オバマ大統領広島訪問---私が保守派アメリカ人に同意する理由

米国の保守派メディアが、こぞってオバマ大統領の広島訪問と、そのメッセージを批判する記事を掲載した事は、以前書いた通りです。
 
この広島訪問に対する日米の温度差があることは、多くの指摘にあるようですが、私は米国保守派の批判や懸念は、理に適っていると考えます。私は同時に、日米の和解が演出される事にも違和感を覚えます。和解と言えば、終戦を迎え、講和条約を受け入れた時点で既になされており、それからの日米関係は、米国の核の庇護のもとに守られて来ました。戦後の日本の平和はアメリカの核によって守られてきたと言って過言ではありません。
 

f:id:HKennedy:20160604030317j:plain

 
原爆投下の謝罪を日本政府が求めていない事は当然ながら、多くのアメリカ人は、この問題を日米間の問題としてだけではなく、軍事戦略的な問題として見ています。確かにオバマ大統領は「申し訳ありませんでした」とも、「アメリカは過ちを犯しました」とも発言をしていませんが、演説の内容から考えれば、アメリカの核開発、及び核兵器使用を悪と位置付けています。
 
私はアメリカの核兵器を非道な兵器と認めながら、その使用に関しては、「日本に残されていたもう一つの可能性ほど悪くは無かった」と考えています。これは当時の日本海軍人、陸軍人に直接あたって調査をされた秦郁彦氏の以下のまとめによります。
 
『筆者は以前から当時の陸海軍関係者と会うたびに「原爆とソ連参戦の衝撃はどちらが大きかったか」と聞くことにしている。答はあい半ばするが、一方だけでは足りず、二つの衝撃が重ならなかったなら、二十年八月の時点での終戦は不可能だったろう、という点では一致する。ソ連を通じる和平仲介の失敗で、手掛かりを見失っていた終戦派は、このダブルショックをきっかけに、「黙殺」したままになっていたポツダム宣言を受諾するという方式で、一気に終戦へ持ち込もうとした。』 秦郁彦著『昭和天皇 五つの決断』(P.71)
 
二つの原爆投下とソ連の参戦が無ければ、8月の終戦は無かったことを認めるならば、見逃したくない可能性が、日本国土の南北分断です。
 
アメリカが原爆を投下しなかった場合、日本の降伏が決断されないまま、ソ連の侵攻に対して日本は食い止める戦力を持たずに、侵略は続けられていたでしょう。どの時点で、米国がソ連の侵攻を止める為に介入をしたかはわかりませんが、アンジェイ・コズロウスキー博士の予測される通り、日本の北(東)部半分、朝鮮半島と同じ運命を辿り、分裂されていたとすれば、共産主義の下で殺害されたであろう人数は、勿論、原爆による被害を上回ります。
 
この現実的な可能性を考えれば、原爆という兵器が如何に残酷な兵器かという議論よりも、二つの原爆投下、及び、ソ連参戦に及んでも徹底抗戦を叫んでいた強硬派の『精神論』や『イデオロギー』の責任こそが議論されるべきだと思われます。
 
原爆投下によって、広島や長崎の方々が被爆され、犠牲となった事は歴史の事実ですが、その他一般の多くの日本人は、原爆投下によって益を受けました。これこそ、厳しく複雑な現実です。
 
同じような、暴論とも聞こえる真実は、アフリカから連れて来られた現在の黒人奴隷の子孫にも言えることです。即ち、「今日の我々は、過去の祖先の多大な苦しみによって恩恵を受けている」という真実です。
 
但し原爆と黒人奴隷の問題との決定的な違いは、アメリカは、再び核兵器を使用する政策によって戦争を終結させる決断をする必要に迫られる可能性がある点にあります。
 
アメリカの保守派が最も強く批判している点は、大統領という存在が国家の政策を意味する為、オバマ大統領の広島訪問が、むしろこれからのアメリカが核使用の可能性を破棄するかに見える点でしょう。
 
アメリカは国家として、原爆投下を悔いる姿勢を見せるべきではありません。核兵器使用に躊躇を見せれば、現在、また将来の防ぎ得る戦争や紛争への歯止めがなくなるからです。
 
以下に、ハフィントン・ポスト紙の和訳した広島スピーチを引用して、アメリカ人がなぜこの演説を問題視しているか、考えたいと思います。

www.huffingtonpost.jp

 
『71年前の明るく晴れ渡った朝、空から死神が舞い降り、世界は一変しました。閃光と炎の壁がこの街を破壊し、人類が自らを破滅に導く手段を手にしたことがはっきりと示されたのです。』
 
オバマ大統領の発言では、「人類が自らを破滅に導く手段」として原爆についてが言及されていますが、原爆さえなかったら、人類は自らを破滅に導く手段を得ていないのでしょうか。もっと突き詰めて考えれば、原爆は通常兵器やその他の(日本も所有し、使用していた)化学兵器と比較し、何が違っているのでしょう。オバマ大統領の演説は、人類が原爆投下以前のおよそ30年間に渡る二つの大戦、ソヴィエト連邦や中国共産主義による約1億人の殺害、及びホロコーストなどの犠牲で、原爆を使用しなくても自らを破滅に導いていたことを無視していると言わざるを得ません。
 
『広島と長崎で残酷な終焉へと行き着いた第二次世界大戦は、最も裕福で、もっとも強大な国家たちの間で戦われました。そうした国の文明は、世界に大都市と優れた芸術をもたらしました。そうした国の頭脳たちは、正義、調和、真実に関する先進的な思想を持っていました。にもかかわらず、支配欲あるいは征服欲といった衝動と同じ衝動から、戦争が生まれたのです。』
 
この文脈を読めば、アメリカの参戦が「支配欲あるいは征服欲といった衝動と同じ衝動」によるものだと主張していると読めますが、第二次世界大戦のアメリカの参戦は、「支配欲や征服欲」によるものではありません。この『歴史観』は、オバマ大統領が今まで繰り返し、主張してきた「アメリカは過ちを犯した」という歴史観と一致しますが、これは史実に基づいてはいません。
 
アメリカの参戦は、日本とドイツからの宣戦布告によるもので、それまでの日米交渉は日本軍の中国大陸からの撤退を促すものではあっても、アメリカが日本に代わって支配し、征服しようとした為ではありません。
 
戦争というものが、双方あって初めて起きるにしても、それを避ける為には双方が同等の責任を負うとすれば、先に攻撃をした側も、反撃や報復に出た側にも非があることになります。
 
勿論、全ての日本人に戦争の責任はありませんが、戦争を始めたのは、国家としての日本であり、ドイツです。アメリカにとって、宣戦を布告され始まった戦争の責任を、双方が負うべきであるかのような主張に、多くのアメリカ人が反発をするのは当然でしょう。
 
『どの大陸でも、文明の歴史は戦争で満ちています。戦争は食糧不足、あるいは富への渇望から引き起こされ、民族主義者の熱狂や宗教的な熱意でやむなく起きてしまいます。』
 
『どの偉大な宗教も、愛や平和、正義への道を約束します。にもかかわらず、信仰こそ殺人許可証であると主張する信者たちから免れられないのです。』
 
オバマ大統領は、「どの大陸でも」、「どの偉大な宗教も」という言葉を用いていますが、或るイデオロギーは他のイデオロギーより殺人的であり、或る宗教は、他の宗教よりも暴力的であるのが事実です。時間さえ経てば、全てのイデオロギーや宗教が、自ら平和的な道を歩むわけではありません。全ての宗教、全てのイデオロギーを悪として、より危険な教えを相対化する事は、巨悪に対する対処を滞らせる原因となります。
 
『しかし、私の国のように核を保有する国々は、勇気を持って恐怖の論理から逃れ、核兵器なき世界を追求しなければなりません。』
 
オバマ大統領の演説の中で最も問題と思われる主張は、アメリカが核を所有する理由を「恐怖の論理」としている点です。現在の世界平和は、アメリカの突出して強力な軍事介入を含めるリーダーシップによって保たれています。アメリカのような国が核を保有する事と、中国やロシア、北朝鮮、またイランのような国々が核を保有する事を同等に考え、等しく核廃絶を追求しようとするオバマ大統領の主張は、単純化すれば、警察と犯罪組織の武器所有を等しく考える事と同じです。
 
私が日本の多くの方々のご意見に賛成できず、オバマ大統領の広島訪問と演説に反発したアメリカ人に同意している理由に、アメリカの核と同盟に守られてきた70年を重要視している点があります。
 
これは原爆の犠牲となられた方々の命や、その犠牲を蔑ろにしているからではありません。
 
但し、原爆の被害が大きければ大きいほど、また、いざとなればアメリカが原爆を再び使用する可能性が高ければ、高いほど、巨悪に対する抑止力となってきた事実があります。そのアメリカの核の傘のもとで、我々後の世代が守られてきたと言えるのです。
 
コーネル大学の調査によれば、約1億3千万から1億5千万人にも上る20世紀の『戦死者』の中で、1945年以降の戦死者は、約4千100万人だと言われています。核爆弾が開発され、アメリカの絶対的な軍事力と、世界の警察官としての軍事介入の可能性が示されて後の、第二次世界大戦後の戦争や紛争による犠牲者は劇的に減少しているのです。これは、国際紛争や内紛が限度を超えれば、アメリカの軍事介入があることを暗示することで、広島や長崎の悲惨な被害を避けようとする思惑が働くからです。
 
ここに、広島や長崎の被害が、世界の平和に貢献してきた事がわかります。
 
原爆使用を反省しようとする意見は、現在のアメリカや欧米のリベラル派に多く見られます。「アメリカは世界の警察官ではない」と宣言する大統領の下、"原爆を反省"し、"普通の国となったアメリカ"は、現在多発しているテロに対して、対処する政策をとろうとしません。その結果、虐殺は面白いように横行し、民族浄化も行なわれています。
 
『和解』を演出する訪問は、巨悪にも軍事介入せず、全ての宗教やイデオロギーを相対化し迎合する大統領による、世界の警察官であったアメリカの退任式として米国保守派には映りました。彼らの抱える憤りこそ、私は理に適っていると考えます。