バイデン大統領就任---「オーディナリー・ジョー」を選んだアメリカ

アメリカには、ごく普通の男性、凡人でありきたりの男性を指す言葉として「オーディナリー・ジョー」という呼び方がある。ビリオナーやミリオナ―ではないが、貧困に苦しんでもいない。カリスマ性など無い。決して英雄でもない。だからと言って眉をひそめるような悪行を犯すような過激な人物でもない。「ジョー」という平凡な名前が表す通り、「オーディナリー・ジョー」には「どこにでもいるような、普通の男性」という意味がある。

バラク・オバマとドナルド・トランプという二人の大統領は、両極端でありながら似通った点が多くある。二人とも自己愛が強く、専門家よりも自分の方が知識があると豪語して止まなかった。(イスラエルを除く)中東、NATO、極東軍事外交戦略に関して、二人は積極的にアメリカの不介入を唱えてきた。オバマは「アメリカには外国の事情に介入できるほど優れた国家ではない」と示唆し、世界はアメリカが介入しない方が良くなるとでも言うかのように米軍の撤退を実現させた。一方トランプは、「アメリカは同盟国によってさんざん利用されてきた。アメリカはこれからは、世界に笑われるお人好し国家ではない」と主張し、ドイツやシリア、アフガニスタン等からの米軍撤退を実行した。オバマは「アメリカは多くの過ちを犯した」という主張であり、トランプは「アメリカ・ファースト」という立場である。それぞれの動機は違うものの「アメリカの不介入」という面では同じ姿勢であった。

オバマとトランプという、カリスマ性と特定メディアや支持者らによる崇拝的支持を背景に持った二人の大統領に続いて、アメリカが選んだ大統領は「オーディナリー・ジョー」である。彼を熱狂的に支持する人々はいない。「サンダースよりはマシ」「トランプよりはマシだろう」という支持理由が殆どだ。

ジョー・バイデンの就任演説は、国民の一致や国民の間の癒しの必要を強調したもので、大国アメリカの46代大統領のそれとしては、外へ向けた強いメッセージ性に欠ける。バイデンは、カリスマ性やメッセージ性に欠けるだけではなく、78才という高齢の為に、健康問題にも不安があったようだ。大統領選挙に立候補する際にも大きな躊躇いがあったと思われる。その為、立候補自体が他の民主党候補者よりもかなり後れを取っており、民主党からの大統領選候補者は、自称社会主義者であるバーニー・サンダース上院議員とエリザベス・ウォレン上院議員の争いになると思われていた。

ところがナンシー・ペロシ下院議長などの民主党指導者らは、サンダースやウォレンでは、共和党現職大統領のトランプに勝てないと理解していたようだ。また同様に、民主党自体が左極化する事を危惧した民主党支持者や共和党支持者らからの声も上がる。世論調査では、バイデンが立候補する以前から、サンダースよりもバイデンへの支持が高くなっていた。穏健派と見られるのはバイデンだけではない。エイミー・クロバチャーは知的であり、しかも現実的である。しかし彼女には元副大統領であったバイデンのような知名度が無い。バイデンの出馬を願う声の高まりに押される形で。候補者ら対して数か月の遅れを取ったのち、ようやく彼は立候補を決断する。

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    就任式において聖書に手を置き、宣誓をするジョー・バイデン46代大統領

バイデンの支持母体は急進的左翼ではない。共和党議員らとの協調や連携をしてきたバイデンに対して、急進的左翼やニューヨーク・タイムズのような左派メディアは支持をしなかった。アンティファやブラック・ライヴズ・マター活動家らが支持してきたのはサンダースである。バイデン就任式の夜、アンティファらによって、オレゴン州ポートランドの民主党拠点や移民局等が攻撃されている。バイデン就任は、彼らの目指す流れに逆らうと思われているのだ。民主党討論会でも、カマラ・ハリスから『人種差別主義者』であるかのようにレッテルを貼られ、やり玉に挙げられたのは、バイデンである。バイデンはアイオア州の民主党予備選で4位となり、ニュー・ハンプシャー州予備選では5位となる。ネヴァダ州では2位となるが、1位のサンダースには大きく引き離されており、彼はサウス・カロライナの結果次第では、選挙戦を脱退するだろうと危ぶまれていた。

そのバイデンが圧倒的な得票を得て民主党候補者となったキッカケは、サウス・カロライナ州選出の黒人民主党議員ウイップ・ジム・クライバーンからの応援があげられる。サウス・カロライナにおける選挙に勝つ為には、黒人層からの支持が欠かせない。バイデンはクライバーンからの応援、支持を得て、同州から48.4%の得票率を上げ、2位となったサンダースの19.9%を大きく引き離した。

「社会主義者が民主党候補となっては、トランプ相手に勝てない」というペロシ議長ら民主党指導者の懸念は正しい。急進派の声に引きずられる形でサンダースやウォレンをノミネートしていれば、共和党支持者らは大きく反発し、普段はトランプ政治の在り方に否定的な共和党穏健派らが、不承不承ながらもトランプへ投票していたからだ。大統領選に勝つためには、党員からの強い支持だけが必要なのではない。一般投票において、相手候補者への票をどれだけ減らせるかが勝利への重要なカギとなる。熱狂的な支持者を党内に持ちやすい極右や極左の候補者は、大統領本選の際に、インディペンデントや穏健派からの票を相手候補に奪われ易い側面がある。大統領本選に有利となるのは、何よりも穏健派である事が重要なのだ。民主党がトランプに勝つ為には、バイデンをノミネートできるか否かが大きな課題となっていた。それを実現したのが、サウス・カロライナ勝利のキッカケを作ったクライバーンであった。

バイデン大統領就任式に参列したジョージ・W・ブッシュ元大統領は、クライバーンに対して以下のように感謝している。

「今回の政権交代を実現させたのは、君だ。君がバイデンを応援していなければ、今回の政権交代はあり得なかったからね」

クライバーンによる応援が無ければ、サンダースが民主党からの大統領候補者として選ばれ、大統領本選においてトランプに敗れ、結果としてトランプ政権が続いただろうと言っているのだ。

Clyburn: Bush called him a ‘savior’ for boosting Biden - The Washington Post

バイデンは民主党大統領として、トランプ政治を変えていくだろう。勿論トランプ政治の全てが悪い訳では無い。バイデン政権によって、却って後退する事例も多くあると思われる。しかしながら、現実的な見方をすれば、この先民主党が政権を握る事は無いと考える方が誤りである。いずれ民主党が政権を握るのであれば、出来るだけ穏健な民主党大統領が好ましい。ところが急進的左極化を進める今日の民主党内では、そうした穏健派(しかも知名度がある穏健派)は他に殆どいないのだ。

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  バイデン大統領就任式で歓談するブッシュ前大統領、オバマ前大統領夫妻、ペロシ下院議長

トランプという人物が共和党内で人気を集めた理由は、急進派と見られたオバマへの反発が関係する。同様に、民主党が左極化した背景には、トランプへの反発がある。その反発に流されるのではなく、却ってその反発を抑える目的で穏健派のバイデンが就任した事は、共和党支持者だけではなく、穏健な政治を願い、国民間の断絶を癒し、争いに終止符を打つことを求める人々に安堵の息をもたらした。

保守派のコラムスト、アンドリュー・サリバンは、バイデンが就任した20日、「就任式の映像を見た後、犬を散歩させていたら涙が流れてきた」と書いている。「これが安堵の涙なのか、愛国の涙なのかはわからないけれど、あの就任式によって、心の内側にある何かが回復されたんだ」

共和党支持者にとっても、民主党支持者にとっても、自分たちの支持する政策の実現が好ましいのは当然だ。ところが振り子のように行ったり来たりする両極端な政治政策と、反対意見を持つ同胞への怒り、敵視に疲れたアメリカ人は、「普通のジョー」を大統領として選んだ。彼に望まれているのは、国民生活に直接的な影響をもたらす『抜本的な改革』などでは決してない。また政治趣向の違う相手を罵る『強さ』でもない。対立する政策を乗り越えて共に国の為に考え、助け合いつつ、気がついたら4年経っていた、8年経っていたと国民の大半が思える平凡な政治なのだ。

勿論、民主党大統領として、党内の声に配慮する必要もあるだろう。しかしながら、議事堂襲撃という前代未聞の衝撃からアメリカが立ち直る為には、バイデンはTwitterから遠ざかり、「普通のジョー」「つまらないジョー」として政治を行なってくれる事が、何よりも望ましい。