「女のプシーをつかむんだ。好きな事をさせてくれる」...トランプ氏による致命的女性蔑視発言
メラニア夫人と結婚後数か月が経った2005年に、トランプ氏がソープオペラ(日中に放映されるドラマ)キャスト用のバスの中で男性クルーと交わした会話のテープとビデオが今日公開されました。
この中でトランプ氏は、既婚女性に対して相手女性の合意を得ること無しにキスをしたり性器を触るなど性的アプローチをとり、「スターであるなら、女性にはどんなことをしても許される」と豪語し、女性について「プシー(女性器の意)をつかんで言う事を聞かせる」と自慢していますが、このビデオはトランプ氏の一過性の過失を表すものではなく、むしろトランプ氏の人生観、女性観そのものであり、多くの人々が警告してきた事です。
このビデオのトランプ氏の邪悪な発言は、ビル・クリントン元大統領の不倫やレイプ疑惑と比較して、相殺できる類のものではありません。ビル・クリントン元大統領の不倫やレイプ疑惑は当時の共和党支持者を激怒させましたが、弾劾裁判の結果、有罪を求める票が三分の二に至らず、大統領罷免には至りませんでした。
この当時大統領を責めた共和党議員の偽善を罵った上で、モニカ・ルインスキーさんや、元大統領による性的ハラスメントを受けた女性たちを指して「負け犬」「不美人」「ビルが、もっと美しい、洗練された女性と不倫をしていたならば、世間はもっとビルの立場に同情したのではないだろうか」と、ビル・クリントン元大統領を擁護した人物その人がドナルド・トランプ氏です。
勿論、当時、ヒラリー夫人もこれらの女性を嘘をついていると非難しましたが、「夫を責める女性たちから夫を守ろうとした行為」として、世論からは容認されています。トランプ陣営は、当時のトランプ氏の元大統領擁護について「友人としての擁護だ」と弁明するならば、ヒラリー夫人の擁護の方が理に叶います。
しかもビル・クリントン氏が今日大統領選に立候補しているのではありません。
トランプ氏は、このビデオについて「10年前に交わされたロッカールームのような閉ざされた空間の中での男性同士の会話であって、これに不快を感じる人がいるならば、申し訳ない」と釈明しましたが、トランプ氏が今までに語った、女性を容姿で判断し、性的対象の道具として扱う発言にはキリがなく、ミット・ロムニー元州知事や幾人かの共和党議員が、このビデオでのトランプ氏の発言に対して厳しい批判をし、トランプ氏に立候補を取りやめるように促している点から見ても、「すべての男性はこのような会話をする」という反論も、「一過性の過ち」という擁護も、「まさか、このような発言があったとは誰も予見していなかった」という驚きも、全て真実とは言えません。
尤も、トランプ氏はこれで男性支持者からの支持票を失うことは無いでしょう。
実際、トランプ支持を表明している『福音派クリスチャン』の連合のロバート・ジェフリー牧師は、「我々はトランプ氏の発言を非常に不快に感じ、非難するが、トランプ支持には変わりがない。我々のトランプ氏への支持は、彼の私生活に対する共感ではなく、政策を基にしたものだからだ。私は彼を私の子供の通う日曜学校の教師にしようとは思わないが、今回の選挙はそのような類のものではない」と語っています。
Evangelical Leaders Shrug At Donald Trump’s Lewd Comments - The Daily Beast
日曜学校の教師にも相応しくないトランプ氏が、自由社会のリーダーとしてのアメリカ大統領として相応しい筈がないのですが、この発言からはトランプ支持の『福音派』がいかに大統領という任務を軽く考えているかが伺われます。
NATOからの撤退を行ない、ロシアのクリミア不法占領を容認し、同盟相手を変え、いくつもの貿易戦争や軍事戦争を挑発させ、アメリカの赤字にさらに5,3兆円増すような政策を掲げる無知極まりないトランプ氏が、果たして福音派が願う中絶反対を断行させるでしょうか。注意して聞けば、トランプ氏は中絶の問題についても、立場を二転三転させている事は明らかです。
トランプ氏により、女性を性的対象と見做したり、女性をその容姿に従って数値でランキングするような行為が容認されつつあり、トランプ支持者の中には、「年を取り、醜いヒラリー・クリントンと、美しいメラニア・トランプ夫人が大統領夫人としてホワイトハウスに入るのと、どちらが好ましいか」というような、性差別そのもののコメントすら多く見かけます。
KKKのような白人至上主義者にせよ、女性差別主義者にせよ、「トランプ氏のおかげで、ポリティカル・コレクトネス(政治的正しさ}を気にせず発言が出来るようになった」と喜んでいるようですが、所詮、そのような知性の持ち主は、ポリティカル・コレクトネスを気にして黙っていて『知性レベル』を疑われる方が、ポリティカル・コレクトネスを気にせず発言して、知性に関するすべての疑念を取り払われるよりは、マシだったと思われます。