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ルワンダの虐殺・民族浄化-----アメリカの無い世界にようこそ (1)

1994年の約100日の間に、フツ族住民によって100万人を超えるツチ族が、最も残忍な方法で虐殺をされました。 犠牲者の大半は自身の住んでいた村や町で殺害され、直接手を下したのは多くの場合、隣人や同じ村の住人でした。

 

 

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民兵組織の一部メンバーにはライフルを殺害に利用した者もありましたが、民兵は大半の場合マチェーテ(農業や林業で用いられる刃物)で犠牲者を叩き切り、殺害を行ったようです。犠牲者はしばしば町の教会や学校へ隠れているところを発見され、フツの武装集団によって虐殺されました。一般の市民も、ツチやフツ穏健派の隣人を殺すよう地元当局や政府後援ラジオから呼びかけを受け、これを拒んだ者はフツの裏切り者として殺害されたようです。

 

『虐殺へ参加するか、自身を虐殺されるかのいずれか』の状況であっ たと言われています。

 

以下、ウィキペディアからの抜粋です。

Rwandan Genocide - Wikipedia, the free encyclopedia

ルワンダ虐殺 - Wikipedia

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 ルワンダ虐殺では莫大な数の犠牲者の存在とともに、虐殺や拷問の残虐さでも特筆すべきものがあったことが知られている。ツチに対して虐殺者がしばしば 行った拷問には手や足を切断するものがあり、これは犠牲者の逃走を防ぐ目的のほか、比較的背の高いツチに対して「適切な身長に縮める」目的で用いられた。

 

この際、手足を切断された犠牲者が悶え苦しみながら徐々に死に至る周囲で、多数の虐殺者が犠牲者を囃し立てることがしばしば行われたという。時には犠牲者は自身の配偶者や子供を殺すことを強いられ、子供は親の目の前で殺害され、血縁関係者同士の近親相姦を強要され、他の犠牲者の血肉 を食らうことを強制された。

 

多くの人々が建物に押し込まれ、手榴弾で爆殺されたり、放火により生きたまま焼き殺された。さらに、犠牲者を卑しめる目的と殺 害後に衣服を奪い取る目的で、犠牲者はしばしば服を脱がされ裸にされた上で殺害された。加えて多くの場合、殺害されたツチの遺体埋葬が妨害されてそのまま放置された結果、多くの遺体が犬や鳥といった獣に貪られた。

 

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(中略)

 国際連合ルワンダ支援団 (UNAMIR) の活動は、アルーシャ協定の時点から後のジェノサイドに至るまで、資源も乏しいこのアフリカの小国の揉め事に巻き込まれることに消極的であった大多数の国 連安全保障理事会メンバーにより妨げられ続けられた。そんな中でベルギーのみが国際連合ルワンダ支援団に対し確固としたマンデート(権限の委任)を与える ことを要求していたが、四月初旬に大統領の警護を行っていた自国の平和維持軍兵士10人が殺害されると、同国はルワンダでの平和維持任務から撤退した。な お、ベルギー部隊は練度も高く、装備も優れていたため、同国の撤退は大きな痛手となった。国際連合ルワンダ支援団側は、せめて同部隊の装備をルワンダへ残 していくよう依頼したが、この要求も拒絶された。

 

                                                          

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 その後、国連とその加盟国は現実から著しく外れた方針を採り始めた。国際連合ルワンダ支援団のロメオ・ダレール(国連ジェノサイド予防諮問委員会委員・ 国連平和維持部隊の司令官。)は以前から人員増強を強く要求しており、ジェノサイドがルワンダ各地で開始された4月半ばの時点にも、事態収拾のための人員要求を行ったが、これらは全て拒否された。さらに、虐殺が進行している最中に、ダレールは国連本部から"国際連合ルワンダ支援団はルワンダにいる外国人の 避難のみに焦点を当てた活動を行うよう"指示を受けた。

 

この命令変更により、2000人のツチが避難していたキガリの公立技術学校を警護していたベルギー の平和維持部隊は、学校の周囲が、ビールを飲みながらフツ・パワーのプロパガンダを繰り返し叫ぶ過激派フツに取り囲まれている状況であったにもかかわら ず、同施設の警護任務を放棄して撤収した。その後、学校を取り囲んでいた武装勢力が学校内へ突入し、数百人の児童を含むおよそ2000人が虐殺された。さ らに、この事件から4日後には、安全保障理事会は国際連合ルワンダ支援団を280人にまで減らすという国連安保理決議第912号を決定した。

 

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 ダレールは国連から与えられた停戦監視のみを目的とするマンデートを無視して住民保護を行い、4月9日には国連平和維持活動局本部から「マンデートに従うよう」指示を受けたが、その後もマンデートを無視して駐屯地に逃れてきた避難民を保護した。しかしながら、平和維持軍人員の完全な不足とマンデートから 積極的な介入行動を行えず、目の前で殺害されようとする避難民を助けられず、平和維持軍の増員と強いマンデートを望むダレールの要求は拒絶された。

 

国際連合ルワンダ支援団(UNAMIR)は1994年7月にルワンダ愛国戦線が勝利を納めた後、同年5月時点で可決済みであった国連安保理第918号に 従って人員数を5500人へ増強し(UNAMIR 2)、1996年3月8日までルワンダで活動した。

 

 

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一方で司令官であったダレールは、虐殺の発生を事前に知りながら防止できなかったこと、虐殺期間中も積 極的な活動を行えなかったことに対する自責の念から任務続行が不可能となり、虐殺終結後の1994年8月に司令官を離任した。その後、カナダに帰国後もう つ病やPTSDに悩まされ続けていたという。また、帰国後に出演したカナダのテレビ番組では以下のように述べた。

 

『私にとって、ルワンダ人の苦境に対する国際社会、とりわけ西側諸国の無関心と冷淡さを悼む行為はまだ始まってもいない。なぜなら、基本的には、非常に兵士らしい言葉遣いで言わせてもらえば、誰もルワンダのことなんか知っちゃいないからだ。

 

正直になろうじゃないか。ルワンダのジェノサイドのことをいまだに 覚えている人は何人いる? 第二次世界大戦でのジェノサイドをみなが覚えているのは、全員がそこに関係していたからだ。ルワンダのジェノサイドには、実のところ誰が関与してい た?

 

 

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正しく理解している人がいるかどうか分からないが、ルワンダではわずか三ヵ月半の間にユーゴスラヴィア紛争をすべてを合わせたよりも多くの人が殺され、怪我を負い、追放されたんだ。そのユーゴスラヴィアには我々は6万人もの兵士を送り込み、それだけでなく西側世界はすべて集まり、そこに何十億ドルも注ぎ込んで解決策を見出そうと取り組みを続けている。

 

ルワンダの問題を解決するために、正直なところ何が行われただろうか? 誰がルワンダのために嘆き、本当にそこに行き、その結果を生き続けているだろうか? だから、私が個人的に知っていたルワンダ人が何百人も、家族ともども殺されてしまった――見飽きるほどの死体が――村がまるごと消し去られて…我々は毎日そういう情報を送り続け、国際社会はただ見守っていた…。』

 

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 この発言を行った後の1997年9月、ダレールはベルギーの平和維持軍兵士10人が殺害された件についてベルギー議会で証言を要求されたが、コフィ・アナン国連事務総長により証言は禁じられた。それから3年後の2000年、ダレールは公園でアルコールと睡眠薬を大量服用して自殺を図るが、昏睡状態のとこ ろを発見され、死を免れた。』

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何故これ程の虐殺、民族浄化が行なわれたか、考えてみる必要があります。

 

当時の米国は、民主党のビル・クリントン大統領のもと、これ以上、外国の紛争に巻き込まれたくないという国民感情があり、虐殺の状況を知り、軍事介入を政府に強く求めるには、100日間(犠牲者の8割は12週間続いた期間のうち前半6週間に殺害されていました)は、余りにも短期間であったのです。

 

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『1999年、ルワンダ虐殺当時の大統領であったビル・クリントンは、アメリカのテレビ番組のフロントラインで、「当時のアメリカ政府が地域紛争に自国が巻き込まれることに消極的であり、ルワンダで進行していた殺戮行為をジェノサイドと認定することを拒絶したことを後に後悔した」旨を明らかにした。この、ルワンダ虐殺から5年後に行われたインタビューにおいて、クリントンは「もしアメリカから平和維持軍を5000人送り込んでいれば、50万人の命を救うことができたと考えている」と述べた。』

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この虐殺は、国連という組織が、国際紛争や虐殺を止める力、意志、権威、手段がない事を証明しています。

 

またアメリカが、決して戦争の好きな国であったり、外国の紛争に介入する事を望んでいるわけでもない事を語っています。多くの軍事介入は、偏見の目で見な ければ、当事国や周辺国、或いは少数民族によって、アメリカの軍事介入を求める声に応じて為されたのであり、アメリカにとっての益は殆どありませんでし た。

 

そして最も醜悪で、被害者数が多く、残忍な民族浄化の虐殺は、アメリカの介入なしで行なわれていますし、今日のISISなどの蛮行も、アメリカが何もしないからこそ蔓延っているのです。

 

「アメリカの始める戦争に巻き込まれたくない」という主張が日本の方々の間にあるのは事実として、国連は存在しつつも、アメリカの介入なしに何が起こり得るか、わきまえておく必要があります。