リベラル極論とナショナリズム極論の狭間で

以前も書いたが、私は、日本軍による『南京30万人大虐殺』や『南京40万人大虐殺』などは、荒唐無稽なプロパガンダであると考える。
 
ところがこの『30万人説』や『40万人説』に対する反発として、これらを否定する為に、『虐殺は起こらなかった説』や『(虐殺の)犠牲者は限りなくゼロに近かった説』、『マイナス30万人説』や『日本人こそ被害者説』等の別の極論が生まれている。
 
 
同様に、「20万人、或いは40万人の『性奴隷』が『天皇からの贈り物』として日本軍によって強制連行され、肢体切除や終戦の際には皆殺しされた」などの慰安婦に関するプロパガンダも、感情的な反発を招いてきた。
 
高齢の元慰安婦の女性達を指して「売春婦」「嘘つき婆」などと罵るにとどまらず、中にはあからさまな韓国人への差別感情を生じさせたり、「韓国との国交断絶」すら叫ぶ人々もいる。
 
しかし、あまりにも荒唐無稽なプロパガンダに反発する形で生まれたこのような「極論」は、他者からの共感を得ないだけではなく、元々のプロパガンダに対する正当性すら与えてしまうものだ。
 
勿論、こういった傾向は、日本人に限った事ではない。
 
ヨーロッパに於いても、「イスラム教と過激イスラム教テロとの関わりは、一切無い、」というような極論や、ドイツのメルケル首相の打ち出した大量のシリア難民受け入れ政策は、EU加盟国の国民の反発を買い、これらの国々のナショナリズムの台頭に繋がっている。Brexitと呼ばれるイギリスによるEU離脱や、フランス国民戦前党の躍進は、極端なリベラル政策の影響とは無関係ではない。
 
アメリカの大統領選挙に於いても、同じことが言える。
 
オバマ大統領の大統領として残した遺業は、オバマケアだけではない。オバマ大統領という極端なリベラル政治家によって台頭した白人ナショナリズムは、ドナルド・トランプ氏への支持に繋がった。オバマ大統領による現実を無視した綺麗ごとのスローガン政治は、トランプ氏が口にするような、普通なら口にできない下品で眉を顰める類の非文化的な言論こそ、「正直さ」として評価される風潮を生んでしまった。ところが、オバマ大統領の掲げた外交政策、軍事政策が、失敗に終わったように、トランプ氏の掲げる政策の殆どは、トランプ氏の主張する「偉大な国」から遥か遠くにアメリカを押しやるだろう。
 
一つの極論が反発を招き、別の極論を生じさせることは、世界中で多々見られる傾向ではあるが、それでもこうして生まれた反発的「極論」は、元々の極論に対する答えとは決してなり得ず、更に別の問題を作り出すだけである。
 
一つ、例をあげよう。先日、アメリカのTV番組の一つであるデイリー・ショウに、白人ナショナリストから支持を受けるテレビ・ホストのトミ・ローレンが出演した。彼女はホスト役のトレイヴァー・ノア相手に、『ブラック・ライブズ・マター』グループに対する反発や批判を、堂々と述べていた。
 
『ブラック・ライブズ・マター』グループは、元々警察による黒人への扱いに不当性があると主張し、大きな反警察運動となり、何人かの白人警察官を殺害するまでに至っている。警察による不当な権力行使を訴える為に立ち上がったグループでありながら、いつの間にか白人一般に対しての憎しみを主張し始め、中には「白人であれば、誰であっても殺されて当然」と言わんばかりのスローガンを掲げるメンバーもいる。

Trevor Noah didn't "destroy" Tomi Lahren on The Daily Show. What he did was much better. - Vox

 
このグループの主張は確かに極論であり、実際に警察官に対する政治メッセージを持った殺害が何件もおこなわれている点から考えて、国内のテログループと言われても仕方がない。トミ・ローレンは決して知的なテレビ司会者とは言えないが、それでも彼女のブラック・ライブズ・マターに対する反感には共感できる。
 
ところが番組ホストのトレイヴァー・ノアは、ブラック・ライブズ・マターに対する、異なった意識を持っている。彼の意見はどちらかと言えばブラック・ライブズ・マターに対して同情的であり、この組織の元々の意義を認めようとしている。これに反感を覚えたローレンは、KKKを引き合いに出し、ブラック・ライブズ・マターの方が悪質だ、という意味で、「KKKが一体何をしたの?」と聞き返した。

 

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    デイリーショウに出演するトミ・ローレン(左)とホスト役のトレイヴァー・ノア(右)
 
ノアは「今、KKKが何をしたの?って聞いた?」と自分の耳が信じられない様子で聞き返し、「ブラック・ライブズ・マターは、とにかくKKKとは違う」と、物わかりの悪い子供に対してルールを説明するように答えた。
 
KKKとブラック・ライブズ・マターが違う事は両者が同意している。問題は、両者とも自分の支持するグループの方がマシだと強く信じている点だろう。
 
当然ながら、ブラック・ライブズ・マターの運動を批判し、その暴力性を否定する為にKKKを引き合いに出すことは間違っている。またブラック・ライブズ・マターを引き合いに出してKKKや白人至上主義の台頭の正当性を訴える事は許されない。トミ・ローレンの議論は、この時点で決定的な過ちを犯している。
 
勿論、KKKとは違うからと言って、実際に警察に対する犯罪行為を犯し、白人に対する憎しみを煽動しているブラック・ライブズ・マターの正当性を訴える事は許されない。ここにトレイヴァー・ノアの論理の誤りがある。
 
殆どの良心的な人々は、ブラック・ライブズ・マターによる警察への暴力に反感と怒りを抱きながらも、KKKや白人至上主義に陥ることなく平和的な共存や解決を望んでいるからだ。KKKかブラック・ライブズ・マターかではない。その両方共が極論であり、間違っているのだ。
 
極端なリベラル政治は偏狭なナショナリズムを生む。偏狭なナショナリズムよって国民は優越意識を高め、更に自国の優位性を誇るイデオロギーを先鋭化していく過程で、極端な差別思想が生まれるだろう。そうなれば、そこまでは同意できない多くの『脱落者』を量産していくが、一部のファナティック(狂信者)らによって、政治が引きずられていく場合もある。
 
日本人の殆どは潜在的な保守派であると言って良い。これは、先進国で日本が唯一、宅配のシステムによって主要メディアの新聞を読む国民が大多数を占めている事と無関係ではない。社会的責任ある主要メディアによる報道から得る情報によって、多くの日本人は過激思想からは距離を置いてきたのだ。(勿論、朝日新聞の報道などを取り上げて「騙された」感じた保守派も多いだろうが、落ち着いて考えて見れば、一部保守派から『捏造』と呼ばれている朝日新聞の『誤報』や『主張』は、インターネットやソーシャル・メディアで流れる明らかな陰謀説と比較すれば、遥かに真実性がある。)
 
殆どの日本人は、例え中国や韓国によるプロパガンダに行き過ぎを感じていても、中国大陸が舞台となった第二次世界大戦で、日本人の方こそが被害者であるなどとは考えられないし、自他の中に中国人や韓国人に対する差別意識が高まれば、警戒感を抱く。勿論、これらの国の人々が地球上からいなくなることを願う極論には到底ついていけない。
 
極論への答えは、別の極論ではない。余りにも行き過ぎた論理に対抗する為の知恵は、感情的反発による短絡的思考からは生まれない。まずは、湧き上がる怒りや行き詰まり感から自由になり、知識や知恵から学ぶ必要があるだろう。
 
知識や知恵を軽んじ、感情を駆り立てる情報に煽動されれば、結局、極論に導かれてしまう危険性のある事を、忘れるべきではない。