映画『主戦場』で言われた「立場の変化」とは

映画『主戦場』を視聴された方々から、「なぜ立場を変えたのか」と聞かれたり、またある記事には、「否定論者」から「肯定論者」へと立場を変えたように書かれてあったが、私自身、何についての立場を変えたと考えられているのか、理解できていない。

当然ながらこの映画は、私についての映画ではないし、私はデザキ監督がインタビューを行なった多数の方々の内の一人である。インタビューでは、「慰安婦問題について、考えを話して下さい」というような、この問題に対する私の理解と意見を求められたのではない。「ナショナリストの中にある反韓国人デモや、人種差別的言動、何其についての意見を述べて下さい」という形のものである。私の記憶としては、日本側の非だけではなく、韓国側の非難されるべき言動も意識的に付け加えた筈だが、そういった回答は、監督が私から聞き出したかった解答ではなかったのだろう。結果的に、辛うじて「日本政府に法的責任は無い」といった発言が残されただけで、あとは日本側批判に徹底している印象を与えたようだ。勿論これは、監督としてのデザキ氏の権限以内の編集であるが、その他にも、右派の主張の後に必ず左派の主張を入れ、それで議論が終結したかのような方式を取れば、右派が左派に完全論破されている印象を与える。彼が偏向しているという批判を免れるのは困難だろう。

映画では、インタビューのうちのごく一部分が使われたのであるから、歴史観を巡る私の意見の何が変わり、何が変わっていないのかが正しく伝わっていないのも当然だ。簡単に言えば、私は『歴史修正主義』と言われながらも、要は『日本無謬論者』に過ぎない「戦前の日本は悪い事は行なわなかった」という歴史観から、「戦前の日本は、(その非難に誇張があったとしても)確かに近隣諸国に対し悪い事を行なった。戦後の日本は、戦前の姿と決別し、自由民主主義社会のうちの大国の一つである」という史観に変わっている。これは、保守派政権である安倍政権も継承している史観だ。

しかしながら皮肉な事にも、この主戦場という映画が慰安婦問題を扱った映画であり、その中で立場を変えたと受け取られているにも関わらず、私は慰安婦問題に関わる意見の殆どを変えてはいない。「慰安婦問題が女性の人権問題だと考えられている現在の国際政治状況を考えれば、誤解を受けない為にも、慰安婦をただの売春婦と呼ぶ事は、特に男性方には注意して頂きたい」と、ナショナリズムの運動に活動的であった頃から主張していた。だからと言って彼女たちを『性奴隷』と考えた事は無いし、そう定義する事も誤りだと考える。私は慰安婦は慰安婦と呼ぶのが最も適切であり、正しいと考えている。

慰安婦問題に関係する事柄で私が考えを変えたのは、IWG報告書への理解だけだ。例えもし日本による韓国人女性や慰安婦に対する犯罪があったとしても、それは米国にとっては機密文書化する類ではなく、したがって冷戦後のクリントン政権下によって公開された元機密文書の中に見つかる筈はない。『機密、諜報』といった事柄に詳しい人ならば、そもそもなぜ慰安婦に関する事柄が機密扱いされたと考えたのか、私の無知、非常識に呆れることだろう。


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私が『日本無謬論者』から踵を返し、「(その非難に誇張があったとしても)戦前の日本は、確かに悪い事を行なった」と考える対象国には、まず中国がある。「30万から40万の無辜の市民を組織的に虐殺した」という中国側の主張にはかなりの誇張があるが、中国に対して侵略戦争を行なったことは確かだ。それがどれ程アメリカによる経済封鎖の為に切羽詰まった状況での事情であったとしても、中国にとって侵略であった事は否定できない。日本が中国と同じ立場に立たされたら、必ずそう感じるだろう。実際、北朝鮮に対する日本や米国等の経済制裁は続くが、だからと言って金政権が資源や物質等を確保する為に国境線を越えて日本に戦争を仕掛ければ、殆ど全ての日本人はこれを侵略と呼ぶだろう。しかしながらこうした認識は、戦後、また今日も続く中国の軍事侵略や拡張主義を許容したり、弁護する為の主張ではない。ただ、自国の行為は正当化しつつ、他国の行為だけを非難すれば、公平な議論とは言えないし、信頼を損ねるだけだと考える。

中国に対する日本の行為として、議論が最も白熱するのは南京大虐殺だろう。南京での虐殺の有無に関して、私が最も史実に近いと考えるのは、秦郁彦氏が説明する、南京戦の最中に行なわれた捕虜と市民への不法殺害を指す数万規模の虐殺である。南京戦において多くの捕虜の虐殺があった事は、さすがに「ゼロ虐殺説」を唱える学者方も認めている事だから、違いは捕虜や市民の処刑を以て虐殺と呼ぶか否かである。たとえ南京大虐殺が嘘であり、それを捏造するところが単なる中国政府によるプロパガンダであったとしても、それでも『日本無謬説』には無理がある。

また「日本はアジアの諸国を欧米の植民地主義から救った、アジアの解放者である」という歴史観は、単なる無知と嘘を土台としている。一例を挙げれば、シンガポールにおいて日本が行なった虐殺は日本とシンガポールの両国が認めているが、日本人には一般的知識として知られていないだけだ。以下は、日本軍が行なった『シンガポール華僑虐殺』についてである。

『シンガポール華僑虐殺事件』、或いは『シンガポール華僑粛清事件』とは、1942年2月から3月にかけて、日本軍の占領統治下にあったシンガポール で、日本軍(第25軍)が、中国系住民多数を掃討作戦により殺害した事件を指す。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%AB%E8%8F%AF%E5%83%91%E7%B2%9B%E6%B8%85%E4%BA%8B%E4%BB%B6 

あまり日本人には馴染みのない『シンガポール華僑虐殺事件』だが、勿論シンガポール人やマレーシア人は知っている事件だ。この事件では、中国系市民が中国に武器を購入する資金を送っているのではないかという疑いをかけられ、日本軍により組織的に殺害が計画され、虐殺されている。その被害者数を日本政府は約5,000人と見積もり、シンガポール政府は5万から10万人と数えている。これらの虐殺された中国系市民は、誰一人として兵士やゲリラではない。そもそもシンガポールでは日本兵は中国系市民によって殺されてはいないのだから、自衛戦でもない。

リー・クワン・ユーは、シンガポールの初代首相となった人物だが、彼は19歳の時に、彼の外見が『中国に資金援助をしていそうな外見』の要点を備えていた為に、粛清リストに載り、危うく難を逃れた事を証言している。日本軍や日本の憲兵による地元の人々への虐殺や蛮行は他にも記録されており、シンガポールやマレーシアでは学校の歴史授業でも教えられている。1966年10月25日、日本政府はシンガポールとの間で、2,500万シンガポール・ドル相当の日本の生産物と役務を無償で供与する、という内容の戦後賠償協定を締結した。

このような虐殺がその他でも行なわれた事を知らないが為に「日本はアジアを欧米の植民地支配から解放して、アジアの人々に感謝をされている」と主張すれば、「日本人は歴史を知らず、作り変えている」と反発されて当然である。反発する側が『反日』で『中国の手先』なのではない。ガンジーでさえアジアにおける当時の日本の行動を批判していた事を考えれば、独りよがりも良いところだろう。http://www.gandhiashramsevagram.org/selected-letters-of-mahatma/gandhi-letter-to-every-japanese.php

http://hkennedy.hatenablog.com/entry/2017/02/13/165327

日本の中のナショナリスト的な考えによれば、「中国や韓国以外のアジアの国々からは日本は感謝をされている」筈だが、頼みの綱のアジアの親日国も、「過去の日本の行ないを手放しで感謝」していたり、或いは日本の保守派の一部と「同じ歴史観を共有している」わけではない事が、各国800人以上のサンプルから得た意識調査の結果から理解出来る。 

http://www.pewresearch.org/fact-tank/2013/08/15/decades-after-wars-end-some-of-japans-neighbors-still-see-need-for-atonement/  

http://www.pewglobal.org/2013/07/11/survey-methods-54/http://www.pewresearch.org/fact-tank/2013/08/15/decades-after-wars-end-some-of-japans-neighbors-still-see-need-for-atonement/

 

具体的には、フィリピン人の47%が、日本は第二次世界大戦の行ないについて「充分に謝罪をしていない」と答え、29%の「充分に謝罪をした」、19%の「謝罪は必要ない」を上回っている。

インドネシアは同じ質問に40%が「充分に謝罪をしていない」と答え、29%が「充分に謝罪をした」、6%が「謝罪は必要ない。」マレーシアでは、30%が「充分に謝罪をしていない。」 22%が「充分に謝罪をした。」 また10%が「謝罪は必要ない」と答えている。

「充分に謝罪をした」にしても、「充分でない」にせよ、『アジアの解放者』であるなら、「謝罪は必要でない」が圧倒しなければおかしい。

ちなみに、同じ質問に対する日本人の回答は、28%が「充分に謝罪をしていない。」48%が「充分に謝罪をした。」10%が「謝罪は必要ない」と答えている。

第二次世界大戦中のアジアに於ける日本の行ないについて、日本が「日本はアジアの解放者」としての史観を主張しても、そうした史観は、アジア諸国を含めて日本のナショナリスト以外には受け入れられていない。

こうした調査結果に言及すると、「それは華僑(中国系)がアジア諸国に増えたからだ」と反発する声が一部ナショナリストから上がるが、彼らが「レイシスト(人種差別主義)」でない事を信じて欲しいならば、日本への非難の理由を全て人種や国籍に押し付けない方が良い。

私は慰安婦の問題についても同様に考える。ナショナリストであっても、保守派であっても、彼らが慰安婦問題について発言し、慰安婦が性奴隷であったと考える根底にセクシズム(女性差別主義)が無いと信じて欲しいならば、女性差別的な言動は一切控えるべきだ。韓国側による度重なる謝罪の要求をはね付け、日本に法的責任が無い事を主張する根底に、韓国人への差別感など皆無であると信じて欲しいならば、一部日本人による韓国人に対する差別的言動を批判し、それ以上は一才関わりを持たない事だ。女性差別的言動や、人種差別意識をちらつかせながら日本を擁護すれば、擁護どころか、日本の主張の動機そのものを疑わせる事になる。今回の『主戦場』を観た観客のうち、立場を決めていないニュートラルな層があったとして、そのうちの何割が『日本側』に共感を覚えただろう。これはデザキ監督による偏向や編集だけの責任ではない。語れば語るだけ日本の主張の動機を疑わせるような発言を繰り返す人々が、自分の発言がどう受け取られるかを顧みずに多く語っている事が原因でもあるのだ。

私はナショナリストらに阿るつもりも、左派への批判を控えるつもりも一切ない。韓国との慰安婦問題における事実関係についての意見を変えてはいない。韓国人慰安婦たちが意思に反して強制されたと感じた事に異議を唱えるつもりは無いが、彼女たちが日本軍によって強制連行されたという証拠は無いし、日本軍や政府が当時の法律を犯していなかった事を鑑みれば、現在の日本政府に法的責任は無いと考える。「可哀想なハルモニ」を慮る振りをしながら和解の道を閉ざし、彼女らを自分たちの反日運動の道具として扱うだけでなく、韓国人学者への自由な言論をも阻む韓国人活動家らは、反日を看板とした醜悪な商売人である。自分たちにとって都合の良い歴史観しか信じない日本人『歴史修正主義者』もいるが、自分たちにとって都合の良い歴史観しか信じない『歴史修正主義者』や、過激な言動を繰り返すナショナリストらは韓国にも大勢いる。「可哀想だから」といった感情論を優先させ、一般的な「奴隷」や「国際法」の解釈まで曲げて日本政府に法的責任を求める左派の学者は、学者としての域を超えている。慰安婦問題を論じる際には、当時の社会風俗、軍と性との関係、他国軍と性との関係、また戦地に赴いた兵士、看護婦、タイピスト、また東京吉原界隈で働いていた性産業の女性とも比較するべきだが、それでもなお慰安婦たちだけが奴隷であったと主張する左派学者は、学者としての立場を悪用した単なる政治活動家ではないだろうか。

これら左派学者らによる著書を私は読んでいない。デザキ氏によれば、左派学者らの著書を読まない限り、彼らに対する批判も的外れの事になるようだが、慰安婦問題に対する日本政府の対応を糾弾する為だけに作り出されたと思われる、他では通用しない非常識な珍定義を繰り返す左派学者の主張は、私には「地球は平らである」といった主張に等しく、「地球平坦説の主だった著書を読まなければ、その主張の誤りを指摘してはいけない」と言われているように感じる。

尤も、たとえかいつまんでであってもその全体要を知らなければ、その主張の本質を誤解する危険がある事は認めるが、左派に対する私の批判をドキュメンタリー中では全くと言って良いほど採用しなかったデザキ氏は、よく承知している事だろう。

 

(文中、日本側、韓国側、とした表現は、日本人の中に韓国政府の主張に共感している人がいない訳ではなく、その逆もあっての事だが、個々では敢えて、大まかに日本政府の主張と立場を同じくする人々、韓国政府の主張と立場を等しくする人々、とした意味で使用している。)