傷付く人々

米保守メディアであるNational Review誌と、「ラジオ・フリー・アジア」の報道によれば、中国政府は、中国新疆ウイグル自治区の、一家の男性を拘束されたウイグル人家庭に、漢民族の中国共産党員を「親戚」として隔月送り込み、何週間か共に過ごさせる事で「民族間の一致」を進めているようだ。この『ペア・アップで家族作り』プログラムは2017年から始められており、対象となっているのはウイグル自治区に住むイスラム教徒のうち、特に信仰心の篤いと見られる人々や、中国共産党政府にとって不都合な政治思想を持つと見做された人々だ。ウイグル自治区にはすでにいくつもの強制収容所があり、この中には約150万人の人々が収容されている。https://www.nationalreview.com/news/chinese-government-assigning-han-men-to-live-and-sleep-with-uighur-women-whose-husbands-have-been-detained-report/amp/?__twitter_impression=true&fbclid=IwAR0PT0Le_Cf8t3XZXG7scbjbEoHDowgq0Eod-E4UfCTqVQCTqtQ_af5klrs              

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自治区カシュガル市の中国共産党幹部によれば、彼自身70から80件のウイグル人家庭を担当し、漢族の共産党員をこれらの家庭に滞在させている。彼の話によれば、送り込まれる共産党員の殆どは男性であり、夫が強制収容所に送られて不在の家庭に日夜滞在し、夜はその家庭の妻と同じベッドで過ごすらしい。ウイグル人家庭側から不満を聞く事は一切ないと主張するが、こうした政策に反対をすれば、残された家族も強制収容所に送り込まれる。 https://www.rfa.org/english/news/uyghur/cosleeping-10312019160528.html  

こうした悲劇が国連で取り上げられる事は無い。結局、人権侵害を行なっている国々が多く加盟しており、それらの国々を抱えた上での多数決という方法で決断がなされ、主権国の同意が無ければその内政に介入できない国連という組織には、深刻な人権侵害を行なっている国々への対処法は無いのだ。真に国家間の平和に対する貢献や、テロリスト組織撲滅、内戦状態から少数派の人権を守る役割などを担って来たのは、主に米軍であり北大西洋条約機構(NATO)であったのだが、オバマ元大統領からトランプ現大統領に続く今日の米国は、自由主義社会のリーダーとしての役割から逃れようとするばかりだ。NATO加盟国でありながら、エルドアン大統領の下、すっかりイスラム原理主義色を強めるトルコは、自国の少数民族であるクルド人発起の警戒と米国の弱腰を見抜き、隣国シリアに侵略し、シリア自治区のクルド人らの民族浄化を始めている。停戦の合意を結んだものの、クルド人虐殺が止む事は無い。

また、私の友人には、シリア出身のイスラム教徒移民がいる。彼は2013年にアメリカに移住し、市民権申請の際には、移民局の係員に名前を変更する希望はあるか聞かれ、モハメッドというイスラム教徒特有の名前から、モーリスというキリスト教徒の名前に変えたそうだ。「あまり深く考えずに、両親にも相談せず変えてしまった。父さんは気付いても何も言わなかったけど、母さんにはすごく叱られた」と笑うが、彼は2012年の「アラブの春」と呼ばれる反アサド政権デモに、友人、親戚らと参加をし、一緒に参加をした多数の友人、親戚を失っている。

「我々は、顔を隠してデモに参加をしたんだ。デモに参加をしている人間の身元を割り出す為に、アサドは多くのスパイを潜ませているから、デモの話しなどは知り合いであってもしない。でも、そうやって注意しながら参加していたのに、たくさんの友人は逮捕され、それっきりだ。逮捕された中で、生きて帰ってきた友人はいない。みんな飢え死にさせられたか、拷問で殺されてしまったんだろう。仲の良かった友達が何人も殺されてしまったのに、僕がなぜ逮捕もされず、生き残って、今こうしてアメリカに住んで、平和に過ごしているのか、分からない。みんな、平和って何となく続いて当然だと思っているみたいだけれど、シリアだって2012年までは平和で、僕たちにも将来についての夢や考え、計画があったんだ。それが本当に一年のうちに全て変わってしまった。僕は家族と2013年にアメリカに移民してきたけれど、その頃にはISISの台頭も少し見た。でもISISだけでなくて、いろんなグループがそれぞれ市民を虐殺し始めていたんだ。平和なんて本当に脆いってことを、みんなあまり考えてもいないみたいだ。」

普段はにこやかで、出された物は何でも食べる。人懐こく、親しみやすい彼だが、シリアでの出来事を語る時には、決して他人には理解されない痛みを思い浮かべるかのように、時には静かになり、時には絶望的な怒りを覗かせる。

モーリスの話を聞いた後、私は米国や日本、韓国など、自由主義社会に生きる右派や左派が、共に自分たちこそひどい人権侵害の被害者であるかのように、その痛みを主張しているさまを思い出す。勿論、本当に苦しみを抱える人々もいるだろう。しかしながら政治問題の中に被害者として名前を出す人々の多くは、先に挙げたウイグル民族や、モーリスの友人らのような、真の人権蹂躙の被害者ではない。被害者であると誇張する事で、政治的発言権を得ようとしている場合が殆どだ。

私が中学生のころ、つかこうへいのエッセイ集、「傷つく事だけ上手になって」を読んだことがある。もう内容はすっかり忘れてしまったが、そのうちの一文だけは、ハッキリと覚えている。

「優しさに食傷気味の人々は、裏切る事によってのみ精神的高揚を得られるのです。」

その前後の文章を覚えていない為、つか氏の言いたかった事が何であったのかはわからない。しかしながら、自由主義社会で生きる私たちは、平和という優しさに慣れてしまっていないだろうか。その為に、まるで被害者である事を競い合うかのように、些細な事で怒り、傷ついている。