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プーチンを権力の座につけた未解決犯罪 ②

プーチン・ロシア

2002年には、委員会のメンバーは無関心の波に直面するようになった。第二次チェチェン戦争は成功を収め、経済は成長し始めたのだ。プーチンの人気は今まで以上に増した。それでも委員会が本格的調査を始めた直後、アパートメント爆破テロの不信さを思い起こさせる別の事件が発生した。

 

3月、ノヴィエ・イズヴェスチヤ紙は、議会委員長であり、プーチンの側近であるゲナディ・セレズネフが、9月13日、ヴォルゴドンスクで爆発が起きたと発表した。これは実際の爆発が起きる3日前のことだ。同日、ウラジミール・ジリノヴスキー自民党党首は、ジャーナリスト達にセレズネフが語ったことを話した。ところが事実の確認が取れず、この情報は報道されなかった。

 

ところが9月16日、ヴォルゴドンスクの建物が爆破されたのだ。9月17日、ジリノヴスキーはセレズネフがなぜ前もってこの爆破について知っていたのかの説明を求めた。

 

「この国で何が起こっているか、お分かりですか?」彼は大声で、ジェスチャーを交えて議会の檀上から語った。「アパートメントの建物が爆破されたと月曜日に語れば、木曜日に爆破が起きるのです。これは政治挑発として調査されるべきです。」

セレズネフは回答を避け、ジリノヴスキーは自分のマイクの音声を消した上で、説明を求め続けた。

 

しかし同月、ノヴィエ・イズヴェスチヤ紙は、セレズネフが1999年9月13日に記者に語ったとされる声明の写しを入手することに成功した。彼が実際に語った言葉は、「ここに受信した情報があります。ロストフ・ナ・ドヌからの報告によれば、今朝、早朝、ヴォルゴドンスク市のアパートメント建物が爆破されました。」イズヴェスチャ紙は、彼が爆破事件の起こる3日前に、どこから情報を得ていたのか質問した。彼の答えは「(元権力者であり、この一連の爆破テロはプーチンによって計画されたことを主張して亡命中の)ボリス・ベレゾウスキーではありませんよ」であった。こう語ることで、彼は実際、誰から情報を得ていたのか、示唆していたのだ。

 

セレズネフはイズヴェスチヤ紙に、彼が9月13日に語ったのは9月15日に起きた起きた、犯罪者集団による被害者の出なかった爆破事件の一件を指したものだと主張した。ところがセレズネフの説明は、回答よりももっと多くの疑問を招く結果となった。何百人もの犠牲者を出したアパートメント爆破事件の翌日、なぜそんな大したことのない事件を議会議長に報告しなければならなかったのか。しかももし、セレズネフがヴォルゴドンスクで起きた小さな事件について語っていたとしても、それを2日前に知っていたのはどうしてなのか。

 

プーチンとFSBに対する新たな告発はロンドンから起こった。プーチン台頭に関与し、影響力が無くなったと同時に亡命する羽目になったボリス・ベレゾウスキーが3月5日に記者会見を開き、FSBがプーチンの命令の下、第二次チェチェン戦争を起こすためにアパートの爆破を実行したことを述べたのだ。

 

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                   ボリス・ベレゾウスキー、彼は2013年、自宅で不審死を遂げる

 

プーチンはベレゾウスキーの告発に対して、真の黒幕はベレゾウスキー本人であると述べ、自身は受け身的な関与しかしていないと述べるに留まった。プーチンはその後、ロシアで起こった全ての重要な政治的殺人やテロ行為をベレゾウスキーの責任としたが、アパートメント爆破事件については、殆ど沈黙を守るしかなかった。ロシアの広報員であるアンドレイ・ピオンコヴスキーによれば、「ベレゾウスキーの政治復活の見込みが小さくなればなるほど、彼の非難の声は高くなりました。まるで全く新たな政治ビジネスを始めたかのようです。権力者に対して、彼らの犯罪の暴露をするというブラックメールを送るビジネスです。」

 

先に述べた独立調査委員会は2月に始まり、重要な成果を挙げていた。ユシェンコフと議会副議長のユーリ・リャバコフが、ベレゾウスキーによって開催される記者会見に参加する為にロンドンへ渡った。ユシェンコフは前FBSエージェントで逃亡中のアレクサンドル・リトヴィネンコに遭った。アレクサンドル・リトヴィネンコは、ユシェンコフをもとFSBのエージェントでオーソドックス教会の共産党員であり、FSBとチェチェンの曽々木犯罪とのつながりを捜査して解雇されたミハイル・トレパシキンに紹介した人物だ。この会合の後、トレパシキンが調査委員会に参加することになった。

 

4月には、ユシェンコフはアメリカに渡り、1999年のモスクワ、グリャノヴァ通りでの爆破で母親を亡くしたアリオナとターニャ・モロゾヴァ姉妹にあった。モロゾフ姉妹は犯罪の被害者である。つまり、裁判所の判定に証拠を提出できるのだ。ターニャ・モロゾヴァはトレパシキンを法的代理人とし、彼女の代わりに彼が証拠を裁判所に提出できる権限を与えた。

 

爆弾が仕掛けられたグリャノヴァ通りの建物の地下室を借りていた人物は、北コーカスのカラチャイ・ケルケスに住むムキード・ライパノフのパスポートを使っていた。ところが本物のライパノフは、1999年2月に自動車事故で死亡している。これは爆破事件が起こる7か月前だ。

 

警察は、ライパノフのパスポートを使っていたのは、モスクワの建設会社で監督をしているアチェミズ・ゴチャエフというカラチャイ人であると発表した。グリャノヴァ通りの爆破事件の後、警察はこの建物の警備であるマルク・ブルメンフェルドに質問をし、彼が目撃した地下室を借りていた人物の特徴をもとに容疑者の似顔絵を作成した。ところがこの似顔絵は、全く似ていないゴチャエフの似顔絵と、すぐにすり替えられてしまった。ゴチャエフは、自分に建物爆破の容疑がかかっている事を知ると、すぐに行方をくらました。

 

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                     アパート爆破容疑がかけられたアチェミズ・ゴチャエフ


3月の終わり、リトヴィネンコの同僚である歴史家のユーリ・フェルシツィンスキーは、ゴチャエフの代わりを頼まれているとする人物から、電話を受けた。4月の終わりにはゴチャエフの仲介人から、「自分ははめられ、FSBに命を狙われている為に、行方をくらまさなければならない」とするゴチャエフの手書きの声明が提出された。

 

トレパシキンはゴチャエフの証言を信用し、一番初めに描かれた容疑者の似顔絵を集中して探し出すことを決意した。

 

ところが2003年4月17日の夜、モスクワにある自宅アパートメントで働いていた私は、セルゲイ・ユシェンコフが自宅アパートの入り口前で銃で撃たれて殺されたという知らせを受けた。私は翌月アメリカで出版される予定の「暗黒と夜明け」でアパートメント爆破テロはFSBの仕業であると訴えたが、同じ考えをしていたセルゲイが殺されてしまった。

 

セルゲイは委員会の活動的なメンバーであり、数か月前には、この爆破事件の真相についての暴露計画を熱意をもって語っていたのだ。私は立ち上がり、窓の外から見える建物や街灯、誰もいない道を見た。この国には一体どんな恐怖が横行しているのだろう。ロシアについて書いてきた27年で初めて、自分のアパートメントから外出する事に恐怖を感じた。

 

それから3か月後には、もう一人、委員会のメンバーであるユーリ・シチェコチキンが死亡した。彼は、体の皮膚が剝がれ、内臓が機能不全となる奇妙な病に罹った。ロシア当局は死体解剖をすることを拒否したが、遺族は筋肉組織のサンプルをロンドンに送った。このサンプルをもとに、暫定的に、彼がタリウムの中毒で死亡したことが解明された。タリウムとは、2004年9月にプーチンのボディーガードだったロマン・ツェポフが盛られた毒である。

 

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                 毒殺されたジャーナリストのユーリ・シチェコチキン

 

シチェコチキンとは1980年代からの友人だった。彼の死の少し前、彼はソヴィエト政権の下で情報員として働かされた人々について書いた自身の最新著「KBGの奴隷: 20世紀、裏切りの宗教」のコピーをくれた。それには「2003年になって、まだ生きているよ!」というメッセージが書かれてあった。

 

ユシェンコフとシチェコチキンの死によって、トレパシキンはアパートメント爆破事件について、活動的に調査をする唯一の人物となってしまった。彼は、ターニャ・モロゾヴァの法定代理人として、FSBのファイルを調べる権利が与えられたので、もともと描かれた容疑者の似顔絵を探すことにした。彼はファイルの中をくまなく探したが、それは見つからなかった。恐らく、ファイルから移動されたのだろう。

 

彼は予感を働かせ、FSBが回収をする前のオリジナルの似顔絵が、どこかに掲載されたかもしれないという期待をしながら、古い新聞のアーカイブを探すことにした。長い労苦の末、彼はそれを見つけることができた。驚いたことに、その似顔絵は彼の知っている人物で1990年代にはチェチェンの組織犯罪について調査を担当していたFSBのエージェント、ヴラジミール・ロマノヴィッチであった。

 

トレパシキンは次に、目撃者として似顔絵作成に協力をしたブルメンフェルドを探すことにした。ブルメンフェルドは、見つかり、トレパシキンと面談をすることに同意した。ブルメンフェルドによれば、彼は爆破事件の起きた朝、警察に地下室を借りていた男の特徴を説明した。ところが2日後、彼はレフォルトヴォ刑務所に送られ、FSBの係員によって、彼の証言の変更を求められ、別の男の写真に「見覚えがある」と言わせた。この「別の男」が、ゴチャエフだ。

 

Vladimir Putin & 1999 Russian Apartment-House Bombings -- Was Putin Responsible? | National Review