『心の部屋』2

 中学生や高校生というのは、小学生時代の無邪気な顔を見せながら、とても残酷になったりする。尤も、小学生の時代にも残酷さを見せる子供もいるのだから一概には言えないのだが、中学、高校の時代のいじめは、それ以前の年齢では見せられない、またそれ以降の年代では社会的に受け入れられないような攻撃性や洗練された陰湿さを見せる。

中学に入って早々、一年生の夏、私は一つ上の学年の先輩たちに呼び出され、いじめを受けた事がある。どういう訳だかロッカー室に呼び出された私は、5人から8人くらいの女の先輩たちに周りを囲まれ、「あんた、F村に、『バーカ』って言ったんでしょ」と言われた。何のことだかサッパリわからない。F村さんという人が誰なのかも知らない。「あんた、言ったでしょ」と責められるので、「言ってない」と答えると、「タメ口聞くんじゃないわよ、先輩に対して」とまた怒鳴られた。『タメ口』というのが何の事だかわからなかったが、先輩というのは一学年違うだけで、こんなに偉いものなのか、ビックリした。第一、F村さんというのは誰なのか、見当もつかなかった。

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                 いわさきちひろ画

授業の間にあった10分間の休みが終わると、次の休みにもまた同じ先輩達がクラスに来て私をロッカー室に呼び出した。どうやらF村さんという人は、彼女たちと同じ学年の女子の一人らしい。何だか大変な事になったと分かるのだが、自分にはF村さんをいう先輩に会った事も無いし、ましてや彼女に対して「バーカ」と呼ぶ筋合いも無い。どうしたら良いのかわからずにただうなだれていると、「ほら、あんた、この子にバーカって言われたんでしょ」と当のF村さんが連れて来られた。色白で茶色がかった、大人しそうな人だった。F村さんという人は、私と目を合わせずに、何か口ごもっていた。彼女も「とんでもない事に巻き込まれた」というかのように戸惑っていた。

そうして次の休み時間も呼び出され、怒鳴られ続けていると、全く別の先輩の一人が現れ、「あなた、べつに、バーカとか言ってないんでしょ? だったら帰って良いわよ」と助け舟を出し、解放してくれた。その後、その助け舟を出してくれた女の先輩が、未だ苛め足りなさそうな顔をしている他の先輩方に良い加減にするように注意をしているのが聞こえた。

一人の女の先輩の介入によって救い出されたのだが、教室に戻っても泣きたくなった。当時、とても仲の良かった友達が「大丈夫?」と慰めてくれたのだが、悲しさも恐怖感も収まらなかった。

何回かに及んでずいぶん怒鳴られた間、私は、その中で一番怒っていた先輩の顔を見つめていた。その人は、くっきりとした二重瞼で、ウエーブのかかった髪、小さな鼻と形の良い口元の、羨ましくなるような、とても可愛らしい顔をしていた。怒鳴っていたのは殆どこの先輩だったので、恐らくリーダー格なのだろう。私は何という人に睨まれる事になったのだろうと考え、途方に暮れてしまった。当時の私は真剣にも、これから5年余り、これらの先輩たちが卒業するまでずっといじめられ続けるのだと考え、悲嘆に暮れてしまった。その後何日か経ち、私は彼女たちの担任の先生に、このイジメについて、相談する事となった。そのいきさつは全く記憶に無い。もしかしたら私はこれについて母に相談し、母から私の担任の先生に話が伝えられたのかもしれないのだが、この部分の記憶がすっかり抜けている。覚えているのは、彼女たちの担任の先生にクラスのアルバムを見せられ、ロッカー室に呼び出し、イジメに関わった先輩方の顔を割り出す指示を受けた事だ。覚えている先輩の顔を指で指すと、彼女たちの担任の先生は、静かにノートにメモをしていった。

彼女たちは後日、担任の先生から注意を受けたのだろう。そうして、そのイジメは、何事も無かったかのように終わってしまった。私は二度と彼女たちに呼び出される事も無かった。「私はいじめられた時に、どうして良いかわからない」と考えたのだが、今になって思えば、先生に報告する事でイジメは止んだのだから、私はその時に恐らく、出来る限りの最善の行動を取ったのではないか。そして、何度か怖い思いもしたが、助け舟を出してくれた先輩がいた事も考えれば、誰も助けてくれる人がいなかった訳でもない。

それでもこの経験は、子供の私にとってとてもショックな出来事で、私はこれから立ち直る事がなかなか出来なかった。むしろ「私はいじめられっ子なのだ」という思いが私を縛り続ける事になる。「あんな風にイジメられるなんて、私はバカで、ダメなんだ」という絶望的な思いが心に圧し掛かり、その重みに溜息が出た。何よりも私にとって悲劇であったのは、イジメのような恐怖の体験からの快復を落ち着いて望める家庭環境ではなかった点だ。母はとにかく私がイジメられたという事を情けなく、恥を感じたようで、弱く、もろく、或いは嫌われるような存在となった私を罵倒し、責め続けた。この悲劇こそが、イジメそのものから受けた傷よりも、もっと私に負の影響を与えたと言える。

実はこの体験にはいくつかの後日談がある。私が通ったのは私立のミッションスクールであったが、何年かして私が教会に通うようになると、同じ教会の学生会にF村さんも参加していた。学校で見かけるF村さんはとても大人しい人で、どちらかと言えば一人でいる事が多かったように記憶しているが、教会でのF村さんは、むしろ楽しい人だった。とてもキレイな声で、うっとりするほど歌が上手だった。またイジメの間は黙っていたが、率先して怒っていた先輩と共に行動していた一人の先輩は、私が社会人となった時に訪れた、ある教会の牧師先生の娘さんだった。学生の間は、いつも怒っているような表情をされていたと覚えていたのだが、教会では普通に親切で、気さくな方だった。

もう一人、一番怒鳴っていて、とても怖かったあの可愛らしい顔の先輩は、お医者さんの娘さんだったのだが、何年も経ち、社会人となってレストランで食事をした時に、ご両親と食事をされようと、たまたま隣の席に着かれた事がある。ご両親と和やかに笑い、楽しそうに食事をされていた彼女は、もはや怖い存在では無かった。彼女も私に気付かれたようだが、私も彼女も、何も言わなかった。私と彼女を繋ぐ学生時代の共通話題はあのイジメの一件だけであり、大人となった時分に「ああ、あの時の…」と言って気まずく、居心地の悪い思いをするのは彼女の方だ。F村さんにしても、牧師令嬢にしても、あの件を持ち出されていれば、バツの悪い思いをされていただろう。

その通り、いじめというものは残酷であり、暴力的であり、イジメられた人々の心を長い間縛る場合がある。しかしそうした言動が社会に出て許される事はない。成人し、社会人としての自覚と責任感を持つ頃に、過去にイジメた側とイジメられた側が対面した場合、気まずい思いを味わうのは、イジメた側である。ただ渦中にある子供には、そうした事実はなかなか見えてこない。その子供に対し、人生の長さ、不思議といった視点を示せるのは、大人の役目だと言える。