オバマ広島訪問に期待する、非現実的な『核の無い世界』

ケリー国務長官の広島訪問を受けて、オバマ大統領の広島訪問が取り沙汰され、70年前の原爆投下への謝罪を期待する声が、多くあるようです。
 
オバマ大統領の広島訪問、及び、謝罪をもって、『核の無い世界』への第一歩だとする考えには、私は強く反対致します。
 

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まず、世界は間違いなく、『核の無い世界』ではなく、『より多くの国が核を所有する世界』へ変わってきています。たとえオバマ大統領が原爆投下について謝罪し、アメリカの核兵器を廃絶したとしても、核兵器は世界から廃絶されません。
 
アメリカの謝罪や「核の無い世界を目指す」理想的な社会に向けたスピーチで、北朝鮮の金正恩は自国の核を廃絶するでしょうか。
 
アメリカが核を手放せば、中国、ロシアもそれぞれの核兵器を廃棄するでしょうか。
 
常識で考えても、これらの国々が核兵器を手放すことはなく、日本の置かれている地理的条件を考えれば、アメリカが核兵器の所有に消極的になることで、日本の安全保障が脅威に晒されます。
 
「核兵器のない世界」という美しいスローガンは、「軍隊のない世界」を目指すことと同じくらい、中身と現実性がありません。
 
ちなみに核兵器は、アメリカよりも、北朝鮮やパキスタンのような、一般兵器による戦力の劣る国が使用する可能性が高いと言われています。
 
ロシアや中国の一般戦力も、比較して高くありません。これらの国々の一般兵器戦力は、西側の戦力よりも30年程度の遅れをとっています。
 
中国が尖閣に対して侵略を果たしたとして、一般兵器による戦いでは日本の自衛隊だけで対処ができるかもしれませんが、そうなれば、中国のような国は核兵器の所有を躊躇わないでしょう。
 
これを抑えてくれるのが、アメリカの『核の傘』です。日本が必要としているのは、原爆投下への謝罪ではなく、アメリカの『核の傘』なのです。戦後同盟国として日本の安全保障を担ってきたアメリカの核を非難しても、現在の私たちが受けるものは何もありません。
 
過去の歴史、ハッキリ言えば、第二次世界大戦の『傷』の為に謝罪を求める声は、戦後まもなくの時代よりも、当時の生存者の数が少なくなっている今日に多くあります。また怒りの声を上げる人々の殆どは、直接の被害者ではありません。
 
現在の日本に住む殆どの人々は、アメリカの核の被害者ではなく、アメリカの核の傘の下に恩恵を得てきた人々です。
 
これは、原爆の被害を過小評価したり、被害者に想いを馳せることを怠る勧めではありません。被害者への補償や労りは、日本国から充分になされるべきです。
 
因みに、私が最も尊敬するアメリカ人保守派知識人は、フーバー研究所の上級研究員であるトーマス・ソーウェル博士(85歳)ですが、博士はノース・カロライナ州で生まれ、ニューヨークのハーレムで育った黒人です。
 

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博士は、奴隷制度の為に、現在のアメリカ政府をもって黒人に謝罪と補償をさせようという案に対して、以下のように反対する考えを述べられています。
 
「奴隷制度によって、最も損害を被ったのは奴隷とされた人たちです。それでも、彼ら奴隷の子孫は、今日アメリカではなくアフリカに生まれていたとしたら、もっと酷い状態であったでしょう。言い方を変えれば、先祖の被った酷い運命によって、彼らの子孫は益を受けているのです。」
 
原爆を投下したアメリカを非難することは易しいことです。
 
それでも、「もし原爆が投下されなかったら日本はどうなっていたか*」、また、その後の「アメリカの『核の傘』がなければ日本はどのように自国を守り得たか」について真剣に考えれば、激しい戦争を乗り越え、お互いに許し合った世代の決断を疎かにして、感情的溜飲を下げる事のみに現を抜かすべきではありません。
 
(*秦氏の研究調査の結果によれば、日本は1945年8月に降伏をせず、ロシアの侵略と共産主義化に任せるままになっていたと言われています。)