オバマの謝罪がもたらすもの
日本側の意見として、「70年前の原爆投下に関して、何とか米国大統領からの謝罪を受けたい」、「日本こそ被害者である」という感情論がありますが、オバマ大統領の広島訪問の予定を受けて、保守派メディアや世論は、「広島や長崎の被害者に対して哀悼の意を表するとすれば、それには反対をしないが、日本とドイツの侵略について述べる文中で行なわれるべきだ」と反発されています。
たとえ、欧米左翼の自虐史観に凝り固まったオバマ大統領からの『謝罪』があったとしても、「日本は被害者である」という歴史観は、他国では定着しないだけでなく、戦時中の日本の戦争犯罪がより強調されることになりそうです。
そもそも、謝罪というものは、まず、直接の加害者が、直接の被害者に対して、加害行為が間違っていた事を認め、将来そのような行動はとらないという約束が前提に無ければ、意味がありません。
アメリカの投下した原爆に当てはめますと、加害行為が間違っていたと認める為には、まず①ほかの選択肢があったかどうか、②他の選択肢が可能だったかどうか、③他の選択しと比較して意図的に酷い結果をもたらそうとした選択だったかどうか等の考慮をしなければなりませんが、その結果、原爆投下以外の対案が選べたとは考えられていません。ですから加害行為であっても謝罪は出来ないと考えられています。
また将来同じ行動を取らないという約束や決意は、到底出来るものでもありません。アメリカが謝罪をするという事は、アメリカは今後核兵器を使用しないと公言する事になります。核兵器を所有していても、それを使用しなと公言するならば抑止力とはなりません。
その場合、直接の安全保障を脅威に晒すのは、アメリカの核の恩恵にあずかっている今日の日本です。
戦争によって双方が苦しんだことは事実ですが、それを乗り越えて今日ある事を強調する関係であるべきで、70年前の悲劇を蒸し返しても、実質的に得るものは何もないと考えます。