旭日旗と表現の不自由

共同通信のニュースを以下に引用する。

「【ソウル共同】韓国国会の文化体育観光委員会は29日、来年の東京五輪パラリンピックの際、旭日旗や、旭日旗をあしらったユニホームなどの競技場への持ち込みを禁止する措置を国際オリンピック委員会(IOC)や大会組織委員会に求める決議を採択した。決議は、旭日旗が第2次大戦当時『日本が帝国主義と軍国主義の象徴として使用した』と指摘。『侵略と戦争の象徴である旭日旗が競技場に持ち込まれ、応援の道具として使われることがないよう求める』としている。韓国政府に対しても、旭日旗が持つ『帝国主義的意味』を知らせ、国際競技大会で使われないよう外交努力に注力することを求めた。」https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190829-00000171-kyodonews-int

またCNNでは、”'Symbol of the devil': Why South Korea wants Japan to ban the Rising Sun flag from the Tokyo Olympics「『邪悪の象徴』なぜ韓国は日本が東京オリンピックから旭日旗を排除する事を要求するのか」”と、韓国側の要求と日本側の「旗そのものが政治的宣伝を持っていない。持ち込み禁止品とすることは想定していない」との回答を紹介している。https://www.cnn.com/2019/09/06/asia/japan-korea-olympics-rising-sun-flag-intl-hnk-trnd/index.html

韓国側はここで、いつもの通り「日本は歴史を直視せよ」と主張するのだが、歴史的に言えば、旭日旗に『帝国主義』や、『軍国主義』、『植民地主義』、ましてや『邪悪』などと言った意味は無い。旭日旗は、江戸時代から縁起物として、「天晴れ」「目出度い」「景気が良い」また、僥倖を意味するものとして、一般に愛用されてきた。その旗が、日本軍によって軍旗として、また軍艦旗として使用されているだけである。ナチス・ドイツは、アーリア人の優越性を示すデザインとしてハーケンクロイツを採用したが、歴史的に日本は、旭日旗に『帝国主義』『軍国主義』、ましてや反韓国感情など込めなかったのだ。歴史や文化の中での旗に対する感情は、例えばアメリカの南部の州で今だ南部旗が翻るが、それが必ずしも南北戦争や黒人差別、人種差別を意味しないのと同様だろう。翻している側は、南北戦争以外にも多々ある南部の歴史や、独特の文化に対する誇りを表現しているに過ぎないのだから、外部からの人間にとっては、その言い分を受け入れるか、無視するより他が無い。

またFNNプライム(*)によれば、「韓国外務省報道官は、『旭日旗は周辺国家に過去の軍国主義と帝国主義の象徴と認識されている。日本側が謙虚な態度で歴史を直視する必要がある』と述べ、『是正されるよう努力する』と反発した。」とあるが、たとえ周辺国家に過去の軍国主義と帝国主義の象徴と認識されているとしても、日本国内でそのような認識が大多数により持たれていない限り、譲歩は困難だろう。それぞれの国によってシンボルに対する意識が違っていたとして、他国の国民感情を自国民の国民感情に優先させる国家など存在していないし、日本側がそれでも譲歩したとなれば、韓国による旭日旗への解釈を自ら認める事となる。

尤も、「旭日旗は反韓国の象徴として、反韓デモに使用されているではないか」という疑問や、「旗が持つ意味は変わるもので、現在、この旗が反韓国や軍国主義を表すものとして使用されているのだから、旗の持つ意味が元々どうであったかは関係が無い」という批判は、当然だろう。これは「歴史を直視せよ」とは異なり、現在の政治運動への批判である。反韓国を叫ぶ一部ナショナリストらが、旭日旗やはたまたハーケンクロイツまで掲げて街頭デモを行なった事は、報道された通りの事実であるからだ。こうした一部ナショナリストらが韓国に対する悪感情を以て旭日旗を使用した事は、日韓のナショナリズム運動を追ってきた人々や、インターネット上の反韓言説に詳しい人々には明らかである。しかしながら幸いなことに、インターネット上の意見だけが社会を形成しているのではない。日本には、未だにインターネット上の言論や国際政治などには一切関心も持たないまま、毎日を忙しく、誠実に暮らす人が多い。一部の日本人ナショナリストや韓国側からによる旭日旗への新しい定義付けにも関わらず、大多数の日本人は、未だ旭日旗やそのデザインから軍国主義や帝国主義を感じ取っていないのだ。大多数の日本人が旭日旗やそのデザインから感じる取るものは、何と言っても、海洋であり、目出度さや『ハレ』であり、だからこそ日本の土産物屋に見る招き猫や七福神の背景画、出産や大漁を祝うデザインとして、未だに使用されているのである。もし旭日旗が、韓国や一部ナショナリストらの理解する通り、反韓国の帝国主義や軍国主義を意味するものならば、旭日旗に似たデザインのロゴを使う朝日新聞や朝日関連会社も、軍国主義を賛美した反韓ナショナリストだということになる。しかしながら、朝日新聞から反韓国ナショナリズムや軍国主義を感じ取る人など殆どいないだろう。

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旭日旗に対して、本来の意味以上のものを付加しようとする韓国側や一部ナショナリストらの努力にもかかわらず、旭日旗やそのデザインに政治的主張を認めないというオリンピック・パラリンピック組織委員会の方針が正しいように、私には思われる。何しろ旭日旗に対しての反発がごく近年まで韓国から上がらなかった事を考慮すれば、排除を迫る側にも政治意図があり得るのだ。持ち込もうとする側だけではなく、持ち込みを阻止しようとする側にも政治的意図があり得る場合、委員会とすれば「政治主張は持ち込まない」と釘を刺すに止めるのが適切だろう。例えオリンピックの場に旭日旗を持ち込む人がいたとしても、「この人には、政治的主張は無いのだろう」と無視するしかない。実際、欧米人の中には、旭日旗のデザインを「なんだか格好の良い、元気の出るデザイン」として好み着用する人もいるのだ。敢えて「この人には、韓国に嫌がらせをしたいだけの政治的意図がある筈だ」と勘繰る必要も無いだろう。少なくとも、オリンピック・パラリンピック組織委員会という機関は、個人の表現の自由に立ち入りをしない方がよい。

私が他者の感じ得る痛みや不快感の可能性を鑑みながらも、こう主張するのは、言論や思想、表現の自由に対して、国や公共機関の介入は極力避けるべきだと強く考えるからだ。その延長線上で、当然、あいちトリエンナーレ2019の企画展であった『表現の不自由展』の内容が、ある人々にとって、どれほど不快であり、どれほど反日で、反皇室で、「悪意に満ちていた」ものだったとしても、そうした展示を中止させようと圧力を加える事こそ誤りであると考える。これら展示品の作者が、自らの作品を「反日」で、「反皇室」で、「悪意に満ちた内容」として展示していたとしても、「このような作品を表現する事には不自由があります」というテーマであるとすれば、こうした「反日的作品」の展示を阻止したい人々こそ、これらの表現が不自由であるという点において、作者の意図を実現していると言って良い。

言論や表現の自由は、他者から批判されない権利ではなく、これらを発表し、表現する自由を、政府機関や権力、また圧力によって侵害されない権利である。また、この自由や権利の真価は、自分の都合に合わない言論、表現を許容する事にこそあるのだが、どうも旭日旗の持ち込みを表現の自由で以て擁護する人々には、あいちトリエンナーレの表現の不自由展に見られる展示物は許せない人が多く、『表現の不自由展』を「表現の自由」で以て擁護する人々には、旭日旗の持ち込みの禁止を叫ぶ人が多い。彼らの矛盾は、彼らの判断基準が、自由や権利そのものへの理解ではなく、彼らなりの正義感や倫理観に依っているからだろう。

言論や表現の自由は、決して「批判されない権利」ではない。しかも自分の言論や表現の自由を主張するからには、自分の倫理観や正義感を苛立たせるような不愉快な言論や表現の自由も認めなければならない。感情が傷つかないよう守ってくれる権利などは存在しないのだ。そうした事を踏まえた上で、自らの主張が、正義感や倫理観に頼った感情論であるのか、自他共に適用される規律に基ったものなのか、見直してみるのも良いのではないだろうか。

(*) https://www.fnn.jp/posts/00423439CX/201909032039_CX_CX