日韓の和解を妨げる両国のナショナリストたちに反対する

世界の悲劇と言われている過去の出来事の、その壮絶さを図る測りに、被害者の数の大きさが取り沙汰される。一概に『虐殺』と言われても、被害者の数は複数(最小は二人)から何百万人にまで登り、その悲劇がやはり数の多さで測られるのも、ある意味当然だろう。
 
悲劇に対する世界の関心や、その反省、防止、汲み取る教訓などの度合いや重要性が、ある程度被害者の数で測られるとすれば、被害者の数の算出は、政治目的や主観的な感情、動機に動かされたり、名誉や誇りの為に過小評価、或いは過大評価されてはならない。数の算出は、あくまでも客観的な調査を基に為されるべきで、やはり、どんなに被害者の気持ちに沿ったものであったとしても、政治動機で活動する運動家よりも、歴史家の専門とされるところだろう。
 
日本と韓国の間に横たわる『慰安婦問題』は、2015年の両国間の合意に於いて公的には解決がついたと欧米では報道されていた。勿論、海外の報道にしても、両国のナショナリストらや活動家から猛烈な反発があり、それを抑えた上での合意であった事は当初から報道されていた。2016年になり米国大統領選挙が毎日のニュースの多くを占める中、慰安婦問題をめぐる市民団体の不満などに割く紙面が無かった側面はあったとしても、目にする限り、「日本は謝罪をしていない」や「日本の謝罪は充分ではない」といった報道が米メディアでされたことは無い。安倍首相による謝罪と10億円の補償金を含む2015年の合意を以て「日本は歴史を歪曲しようとしている」等の批判は、ほぼ収まったというのが実感である。
 
この問題が再び浮上したのは、在釜山日本総領事館前に新たな慰安婦像が市民団体によって設置される動きに反発して、安倍政権がソウルからの大使、領事などの外交官を召還した事に発する。このニュースや、慰安婦問題の解決を拒む市民団体の頑固な反日ナショナリズムとしてではなく、中国が戦艦を運航させ、北朝鮮がミサイル発射を行なう中、共通の脅威に直面する韓国との外交チャンネルを遮断した日本政府の、安全保障を顧みない感情的な判断ミスとして報道された。
 
2015末に結ばれた合意の際にこの合意を高く評価しながらも、この合意が決して両国における民間の言動を制限するものではない事を繰り返し主張してきた私にとって、日本政府による韓国政府は合意を順守していないという批判は的外である。あの合意内容を読んで、韓国政府が市民団体による慰安婦像設置を認めないと理解する事には無理がある。この理解は、日本の右派が繰り返し述べてきた通りであり、その通り、韓国政府が民間による像の設置を阻止しなかったからと言って、『合意違反』である筈が無いのだ。政府や外交関係者がまさか自分たちの結んだ合意の内容や解釈、また適用を理解していなかったとは到底考えられない。
 
であるから私は、国内の反韓ナショナリズムに配慮するかのように外交手段を遮断した日本政府の対応を、第三世界、或いは発展途上国に見られる法や条約を鑑みない外交であるかのように批判した。また、慰安婦像が設置される事が生存に関わる一大事であるかのように、またこれが日本の将来に影響するかのように怒り嘆く日本のナショナリズムも厳しく批判した。ナショナリズムに便乗する形でのさばる韓国人へのヘイトスピーチも、「韓国人も日本へのヘイトスピーチを行なっている」という主張がある事を承知しつつも、『日本の評判を落とすものは韓国人による言動ではなく、日本人の言動である』という視点から、厳しく断罪した。
 
ところが勿論、愚論や極論は日本だけにある筈はない。日本の反韓ナショナリズムを煽り、日本側の謝罪を困難にしている要因には、韓国による『被害者数の誇張』や『被害内容の歪曲』があげられる。韓国は慰安婦の総数を20万人と主張し、中国はそれに便乗する形で40万人を主張しているが、韓国人慰安婦20万人説や、中国による慰安婦40万人説の根拠は、国連マクドゥーガル報告書にあるという。ところがマクドゥーガル報告書が根拠にしているのは、自民党代議士であった荒舩清十郎氏の演説だけである。

慰安所と慰安婦の数 慰安婦問題とアジア女性基金

 

荒舩清十郎氏の慰安婦総数算出の根拠として、左派は「関特演の補給を担当する関東軍司令部第三課の課長だった原善四郎中佐が85万人の将兵へどれくらいの従軍慰安婦を動員すればよいかを算出し て二万人という数を報告したことが知られて」いるとしているが、これを『15年戦争の間の兵士総数300万人』という数と、慰安婦の交代(入れ替え)を考慮し『20万人』説を主張しているようだ。ところが、兵士総数が300万人としても、全ての兵士が戦場に駆り出されていた訳ではない。米国戦略爆撃調査団の報告によれば、中国大陸に駐屯していた日本軍兵士で100万人の戦力と言われ、当然ながらもう100万人は中国大陸以外の占領地域に送られ、残りは日本や朝鮮半島、台湾に駐屯していたのが事実だ。慰安婦の交代や入れ替えを考慮しながらも、戦場に駆り出されている兵士の入れ替えや実数を考慮しない点に、左派活動家の決定的な誤りがある。

United States Strategic Bombing Survey: Summary Report (Pacific War)

 
慰安婦問題だけでなく日本軍の動向や日本軍事史を調べた歴史家で、20万説を支持する歴史家はいない。慰安婦たちを性奴隷と定義する吉見義明氏だけでなく『帝国の慰安婦』を記したサラ・ソー教授も、主張している総数は5万人だ。
 
日韓合意に反対する韓国人活動家によれば、彼女がこの問題に対しての声をあげる理由は、スケールの大きい人権侵害にまず声をあげるべきだという彼女なりの優先順位があるようだ。「スケールの大きな人権侵害に対してこそ、まず声をあげるべき」という点は私も同意するが、果たして、世界中で横行する醜悪な人権の蹂躙を考えた時に、慰安婦問題こそがスケールの大きな人権侵害だと言えるだろうか。
 
彼女はスケールの大きさを図る目安として、冒頭にあげた通り、「被害者数」の多大さをあげているが、彼女の主張する慰安婦総数は20万人以上と考えているフシが伺える。彼女に言わせれば、少なく算出された慰安婦の総数は現存する物的証拠を基にしたものであり、この問題の全容を表していないらしい。彼女が主張する、物的証拠からの算出に頼れない理由は、全ての問題が記述されていた訳ではなく、また日本が戦争末期から敗戦時にかけて証拠を燃やしてしまったからだという。
 

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私は名誉や誇り、敵愾心をベースとしたナショナリズムには強く反対するが、「被害者の女性は可哀想だ」という感情をベースにした「イモーショナリズム(感情主義)」にも強く反対する。元慰安婦とされる女性個々の背景や状況にどんなに心を痛めたとしても、全容を探る為には、客観的な分析が不可欠であると考えている。
 
以下はポーランド人アンジェイ・コズロウスキーの考える慰安婦総数に関する意見である。
 
『性サービスの提供という慰安婦たちの働きを考えても、慰安婦たちを飢えさせ、着るものにも困る状況に押し込める事は出来ない。またラバウルに駐屯していた日本軍と彼らが管理していた慰安所についての記録は、オーストラリア人捕虜が詳細に記しているが、ラバウルでの慰安所がその他の地域の慰安所と異なっていたとする根拠がない。私が考える慰安婦の総数は1万2千人であり、それは秦博士の考える数よりも少ない。今からそれを説明しよう。
 
ラバウル周辺には10万人の日本兵がいた事が分かっている。ラバウルで捕虜になったオーストラリア人記者のゴードン・トーマス(*)によれば、ラバウルにいた慰安婦は3千人だ。これは多い方の計算である。少ない見積もりは、アメリカの「米国戦略爆撃調査団」があげた600人だ。私がなぜ米国戦略爆撃調査団の見積もりが真実に近いと考えるか説明しよう。(*Rabaul, Prisoners in Rabaul POW WW2.  Thomas Gordon.)  

United States Strategic Bombing Survey: Summary Report (Pacific War)

 
トーマスの記述によれば、慰安婦たちは一日につき約30人の兵士を相手にしていた。トーマスはまた、何人かの慰安婦たちは私設の売春宿でも働いていた。一日30人の接客数は、しばし繰り返されているのでこれが正確だと仮定する。もし慰安婦が3千人もいたとして、それぞれが一日30人の兵士の相手をすれば、彼女たちは10万人の日本兵のうち、9万人の日本兵を一日で相手していた事となる。これが不可能である事は、トーマスの記述には兵士たちは一週間に一日しか慰安所に通う休暇が与えられていなかった事から理解できる。(*兵士が一週間に一度しか慰安所に通えなかった事は、旧日本軍衛生兵として従軍した松本正義氏も証言をしている。) しかしながら、米国の調査通りの600人しか慰安婦がいなかったならば、この計算は自然な理解の範疇にある。600人の慰安婦が30人の兵士を相手にすれば、彼女たちが一日に接客した日本兵の数は18,000人となる。兵士たちが一週間に一度しか慰安所に通えなかったとして、彼女たちが10万人いた日本兵全てを接客するのには6日かかるだけだ。一日の接客数30人を現実的に考えるとすれば、10万人の日本兵に対して600人の慰安婦数を充てた調査団の計算が、最も理屈に叶っている。
 
中国大陸にいた日本兵の総数は100万人であり、その他の100万の日本兵は日本、朝鮮半島、また台湾以外のさまざまな地域に駐屯していた。米国調査団による慰安婦総数計算に照らし合わせれば、中国大陸にいた慰安婦総数は約6千人であり、中国大陸以外の日本占領地域にいたもう100万人の日本兵につく6千人の慰安婦と合わせれば、12,000人の慰安婦がいた事になる。彼らが利用しこの女性たちが契約が終わったり、あるいは死亡したりで交代や入れ替わりがあったとしても、総数の2倍を大きく超える事はあり得ない。秦氏の計算は、最小数ではなく、最大数に近いのだと考える。ちなみに、日本や朝鮮、台湾に駐屯していた日本兵は、この計算に含まれるべきではない。彼らが使用していたのは『慰安所』ではなく、この地の売春婦たちが「慰安婦」と呼ばれる事はなかったからだ。
 
韓国人活動家が、同情心や正義感から慰安婦問題に関心を持ち、元慰安婦たちの心の傷や不遇に対し心を寄せる事を非難するつもりはない。しかしながら、これを外交問題化していくからには、可哀想という心情とは切り離した客観性がどうしても必要となる。この客観性は、その他の歴史の悲劇を分析し、調査する際にも必要であった通りである。
 
活動家たちが慰安婦問題を重要問題とする為に、総数だけではなく、その他のプロパガンダも、何の証拠もなく言い立てられているのは事実だ。
 
「慰安婦たちは、日本軍によって強制的に連行され、性奴隷とされた」
「日本政府は謝罪や賠償をしていない」
「日本軍が証拠隠滅をする為に全ての証拠を焼却した」
「慰安婦たちは天皇からの贈り物として兵士たちに与えられた」
「慰安婦たちの多くは無残な形で殺害され、殆どの慰安婦は生きて帰らなかった」
 
国連や国際社会を舞台に、あまりにも荒唐無稽な言い立てによって日本を責めれば、たとえその動機が「個々の女性の悲劇に心を寄せ、彼女らに代わって声をあげる為」であったとしても、日本の側からの頑なな反発を招くことは必至だ。人間社会というものは、余りにも極端な言い掛かりをつけられても反論をせず、打たれ続ける為に頭を垂れるような『世捨て人』ばかりの集まりではない。
 
ウォール・ストリート・ジャーナル紙の報道によれば、韓国では、戦争体験者や年配層よりも、20代から30代の若い世代ほど、反日感情を高めているらしい。日本による朝鮮半島統治や慰安所の生活がたとえどれほど厳しいものであったとしても、実際にそれを体験した世代やその直後の世代よりも、全くそれを体験していない世代の方が憎しみや反感を覚える点に、ナショナリズムというイデオロギーの怖さを感じる。
この問題に関して、両国のナショナリストらが、解決の糸口を探ろうとしているとは正直言って思えない。歩み寄る傾向を見せないばかりか、歩み寄ろうとする同国人に対しては『売国奴』の汚名を容赦なく浴びせている。そうした中でも、例えば米国ニューヨークの韓国人団体は、日韓合意への支持を表明したと報道された。日本でも日韓合意を評価し、政府による大使召還を否定的に見る人々はいた。中国や北朝鮮の軍事動向を鑑みても、経済協力の必要性を鑑みても、全ての韓国人、また全ての日本人がこの問題をいつまでも長引かせたい訳ではない
 
日韓の政府共々、もう一度、怒りの感情を抑えられないナショナリズムに陥ることなく、合意の精神に立ち返る必要があるのではないだろうか。