ナショナル・レビュー誌の書く『ファシズムに逆戻りする日本』
ナショナル・レビュー誌が『ファシズムに逆戻りする日本』という記事を掲載しましたので、これについて、意見を述べたいと思います。
なお、私はこのナショナル・レビュー誌の記事の全てに同意をしているわけではありませんが、大筋、このような『ひどい誤解』を招いた責任は、ナショナリスト的言論のもたらす影響や結果を顧みない日本の側にあると考えます。
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ナショナル・レビュー誌は、アメリカの保守派メディアでありながら、伝統的保守派の原則を重視する傍ら、偏狭で感情的なナショナリズムを否定し、その多くの寄稿者は共和党支持者でありながら『反ドナルド・トランプ』を掲げる、真のジャーナリズムの一つとして数えられています。
昨日、そのナショナル・レビュー誌が「ファシズムに逆戻りする日本」という記事を掲載しました。これは憲法改正を掲げる自民党の衆議院選挙の勝利に警戒感を発したもので、この記事を書かれているのは、同じく保守系言論誌である「The Weekly Standard」にも寄稿するジョシュ・ギャラーンター記者です。
日本が抱える深刻な安全保障の危機や、地政学の変化、今後の日米同盟の在り方を考えれば、日本の『憲法改正』の動きは、一番の同盟国であるアメリカに歓迎されるべきで、実際にアメリカでも、多くの保守派メディアは今まで日本の憲法改正を好意的に支持してきました。
ところがギャラーンター記者は、それまでほとんど米国の保守派メディアが懸念してこなかった『憲法改正』、『国歌斉唱』、『旭日旗掲揚』等の意図を、最悪の偏見を通して解釈しようとしているように思えます。それでも、実はこのような誤解を招いている主な原因は、日本側のナショナリストの主張であると考えます。
あからさまな反日左翼リベラル派のメディアならともかく、ナショナル・レビュー誌のような保守派言論誌が日本の憲法改正を「ファシズム国家に逆戻り」と書いた事は懸念されるべきであり、このような誤解の原因がどこにあるのか、またこれの意味する事が何であるかを考える必要があります。
この記事は、憲法改正への懸念の原因として、まず「『天賦人権』を『西洋の価値観』とした上で、これを否定する自民党の憲法改正草案」を問題視しています。
自民党の憲法改正草案は、
『天賦人権説は西洋的な「神の下の平等という観念を下敷きにした人権論」なので、日本独自の考え方によって「第十一条 国民は、全ての基本的人権を享有する。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利である」に改めるとしている。』
となっています。
そもそも『天賦人権論』は、「すべて人間は生まれながらに自由かつ平等で、幸福を追求する権利をもつという思想」ですが、これを「西洋的な人権論」として否定する事にどういった理があるのか、なぜ「西洋的な人権論」を否定し、「日本独自の考え方」に改めなければならないのか、なぜ現在の「日本の考え方」が「西洋的な人権論」に対立するものなのか、言い換えれば、日本は西洋と比較して人権に対する考え方が違うと自ら宣言したことになりますが、その理由が、他者・他国に理解できるようには全く説明されていません。
説明責任を果たしていないということは、相手の側の憶測や想像、時には疑念に任せる事になります。
自民党は他者への説明義務を果たしていないだけでなく、片山さつき議員などは自身のツイートで、『天賦人権論をとるのは止めようというのが私たちの基本的考えです。国があなたに何をしてくれるか、ではなくて国を維持するには自分に何が出来るか、を皆が考えるような前文にしました!』と述べています。
全ての人が生まれながらに持つ『天賦人権』、或いは『自然権』と呼ばれるものは、「人間が、自然状態(政府ができる以前の状態、法律が制定される以前の状態)の段階より、保持している生命・自由・財産・健康に関する不可譲の権利」であって、納税や教育を施すといった、国民としての義務を怠ったとしても侵されるべきでない『基本的人権』です。日本国民としての義務の遂行の代価として与えられる「参政権」などの『国民の権利』とは、全く別の次元の権利です。
片山議員は、参議院外交防衛委員会の委員長を務めた人物ですが、全ての人が生まれながらに持つ『基本的人権(天賦人権)』と、『義務の伴う国民としての権利』を混同されているのかもしれません。
混同されていないとすれば、片山議員の言う「私たちの考え」が、「西洋的」な「天賦人権」に替えて「国が何をしてくれるかではなく、国を維持するには自分に何が出来るか」という意識を国民に課すものとなり、(尤もこの発言は、故ケネディー大統領が演説中に述べられた発言として有名で、皮肉なことに『西洋的』な考えであると言えますが)「日本的な考え」とは、人が生まれながらにして持つ「基本的人権」を認めないものだと解釈をされても仕方ありません。
世界の国々の中にも、国民や住民の基本的人権を求めない国家は、イスラム教主義国や共産主義国等のファシスト国家にありますが、これらの国々はアメリカとの基本的原則や価値観を共有していない国々として考えられています。
ナショナル・レビュー誌は「新憲法は衆参両議員の三分の二の賛成があれば、国民投票にかけられる。自らの人権に反対して投票する率が51%を超えるとは考えられないが、一方では与党が三分の二以上の議席を確保した」と書き、日本国民がなぜ今更自らの基本的人権を否定する(としか考えられない)憲法改正を望むのか、理解に苦しんでいることが伺われます。
欧米における戦前の日本に対するイメージは、ナチス・ドイツやイタリアといったファシスト国家との同盟によって、基本的人権を否定するファシズム国家として考えられています。「アメリカによる戦後の占領によって、日本はファシスト国家から近代民主主義国家へと変わった」という解釈を、殆どのアメリカ人が有しています。
これは事実とはかけ離れた姿とも言えますが、真に日本の明治、大正、昭和史を知り尽くしているような欧米人でなければ、多かれ少なかれ、こうした見識を持っているでしょう。たとえ事実とはかけ離れていても、こうした見方が現実に定着している現在、東京裁判の否定や現行憲法の規定する『人権論』への異論は、「日本は戦前の姿に戻ろうとしているのでは」という疑いを生じさせます。
このような疑念にお墨付きを与えているのが、日本のナショナリストや過激右翼による、戦前復古を思わせる主張です。
自民党は去年11月20日の総務会で、極東国際軍事裁判(東京裁判)や占領時の憲法制定過程など過去の歴史を検証する「歴史を学び未来を考える本部」の設置を決めましたが、旗振り役となった稲田朋美政調会長は「東京裁判で裁かれた日本の歴史、占領期間も含めてきちんと自分たちで検証することが必要だ」と繰り返しています。本部設置は従来の歴史認識に不満を持つ保守層の声を受けて決まった側面があることを否定できません。事実、東京裁判史観と否定する言論人は、「中韓両国の対日歴史戦に対して、わが国は歴史の事実を具体的に発信するしかない」としてこの勉強会に期待を寄せています。
「裁判を受け入れて日本は独立を回復したので、効力は認めるが、とらわれる必要はない」と東京裁判について語っていた稲葉政調会長の立てあげた勉強会が東京裁判を否定するものではなく、政治家が個々にではなく党内で勉強会を開く事に政治目的が全く無いと主張する事にこそ無理がありますが、たとえ東京裁判に対する直接的な否定に繋がらなくても、そういった受け取りを他者によってされる事は勉強会に出席される面々も承知されているでしょう。
憲法改正を掲げる自民党が東京裁判を否定し、戦前復古を試みているのではないかとナショナル・レビュー誌が疑うもう一つの要因に、自民党議員が多く連なる『日本会議』の主張があります。
「自民党は『西洋の天賦人権説』に一体何の不満があるのか、と思われるかもしれない。安倍晋三を含む多くの自民党議員や大臣らは、日本会議という過激ナショナリスト団体のメンバーである。最近まで文部大臣であった下村博文によれば、この組織は『日本は第二次世界大戦において日本が犯罪を犯したという自虐的歴史観を棄てるべきだ』と主張している。実際、日本会議の史観によれば、日本は戦争の被害者側である。議会調査局によれば、日本会議は『日本は第二次世界大戦中、東アジアの国々を開放させた、と称賛されるべき』であり、『東京裁判は正当性が無く』、また『南京大虐殺は誇張されたか、或いは捏造された』と信じられている。中国人や韓国人の『慰安婦』が日本軍によって強制売春させられた事を否定し、日本が現行憲法では禁じられている軍隊を再び持つべきだと考え、天皇崇拝を復活させるべきだと述べている。」
現在の日本を取り巻く極東アジアの安全保障上の必要から、憲法改正が叫ばれて久しくありますが、日本国民の多くが「戦前の日本に逆戻り」を願って憲法改正を掲げる自民党に投票した筈はありません。『日本会議』が開いた安倍晋三首相率いる自民党圧勝を祝うパーティーにおいて、旭日旗が掲揚され、国歌斉唱が行なわれても、それが戦前の『ファシズム』の再台頭を意図したものでは無い事は、殆どの日本人や親日派には理解できます。
但しこういった「理解」は、真の知日派、或いは親日派でなければ期待できない、という別の側面があることも忘れるべきではありません。
折りに触れてなされる海外に対する謝罪の意の表明によって懸念のいくらかが払拭されても、誤解を招く発言が自民党や日本会議から出ているにも拘らず、安倍首相がこれらの議員との距離を置かなかった事は、大きな誤りであると言えます。
また排他的ナショナリズムの台頭としてヘイトスピーチが取り沙汰され、挙句の果てにはナチスによるユダヤ人虐殺を否定し、大日本帝国だけでなく、ナチスを礼賛するスローガンを掲げたデモさえ行なわれた事もありますが、このような主張をする人々の多くが自民党支持者である事は米国の疑いに拍車をかけるだけです。
また、日本が戦争犯罪の否定を試みれば試みるほど、反比例する形で、諸外国では戦時中の日本の残虐性を強調する主張が繰り返される原因となります。
米国のメディアや政府には、日本国内の言論や主張を検閲したり、禁じようとするつもりはありません。しかしながら、保守派メディアですら日本の憲法改正や自民党の勝利に懸念を表したことから理解できるのは、左翼リベラル派だけでなく、保守派やナショナリストを含めた米国の世論は、これから更に日本の安全保障を担う務めを厭う方向へと進んでいくことです。
「日本は情報発信能力に劣る」とは、自他も認める日本外交の難点の筈ですが、自らの意見を主張する能力に欠けると自認しているわりには、責任ある立場の政府議員らが、他者がどのように解釈するのかを全く考慮しない軽率な言論を繰り返している事に、私は憤りすら覚えます。
尤も、「アメリカが押し付けた」として東京裁判の正当性を否定するだけでなく、「GHQによって洗脳された」、「中韓の反日運動の裏にはアメリカがある」などと反米を煽動する『日本人保守派』にとっては、アメリカとの軍事同盟こそ余計なお世話かもしれませんが…