないものではない。

私は、米国の教科書記述に対しても安易に日本政府の介入を求めた新聞の主張を思い出すが、政府による民間の言動、しかも外国における民間の言動に圧力をかけることを良しとするような風潮こそ、日本に対する悪い誤解を増長させるキッカケとなると指摘する。

勿論、慰安婦の像設置などは、韓国の運動家による自己満足の為の日本叩き以外の何物でもない。このようなものの設置で真の平和や女性の人権への向上などが実現できるほど、世界は単純な場ではない。こうした像が設置されれば設置されるだけ、韓国の市民団体のヒステリックな反日運動が、安全保障を無視した非常識として、国際社会からは侮蔑の対象となる筈だったのだ。実際、2015年末の日韓合意は、日本政府による外交勝利と考えられていた。

しかし日本政府は、外交官召還というあまりにも大袈裟で極端な対応に出た為に、韓国の市民団体が得る筈だった侮蔑を肩代わりしてしまったようだ。極端で愚かな市民団体がある事と、極端で愚かな政府がある事では、受ける侮蔑の種類が違う。また現在の日本に対する悪い誤解は、70年以上前の日本への悪い誤解よりも、現在生きる日本人の安全保障にとって、はるかに上回る悪影響を及ぼす。

慰安婦に関する記事を書かれたアンジェイ・コズロウスキー博士に言わせても同様だが、日本政府は、韓国政府が直接的に行なうこと以外を無視していれば良かったのだ。釜山総領事館前の新たな慰安婦像設置に関しては、「日本政府は、韓国市民団体の言動を束縛したり、弾圧するつもりは無い。韓国の人々の表現の自由は保証されている」とでも声明を発表していれば、さぞ国際的な名誉が与えられていたことだろう。

そうしなかったところに、安倍内閣の外交的、戦略的大失敗がある。安倍内閣が安全保障や同盟関係を軽視するナショナリスト内閣であり、他国の民間人による言動すら弾圧しようとする威圧的な政府だという疑惑があったとすれば、そうした疑惑は、今回の大使召還で、ただの疑惑ではなかったとお墨付きが与えられた筈だ。

反対者への『国籍による人種差別』---塚本幼稚園問題

学校法人「森友学園」が運営し、教育勅語の唱和や「愛国心と誇りを育て」る教育を幼稚園児に施すことで知られる『塚本幼稚園』が、保護者に宛てて「邪(よこしま)な考えを持った(名前は日本人なのですが)在日韓国人である・支那人であるそれらを先導する人、それに金魚のフンのようについてくる人は近づいてきます。」と書かれた文書を配布していた事が、日本からの話題としてアメリカにも伝わっている。勿論、日本に対する良い印象を与えるニュースではない。

Nationalist Osaka preschool draws heat for distributing slurs against Koreans and Chinese | The Japan Times

上記の文章だけでは理解しにくいのだが、要は、インターネットのブログによって塚本幼稚園に対する批判が起こった際、それを「韓国・中華人民共和国人等の元不良保護者」の仕業であるとしているらしい。

塚本幼稚園、保護者にヘイト文書 「民族差別の疑い」大阪府が調査 

 

また幼稚園の公式サイトで、塚本幼稚園を批判するブログを開設した保護者に対して「専門機関による調査の結果、投稿者は、巧妙に潜り込んだ K国・C国人等の元不良保護者であることがわかりました。(元々の表現は、韓国・中国人等の元不良保護者)」としているが、『専門機関』とは何の事だろう。

http://www.tukamotoyouchien.ed.jp/wp-content/themes/tukamoto/pdf/attention2.pdf

 
園長と学校法人の理事長を兼ねる籠池泰典氏は、塚本幼稚園の公式サイトの『園長の部屋』でも「この国がなければ世界はまさにルールに基づいて動く。全てが民主的にルールに乗っ取って動く世界に駄々をこねて世界平和を乱す元凶は中華人民共和国(支那)なのだ。...かの国がない方が世界平和につながるので、4つ位の国に分裂させるか、なくしてしまうことだ。」と書いている。

平成25年7月23日 教育も外交も同じこと|平成25年|園長の部屋|塚本幼稚園幼児教育学園

 

中国の軍事拡張主義は、確かに警戒されるべきだ。しかしながら、よほど中国以外の専制独裁国等の動向に無頓着でなければ、「この国がなければ世界はまさにルールに基づいて動く」「世界に駄々をこねて世界平和を乱す元凶は中華人民共和国(支那)なのだ」とは言えないだろう。たとえ中国が「4つ位の国に分裂」されたり、消滅してしまったとしても、「世界平和」は訪れない。

 

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籠池泰典園長の余りにも単純な論理は、軍事、及び外交戦略、経済関係を視野に入れた複雑な世界情勢への深い知識を基にした主張とは到底思えない。また、書かれてある文面から察しても、教育者である事すら疑わしく思われる程の文章力である。
 
籠池泰典氏は、ブログ投稿者の身元は「日本人名である」と認めつつ、「巧妙に潜り込んだK国・C国人等の元不良保護者であることがわかりました。(元々の表現は、韓国・中国人等の元不良保護者)」と断言する。籠池氏の言う通り、幼稚園に批判的なブログの投稿者の身元調査までしてくれる専門機関が果たしてあったとして、こうした表現が差別でないとするからには、投稿者の主張や意見と国籍が、どのように関係しているのかを説明する必要がある。投稿者の主張や意見が、その国籍を原因としたものでなければ、言葉を変えれば、韓国籍、中国籍であるからこそ、このような主張や意見があるのだと論理的に説明できなければ、「表現の自由」に対して「国籍による差別」をもって反論をしているだけと言える。
 
ところが、信条や信念、主張、政治趣向と国籍や民族性は殆ど関係がない。「こう考えるのは、在日韓国人だから。中国人だから」というような無知は、「在日韓国人や中国人はこう考えるに違いない」という偏見の裏返しであり、籠池氏がこれにこだわる限り、彼は教育者に相応しい思慮や知識を欠如していると言える。
 
籠池氏が人種差別主義者かという判断は、多くの人が疑いを持つだろうが、彼の信条に共感するナショナリストには「ただ事実を述べているに過ぎない」と映るだろう。
 
自分で意識しているか、いないかによらず、誰でも、他人種や他国籍への『偏見』を持つ事が多かれ少なかれ、あるだろう。こうした無知を基にした偏見を、実際に他人種や他国籍人と関わることよって解消する人もいるが、直接の関わりから得た体験こそ「特別例」と捉え、「偏見」を揺るがない「事実」であるかのように固執する人もいる。後者のような人々にその偏見や差別を指摘しても「これは差別なのではなく、事実を述べているに過ぎないのです」と悪びることがない。
 
実際、KKKのメンバーや白人至上主義者でさえ「自分は人種差別主義者ではない」と主張し、「ただ異人種間の分離主義を主張しているに過ぎない」と主張する。誰が言いだしたかは知らないが、日本人ナショナリストの間では「韓国人を見たら泥棒と思え」等のレトリックが「事実を反映しただけで、人種差別ではない」と開き直られている。
 
論理や事実の客観的把握ではなく、感情的な憂さ晴らしや他者への憎悪による一体感を得る為の言論は、一時の感情的高揚をもたらすだけで、健全な国家や社会の建設の為に何らかの良い影響を与えることはない。却って、論理的な思考を妨げ、感覚を頼みとした排他的極論を生むだけだろう。
 
排他的ナショナリズムは、自らが敵とするグループへの憎しみや偏見によって一致し、集合体の精神性に自分自身のアイデンティティーを重ね合わせているだけだ。
 
籠池氏の文書は、本人が意図したか否かには関係なく、明らかに差別的だし、思慮の浅い、低俗な理屈の羅列ばかりである。勿論、中国の軍事拡張主義、人治主義といった、氏の懸念の全てが的外れなのではない。しかしながら、懸念への現実的対処は、暴論や極論では決してできない事を、大人であるならば認識する必要がある。
 
私は、海外からこうした日本の様子を眺めているが、日本が真に尊敬に値する国になる為には、こうした排他的極論への批判が『保守派』の間から出るか否かによると考えている。その先行きが明るいとは言えない。

ガンジーから、「すべての日本人への手紙」

人間には、自分の聞きたい話だけを聞き、自分にとって都合の悪い話は全く無視するか、全く別の解釈を加える傾向があるのかもしれない。あるいは、自分の好むストーリーを語ってくれる語り部だけを集め、好みの証言集だけを聞き、満足する傾向もあるのかもしれない。
 
「日本がアジアを開放し、感謝されている」という『歴史観』は、果たして正しいものだろうか。「日本が欧米の植民地支配、帝国主義からアジアを開放した」という歴史観は、中国や韓国以外のアジア諸国にならば、一般的に認められている歴史観なのだろうか。或いは、「東京裁判」さえなければ、歪められなかった筈の歴史の事実なのだろうか。例えば、イギリスによるインド植民地支配が「搾取一方の悪」であり、逆に日本のアジア進出は歓迎されていたのだろうか。
 
1942年にインドのマハトマ・ガンジーが「すべての日本の人々へ」として記した手紙を、以下に訳して紹介する。

To Every Japanese : Selected Letters from Selected Works of Mahatma Gandhi

 
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まず初めに言っておきたいのです。あなた方に対する悪意は無いのですが、私はあなた方の中国への攻撃には、非常に嫌悪感を持っています。あなた方はその高尚な高さから、帝国の野望に堕ちてしまいました。あなた方はその野望に気付く事なく、アジアの手足切断の製作者となり、知らずしてか、「世界の連合」や「同胞化」を防ぎ、これら(「世界の連合」や「同胞化」)無しにはあり得ない「人道主義への望み」を絶ってしまっているのです。
 
50年以上前、ロンドンにて勉強していた18歳の少年の時以来、私はサー・エドウィン・アーノルドの書籍を通して、あなた方の国の素晴らしい資質について学びました。南アフリカ滞在中、あなた方がロシア軍に対して勝利をしたと聞いた時には、興奮をしたものです。1915年、南アフリカからインドに帰国した後、我々のアシュラムのメンバーとしてしばし過ごした日本人仏僧たちと、私は親しくなりました。そのうちの一人は、セヴァグラムのアシュラムでの貴重なメンバーとなり、彼の義務への遂行、高潔な態度、毎日の礼拝への尽きる事の無い献身、親しみやすさ、どのような状況下でも変わらない落ち着き、内なる平安の肯定的な証拠である自然な微笑みなどによって、我々全員からの尊敬を得ていました。
 
しかしながら、あなた方による大英帝国への宣戦布告をもって、彼は我々から引き離されてしまい、我々は彼という同労者の不在を悲しく感じています。我々を毎朝起こしてくれた彼の日ごとの祈り、彼の小さな銅鑼の思い出だけが残されています。この喜ばしい想い出を背景に、「挑発を受けずして行なった」と考えられる中国への攻撃と、またもし報道を信じるならば、あなた方が優れて古い土地にもたらした憐みの無い荒廃を、私は深く嘆き悲しんでいるのです。
 
あなた方が世界の大国と対等な位置につこうとした野心は、貴いものだったかもしれません。しかしながら、あなた方の中国侵略と枢軸国との同盟は、到底是認できない野心の行き過ぎです。
 
あなた方が受け入れ、自分のものとした古典的な文学を持つ偉大な古代の人々は、実はあなた方の隣国人であり、私はあなた方がそうした事に誇りに感じるだろうと期待していました。お互いの歴史、伝統や文化への理解は、今日あなた方を敵ではなく、友として結びつけるべきだったのです。
 
もし私が自由人であったならば、もし私があなた方の国に行けるならば、弱っているにしても、自分の健康や、命さえ危険に陥れたとしても、あなた方の国に行き、あなた方が中国、世界、ひいては自分自身に対して行なっている悪行を止めるよう、お願いするでしょう。

 

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けれど私にはそのような自由はありません。また私たちは、日本主義や、ナチスズムと同様に嫌っている帝国主義に抵抗する特殊な立場にあります。私たちの抵抗は、英国の人々に損害を与える意味はありません。私たちは彼らを改心させようとしているのです。私たちのものは、英国支配への非暴力の抵抗です。我々の党は、外国の支配者との間に、真剣でありつつ、しかも親しさのある論争を展開しています。しかしながら、この運動に、外国勢力の支援は必要ないのです。日本によるインド攻撃を間近に控えたこの時期を、(インド独立によって)連合国側に恥をかかせる良い機会と考えているならば、あなた方は明らかに誤解をしているのです。もし我々が英国の困難を自分たちの好機だとしたかったのなら、我々は戦争が始まった3年前に、そうしていたでしょう。
 
英国勢力撤退を要求する我々の運動は、誤解されるべきではありません。実際、報道されているようなインド独立に対するあなた方の懸念が真実であるならば、英国による独立承認は、あなた方にインド攻撃の口実を与える事は無い筈です。
 
しかもあなた方の主張とあなた方の容赦ない中国への攻撃に、整合性はありません。あなた方が「インドから歓迎でもって迎え入れられる」などという悲しい幻想に惑わされ、過ちを犯さないようにお願いしたいのです。英国撤退運動の手段と方法は、「英国帝国主義」と呼ばれようが、「ドイツ・ナチズム」であろうが、或いはあなた方であろうが、インドを全ての軍国主義、帝国主義の野望から自由にすることによって、インドを整えることにあるのです。
 
もしそうでなければ、非暴力が軍国主義精神とその野望への唯一の媒体とする信念に逆らって、我々は世界の軍国主義化への卑しい観衆となっていたでしょう。個人的に私は、インドの独立を宣言することなしに、連合国軍側は、ただの暴力を宗教的な高潔さで呼ぶ枢軸国軍側を打ちのめす事は出来ないのではないかと危惧しています。あなた方がするような、容赦なく、効能的な戦闘によらなければ、連合国側はあなたとあなたの同労者を打ち負かすことは出来ません。しかし、もし彼らがあなた方のやり方を真似るならば、彼らが世界を民主主義と個人の自由の為に救うという宣言は、無価値なものとなってしまいます。
 
私は、彼らがあなた方の無慈悲を真似せず、却ってインドの自由を宣言し、スルタンによるインドの強制された協力を、自由を得たインドの自発的な協力に変える事によってのみ、彼らは力を得る事が出来ると考えているのです。
 
英国と連合国側に対して、我々は彼らが主張し、彼らの益でもある「正義」の名によって、彼らに願いました。我々は、あなた方には、「人道」の名によってお願いをします。私は、あなた方が無慈悲な戦闘をする権利は誰にも無いと理解していない事実に驚いています。もし連合国によるのでなければ、誰かがあなた方のやり方を更に改良し、あなた方の武器によって必ずあなた方を打ち負かすでしょう。もしあなた方がこの戦いに勝ったとしても、誇りに思えるような偉業を子孫に残す事などは無いのです。どのようにうまく語られたとしても、残酷な仕打ちの物語に誇りなど感じられる筈は無いのです。
 
もしあなた方が勝利したとしても、それはあなた方が正しかった事にはなりません。あなた方の破壊力が大きかったことを意味するだけです。勿論、公正と正義の行ないとして、その他征服されているアジア、アフリカの人々への同じような自由の約束として、まずインドを自由にしない限り、これは連合軍にも当てはまります
 
我々の英国への要請は、連合軍側の兵をインド内に保留させる、自由インドの意思と結合しています。我々の要請は決して連合軍の目的に危害を加えるものではない事を証明し、また英国が空にした国に入って来ても構わないと、あなた方に勘違いさせない事を目的としています。
 
あなた方がそのような考えを好み、実行しようとするならば、我々の持ち得る全ての力を奮い立たせて、あなた方に抵抗するでしょう。私は、我々の政府が、あなた方とあなた方の同労者が正しい方向に向かい、また、あなた方が道徳的崩壊、また人間をただのロボットに軽減させる誤った道のりから退くよう影響を与える希望をもって、この要請をしています。あなた方が私の要請に応えてくれる希望は、英国が私の要請に応えてくれる希望よりも、遥かに少ないものです。
 
私は、英国人が正義への認識を欠いていないと知っており、彼らも私を知っています。私はあなた方を判断するほど熟知してはいません。しかし私が読んだ全ては、あなた方は嘆願を聞かず、剣だけを聞くと語っています。あなた方に関して聞く話しが全て誤りであり、私があなた方の良心の琴線に触れられる事を、私はどれほど願っているでしょう。人間の性質がもたらす応答への絶える事のない信頼を、私はやはり持っているのです。この信頼の力に基づいて、私はインドでの運動を続けてきました。そしてその信頼に基づいて、私はあなた方に嘆願をしているのです。

セヴァグラムにおいて、
 
 
18-7-1942
 
あなたの友であり、あなたの繁栄を祈る者、
マハトマ・ガンジー』
 
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以上に記されたガンジーの言葉を見る限り、当時の日本軍に対する彼の言葉は、英国に対する言葉よりも厳しい。少なくとも英国には公正や正義への意識が高いが、日本にはそれが無いと言っているのだ。
 
こうした批判は、日本がアジアを欧米の支配から解放した輝かしい史観を信じ、「日本の素晴らしさを世界に訴えましょう」と外国人への説得力を試みる人々には、受け入れられない指摘かもしれない。
 
しかしながら、ガンジーの厳しい批判を真実として受け入れた場合、今の日本は酷い国なのだろうか。もっとハッキリと言えば、今の日本人は、卑下されるべき人間なのだろうか。「無実」である必要を感じる為に、黒も白と言い含めることでもしない限り、決してそうではないだろう。
 
それでは、国の為に戦った一人一人の兵士ら「先人」は、卑下されるべき人間なのだろうか。そうとも思わない。本人が、残酷で不必要な戦争犯罪を犯したのでもない限り、或いは、政策や戦略に決定権を持つ立場でない限り、彼らとて、誤った政策や無謀な戦略の非はない。
 
国の為に戦った兵士に敬意が払われるのは、当然である。
 それでも、「国の為に戦った先人」への感謝と、国家としての政策、軍や部隊としての戦略の是非は別なのだ。
 
自らの信じたい物語にとって不都合な情報を省いて良いならば、例えナチスであっても、その非道を正当化し、美化する歪曲史観が出来上がるだろう。そしてそうしたを喜んで主張する人々もいる。こうした人々は、歴史の事実を事実として学ぶ前に、そのキッカケとなる動機が問われるべきだ。
 
「日本人としての誇りを取り戻す為」の歴史教育、また史実の追及には、そもそも「日本人としての誇りを取り戻す」という動機があり、その動機の為に、結局は「日本人としての誇り」にとって都合の悪い情報は排除するプロパガンダに成り下がってしまっている。そしてこうした「日本人としての誇りを取り戻す」という動機のある歴史観から来る主張は、当然の事ながら、日本人としての誇りに関係の無い人々に対する説得力は無く、現在の日本人をして、仲間内でしか通用しない教義を語るカルト信者のように見せるだろう。

無策のトランプ大統領、『一つの中国』政策を伝える

大統領就任直前のトランプ氏は、ここ何十年かの外交慣例を破って、台湾の蔡英文からの大統領当選への祝辞を受け、電話会談を行なった。それに対するメディアや外交、軍事、安全保障専門家からの猛烈な批判を浴びたトランプ氏は、「何億ドル分もの武器を売っている国からの、当選を祝う電話会談が問題なのか」とツイートをした。また「一つの中国政策に縛られるつもりはない」と発言している。

 

トランプ氏は、大統領当選を祝う電話だったと弁明したが、アメリカ大統領、及び次期大統領と台湾総督との直接外交は、アメリカの何十年にも上る外交政策の慣習を破るものである。オバマホワイトハウスは、これに仰天し、すぐさま米国は一つの中国を支持すると発表している。メディアや外交、軍事、安全保障専門家らも大きな懸念を示したが、これには、保守メディアや共和党政権のアドヴァイザーであった、外交、軍事、安全保障専門家らが含まれる。

 

勿論、共和党議員の中には、トランプ氏によるこの中国への強硬な姿勢を高く評価し、米中の関係に新風うを吹き込むと期待する声もあった。南シナ海への領域主張や人工島の建設、身勝手に設定した防空識別圏、近隣諸国との領土摩擦や威嚇など、中国がやりたい放題であった事を考えれば、トランプ氏による台湾への接近や中国への挑発、敵対姿勢などに、胸のすく思いをした議員もいたのだろう。日本の保守言論も、主にトランプ氏の中国への敵対姿勢や台湾との接近を歓迎し、トランプ氏による中国への強硬外交に期待する声も上がったようだ。

 

しかしながら私は、トランプ氏の言動に懸念を示した一人である。台湾が中国の一部であるという中国政府の主張には勿論同意しない。しかしながら、トランプ政権の中国・台湾問題への政策の有無が疑われたのだ。これは『トランプ次期大統領・台湾総督との直接電話会談』でも述べたが、もし中台への有事に軍事介入をする決意が無いならば、「有事を作るべきではない」と考えるからだ。

トランプ次期大統領・台湾総督との直接電話会談 - HKennedyの見た世界

 

大統領就任直後のトランプ新大統領は、選挙公約を無視して、初日に中国を挑発する事を行なっていない。いくら公約違反と言っても、これは評価に値する。中国側の反撃と、それに対するトランプ大統領の計画、方針、決意の無さを考えれば、トランプ大統領によるいたずらな挑発は、極東地域への不必要な不安定材料となるだけである。アメリカ大統領として、この政権がアマチュアの集まりであり、外交、軍事政策においては全くの無策である事を、疑いの無い事実として世界に見せて良い筈がない。

President Trump didn't go after China on Day One - Jan. 23, 2017

 

実は、トランプ政権への不甲斐なさは、直接電話会談による期待感から覚めた台湾人も感じていたようだ。ウォール・ストリート・ジャーナル紙は、以下のように書いている。

Taiwan Fears Becoming a Pawn in Donald Trump’s Game - WSJ

 

『ドナルド・トランプと台湾総督とによる電話会談によって高められた高揚感は、新政権が台湾を中国との交渉材料の一つとして扱うのではないかという疑惑に変わってきている。

先の電話会談とその他の声明によって、トランプ氏は何十年も続いた常識を打ち破り、台湾のライバル政府を政治的に孤立化させようという北京の政策を見直させる意欲を見せた。

 

ところが、先週彼は、ウォール・ストリート・ジャーナル紙との新たなインタビューで、貿易やその他の課題に対する中国の姿勢によっては、台湾との交渉に前向きであると答えている。台湾メディアの解説や学者、政権政党と野党政治家らは、アメリカの新大統領が北京の譲歩によっては、台湾の国益を無視するのではないかという恐れを表した。蔡英文総督陣営は、トランプ氏に近い人々に迫り、トランプ氏の立場の表明を求めたようだが、これについて外務省と総督のスポークスマンはコメントを控えている。

 

台湾で影響力を持つシンクタンクのリー・ティング・フイ副所長は「我々は、トランプ氏に、台湾の重要性と、台湾を交渉の材料とさせてはならない事を知らせなければならない」と述べた。世論調査によれば、殆どの台湾人は、中国との穏やかな関係から来る利益を求めつつ、北京の目指す政治的統合や、両岸が「一つの中国」であるという主張には反対をしている。』 

 

つまり、台湾人でさえ有事を望んではいないし、中国との交渉の材料として自国の将来をトランプ政権によって政治利用される事に危惧を感じているのだ。

 

台湾の将来を、トランプが本当に気にしているとは思われない。台湾の人々にしてみれば、トランプ氏の発言は「中国の出方によれば、台湾の在り方についても考える」という意味に受け取られ、「交渉に長けている中国が、トランプによる一時的な要求を呑むかわり、トランプから、台湾の将来に影響を及ぼす発言を引き出すかもしれない」という危惧を持つのは、当然だろう。

 

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トランプ支持者や、トランプを知らない日本人ナショナリストの期待するところは、中国に対して強い口調で非難し、挑発し、その面子を損なうことを国際社会の場で述べ、圧倒的な軍事力でもって屈伏させる事だろうか? ところがトランプには、そのような決意も、そうした事を行なう原則も全く持ち合わせていない。全ての事は彼にとって、自分を豊かにし、強く見せてくれるための手段でしかないのだ。

 

案の定、今日トランプ政権は、「一つの中国政策を重んじる」と中国側に伝えている。

Trump tells Xi Jinping: U.S. will honor 'One China policy'

トランプ政権には、挑発した後の策が無いのだ。核戦争の専門家で安全保障アドバイザーでもあったトム・ニコールズ氏は、以下の通り指摘している。

 

『中国との電話会談で言えることは、計画の無いままの台湾総督との電話会談への誤りだ。私は中国への強硬姿勢そのものには同意する。台湾への中国の脅しを押しのける必要もある。但しこれはそういった問題ではない。もし、何十年にもわたる慣例や政策を変更するならば、その後の計画が何種類も必要となる。絶対に避けなければならないのは、勢いよく突っ込んでいき、敵を怒らせ、その後の計画の不在に気付き、後ずさりする事だ。今回の行動は、結局中国の利となった。彼らは求めていた事をアメリカ大統領から再び得、念を押されたのだ。一つの中国政策を尊重するという政策は、私の意見によれば正しい。政権誕生から不必要なほどの軋轢を、招いている。』

 

中国は、「尖閣を守る」と保証したマティス国務長官の訪日2日後に、既に日本の領海内に戦艦を運航させている。NATOを始め、同盟国への軍事防衛義務を負荷だと主張し、アメリカは同盟国によって搾取されているとの意見を変えないトランプ氏が、極東での有事の際に実際どのような行動をとるのか、策があるとは到底思えない。当然ながら、中国もそれを承知しているだろう。

 

これからも、トランプ大統領が短気や癇癪を起し、挑発的な言動をくり返すだろう。中国はその都度反応する素振りを見せるだけで、アメリカは尻込みをし、結局中国がアメリカからの譲歩を得る時代となるのかもしれない。