平成天皇の譲位

83歳になられた今上天皇が、高齢を理由に公務への差し障りがあるとして、譲位の願いを述べられている。憲法に定められ、また、ご自分の義務感から、歴代の天皇に勝る公務の量をこなしてこられた平成の明仁天皇に対する国としての配慮は、天皇ご本人がご自身のご意向を述べられなかった事を良い事幸い、手つかずになっていたのが本当だろう。
 
私はイデオロギーにとらわれず、常識的な意見を申し上げる。天皇や皇族方に対する言葉使いも、意図が伝わるように、丁寧語だけで書かせていただく。

 

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83歳になられる天皇が譲位を願われているなら、「譲位は許されない。摂政を代わりにおくべき」「国家の在り方は別である」などと理屈をこねて、人間的な不可能を押し付けるべきではない。

櫻井よしこ氏ら「譲位ではなく摂政を」 天皇陛下の生前退位で有識者ヒアリング

 
都合の良い時は「先人たちは皇室と日本国の将来の安定の為に譲位の制度をやめた」と「伝統」を持ち出すのは卑怯である。真に伝統にこだわるならば、天皇が自らの意向に従い皇太子を選び、宮家を設立し、譲位できる体制こそ、日本の伝統であった事を認めるべきだし、「先人たち」を持ち出し、彼らの将来的予測や知恵が絶対であったかのように絶対視するべきではない。明治時代に設定した皇室典範の制度が、現実にそぐわない事もあり得るのだ。真に『保守派』を気取るならば、非現実的な精神性を、天皇や皇族であっても、他者に求めるべきではない。
 
科学的、生物学的な困難は、精神力によってどうこう出来る事では無い。「日本精神さえあれば、竹槍をもってでもB29を撃退できる」と科学を否定したファナティックな旧日本軍の軍人と、今日の日本は違うのだ。
 
「憲法違反の恐れ」と言うならば、外国からの攻撃を受けた場合、現行憲法内で何をするのか。憲法が制定された時点で想定されてなかった事態が生じる場合、国民の安全に関する事ならば、新たな事態に対応できるように憲法解釈を変更してきた筈だ。
 
実際、戦後直後には、昭和天皇は譲位を考えられていたし、政府も皇族方もそれを支持していたが、譲位を止めたのは、マッカーサー元帥の知恵である。当時、12歳であった今上天皇の年齢を考えれば、昭和天皇が在位し続けた方が、日本統治が容易だったことは占領軍の判断として理解できる。まさか、マッカーサーの政治判断を、「先人の知恵」と呼ぶ訳ではあるまい。
 
緊急事態に直面して、臨機応変な対応をしなければ、生身の人間からなる皇室はどうやって存続し、安定し、繁栄できるだろう。「高齢は緊急事態ではない」と、臨機応変な対応が皇室に対して出来ないならば、「他者の痛みは我慢できる」という野蛮な仕打ちを、国が皇室に対して続けているとしか映らない。
 
天皇に対する期待も、皇族方に対する期待も、度を越せばそれらはただの野蛮の一言につきる。天皇が摂政を置く事ではなく譲位を願われているならば、天皇の望む通りに対応をするべきだ。譲位をすることと、摂政を置く事の違いは、誰よりも天皇がご存じの筈である。まさか「私の方が皇室の伝統、責務、公務、祭祀の務めにおいて、天皇陛下よりも詳しい」と、誰が言えるのか。
 
勝手な憶測ではあるが、例え摂政を置いたとしても、天皇である事の精神的な重みから解放をされる訳ではない。その重みから解放され、新たな天皇としての現皇太子の姿を見て安心をしたいと願われているとすれば、それは人間として、また親として、当然の心情である。
 
いずれにせよ、選択肢を多く出すことは重要であるが、何よりも汲まれるべきは天皇の意向である。
 
本当に皇室の安泰や繁栄を願うならば、安泰し得る皇室、繁栄し得る皇室、また更に一言付け加えるならば、嫁ぎ易い皇室へと、皇室を支える体制も含めて変えられてゆく必要がある。