徒然なるままに、左右共に疑問ス

本来、『保守派』とは「第二次世界大戦をどのように見るか」では定義されない。『ナショナリスト』という呼称も、『修正主義者』という定義にも悪い意味はない。アメリカでは、トランプ大統領の熱烈な信望者であり、フォックス・ニュースのアンカーでもあるタッカー・カールソンや、同じくトランプ大統領の元上級顧問であった・スティーブ・バノン氏など多数、自らを誇らしく『ナショナリスト』と呼んでいる。『ナショナリスト』とは、ただ祖国を愛する『パトリオット(愛国者)』と違い、敵と見做す他国人から自国を守ろうという意識がある際に使われる定義なので、「~人は」と敵視する他国人から国を守りたい人々は、やはり「ナショナリスト」である。学問や科学の世界では、既成の常識を修正し、時には覆しながら発展するものだから、『~修正主義者』という紹介は失礼ではない。『歴史修正主義者』と呼ばれても、ある史観を修正しようとしているならば、『歴史修正主義者』と呼ばれる事に誇りを持つべきだ。『否定論者』となると、何を否定しているのかによる。『ホロコースト否定論者』となると、これはかなり社会的信頼を損なう。『地球平坦説論者』のような常識を逸脱した無知だけでなく、何とかしてナチスの行動を庇い立てする反ユダヤ差別が感じられる為、これだけで欧米では真っ当な人間として相手にされない。『気候変動否定論者』となると、そうでもない。気候変動説自体が、もう何十年も前から「10年以内に経済産業システムを変えないと地球は滅びる」的な警告を発していながら、地球は未だ滅びず、北極の氷も存在しているからだ。しかも、著名なフリーマン・ダイソンなど科学者らは、二酸化炭素の役割を良しと見做している。https://e360.yale.edu/features/freeman_dyson_takes_on_the_climate_establishment 繰り返すが、「否定者」とは、何を否定しているかによる。例えば『慰安婦性奴隷説否定論者』と紹介されて憤っている人々は、その通り元慰安婦たちを性奴隷と呼ぶ事に否定的なのだから、『否定論者』と呼ばれる事に、胸を張っていれば良いのではないかと思う。否定したい主張であるのに、『肯定論者』と呼ばれる方が余程悔しいだろう。

『ナショナリスト』『歴史修正主義者』『否定論者』と呼ばれて、「レッテル貼りだ!」と憤る人々は、貼られた「レッテル」の意味に憤っているというよりも、「レッテルを貼られている」事に憤っているのかもしれない。その通り、映画『主戦場』に於いての「レッテル貼り」、或いは「紹介」は、無くても良かったと思う。

一方、名前負けとなっているのが『リベラル派』の『リベラル』である。『リベラル主義』とは、もともと個人の自由や多様性を尊重する主義だ。「こう考えなければならない」と言った政治的、宗教的、倫理的圧力に対し、「人間には自由に判断し決定する事が可能であり、自己決定権を持つ」という政治哲学である。他人が自由に考え、判断した結果、異論を唱える事があっても、それでもってその人の倫理性を裁くことをしない。アメリカ独立宣言、フランス人権宣言に影響を与えたイギリスの哲学者、ジョン・ロックをして、「われわれはたんなる正義という狭い限度に満足することなく、慈愛、博愛、寛大がそれに加えられねばなりません」と言わせた思想だ。他人の思想や主張が、自分のそれと正反対にあったとしても、それを自由の証拠である多用性の一環として、裁く事なく受け入れる。最近のリベラル派は、異なる意見を寛容を以て受け入れる事をしないばかりか、意見を異にする人々に対して、まるで彼らが倫理的に劣っているかのように非難する。『リベラル・ファシズム』という言葉があるが、まさにその通り、彼らの主張を聞いていると、自分たちとは異なる意見を『非道徳的』として弾圧したい欲望が見え隠れする。『リベラル派』とは名ばかりの、他者の自由思考を認められない人々である。

 

このポストでは、『ナショナリスト』や『歴史修正主義者』『否定論者』或いは『リベラル派』と言わず、単純に『右派』『左派』と大まかに分け、双方に見られる論理、主張のおかしさをあげていきたいと思う。

 

まず右派についてだが、日本の右派は、歴史・政治論争となると他者からは全く取り付く島の無い孤独な『陰謀論者』となる。右派は自称保守派の人々を指すが、本来保守派は、イデオロギー重視のリベラル主義と対峙する、現実主義を指す。ところが日本の自称保守派である右派は、非現実も良いところの矛盾した主張を繰り返す。

まず、日本の核武装を唱える人々は保守派に多いが、アメリカによる原爆投下は絶対に許せないらしい。原爆については左派も怒っているが、右派の場合には「アメリカは、原爆を投下するまで日本を降伏させなかった」という陰謀説までつく。実際には、「ソヴィエト侵攻と二つの原爆投下があるまで、日本は降伏しなかった」のが当時の日本軍の意識だったようだが(秦郁彦著『昭和天皇五つの決断』)、右派は同じ保守派の歴史家である秦氏の調査結果も無視する。原爆投下を「戦争犯罪」「人道に対する罪」と断罪しながら、「日本も核武装を」と主張する事について詳しく問いただすと「日本の核は、無辜の一般人を殺傷する目的には使用されないし、開発した核兵器で敵国を攻撃する際にも、一般人の居住する区域には投下しない」と宣う。K国はともかく、C国には一般人の居住していない区域もあるだろうが、そういった土地に核兵器を投下して、何の効果を狙うのだろう。勿論そうした場合、中国には反撃する権利が与えられるが、中国もそうした配慮をしてくれるのだろうか。日米安全保障条約は、日本の非核化が前提である事を考えれば、日米同盟破棄のリスクが伴うのだが、世界一の軍事力保有国家との同盟国であるよりは、幾数かの核兵器を持つ方が、たとえ核拡散防止の条約を破ったと国際的に非難されても、安心出来るらしい。しかも核兵器開発には、人間の住んでいない広大な土地が必要となる。日本にはそれだけの広大な土地と、どんな人的被害があったとしても絶対に核保有をしたいという圧倒的大多数の国民による支持も無い。ましてや、日本の核開発ともなれば、中国、韓国、ロシアなどは自国への安全保障に対する脅威として、先制攻撃する口実が与えられる。軍事行動に出ないとして経済制裁が課せられれば、自由貿易があってこその日本の経済力を著しく損なう。誰にも知られずに、何の処罰も受けずに核開発を行なう事は出来ないのだ。

 

次に左派の批判をしよう。私が以前お会いした松本栄好氏は、その時もごご自分を指して『戦争犯罪人』であると仰っていた。戦争犯罪人とは、戦時国際法に違反する犯罪者をさす。特別な定義を持つ交戦法に関する用語であり、『占領地所属あるいは占領地内の一般人民の殺害、虐待、奴隷労働その他の目的のための移送、俘虜または海上における人民の殺害あるいは虐待、人質の殺害、公私の財産の略奪、都市町村の恣意的な破壊または軍事的必要により正当化されない荒廃化を行なった者』である。松本氏は自らを戦争犯罪人と呼ぶにあたって「兵士たちに避妊具を配布した」ことを自身の戦争犯罪として挙げているが、兵士たちに避妊具を配布した事が戦争犯罪に当たるとは考えられない。今日読んだ、神奈川新聞社による松本氏へのインタビュー記事によれば、慰安所に行く兵士たちだけでなく、これから軍規に逆らって強姦をしようとしている兵士らにも避妊具を配っていたらしい。https://www.kanaloco.jp/article/entry-46370.html 記事の中で「強姦は軍刑法違反でも禁じられていた」とあるが、軍刑法違反を犯した兵士の罪は免れないとして、それがなぜ日本政府の責任となるのか。繰り返すが、軍、及び政府の責任は、軍の規律を設け、違反者を罰する事にある。強姦は当時の日本軍、及び日本政府が禁じていたのならば、責任は犯罪を犯した個々の兵士、また個々の兵士の規律違反を見て見ぬ振りした直接の上官にある。もし軍刑法を犯して強姦をしていた兵士への避妊具配布が戦争犯罪に当たるとすれば、その責任は松本氏個人にあり、決して現在の日本政府にはない。敢えて言えば、法律で犯罪と定められている行為を行なった「犯罪人」及び「共犯者」が、同僚への裁判の最中は自分が犯罪を犯したという意識も無く、処罰を免れて何十年かを過ごした後、今さら罪の意識によって自らの犯罪を告白しつつ、実は「政府が悪い」「政治家が悪い」と規律を設けた側を批判しているのだ。松本氏が本心から自分の犯した戦争犯罪を悔やんでいるならば、被害者への謝罪だけではなく、自分の犯罪の為に日本の国の評判を傷つけたとして、国家に謝罪しても良いだろう。

因みに、以前お会いした時、松本氏は慰安婦たちについて「軍の慰安所に来る前は、彼女らは売春婦だった」と断言していた。私は普段から「売春婦だったという切り捨て方は、特に男性は注意して頂きたい」と主張している方なので、松本氏の堂々たる断言には苦笑したものだ。最も特筆すべきは、松本氏は慰安婦やその他の女性たちの強制連行、虐待、暴力、強姦等を目撃してはいない点だ。神奈川新聞の記事では「(村の中国人)女性たちは自ら歩かされ、連れてこられた。悲鳴を上げたり、騒ぐこともなかった。あの状況で逃げ出したり、抵抗したりすることにどんな意味があったか。抵抗すればいつ危害が加えられるか分からない」と述べておられるが、以前のインタビューでは「中国人の女性が無理やり家から連れ出されたのも、強姦されたのも目た事は無い」と答え、「なぜ危害が加えられたと知っていたのか」という質問には、「(戦後)本で読んだからだ」と答えられていた。

神奈川新聞の記事からは、松本氏の証言をジャーナリズム的観点から詳しく追及するというよりも、記者の書きたい記事の為に、松本氏の言いたい事だけを拾ったという姿勢が伺える。もっと追及して聞けば、松本氏はずいぶん中国の村民から慕われていた人物だ。いくつかの家族が診療を求め、松本氏を頼っている。そうした良い交流の思い出を語る松本氏の方がリラックスしており、楽しそうだった。松本氏が嘘をついていると主張するつもりは無いし、松本氏なりに真実を語っていると理解するが、「戦争犯罪を犯した」等となると、それが法的な意味ではなく、かなり松本氏個人による倫理基準で話されている事は明らかだ。自分が犯した罪悪について、何が何でも否認する人々もいるが、自分が犯してもいない犯罪を告白するケースも多々ある。https://www.bustle.com/articles/182309-why-did-john-mark-karr-confess-to-killing-jonbenet-ramsey-his-false-confession-was-a-strange 特に過大な表現や誇張でメディアの注目を浴びられる時に、聞く人を喜ばせたいサービス精神も手伝ってか、特に孤独な老人の場合、話がより大きく、過激になる可能性がある事は、頭の隅のどこかで覚えておく方が良いだろう。 

因みに私は、WiLL誌上でこの記事を書いたことを後悔していない。IWGについては訂正するところもあり、今となっては自分の愚かさが悔やまれるところだが、松本氏に関する記述で疚しさは感じていない。私は記述に於いて、ずいぶん松本氏への敬意を払い、松本氏の発言の意図を曲げずにインタビューの全体を捉えた記事にしたつもりだ。記事が出版された後、松本氏が記事を不快に思われた事は『主戦場』のデザキ監督を通して伝わってきた。松本氏が「騙された!」と思われたとしたら、それは残念な事だ。但しこの思いは、後悔を意味するものではない。閉口したのは、デザキ氏が頼まれもしないのに、私からの謝罪を松本氏に伝えた点だ。デザキ氏の編集に不満を持つ保守派論客は多いが、もし私が「実はデザキさんは、あの映画の出来を非常に残念に思い、ひどい事をしたと後悔されているようです」と彼らに伝えたら、デザキ氏はどう感じるだろう。デザキ氏による、独りよがりな正義感はどこから来るのか理解し兼ねる。

 

さて、再び右派への批判に話を戻すが、右派の書いたものを読むと「世界に真実を広めなければ」的なものが多いが、その真実とは、「イギリスのインド植民地化など、欧米の植民地主義は、搾取と現地人の奴隷化であったが、日本の韓国併合、台湾の植民地化は全て正しく、現地にとって益となった」「戦後日本人はWGIPによって洗脳された」「南京大虐殺は中国による捏造である」「慰安婦問題は中国共産党によるプロパガンダだ」等がある。勿論、「(元慰安婦の)女性の証言だけでなく、例えば、(軍が強制的な連行を命令したとか、住民がそれを目撃したとか、客観的、物的証拠も必要」という主張は大いに同意できるものだが、「証言だけでは不十分」と主張する右派が、同時に「カリフォルニアで日本人生徒らが慰安婦像の為にいじめを受けている事は事実だ」と訴えている点だ。私にはこれが「証言以外の証拠に欠ける」という点で、「可哀想な被害者の意見は絶対」と言った左派の手法を真似たものとしか思えない。

まず、日本人生徒らへのいじめと言うからには、本人、また父兄の政治趣向や慰安婦問題に対する意見は関係ない筈だ。在米日本人と言っても、日本の保守派と意見を同じくする人々もいれば、左派と意見を同じくする人々もいる。しかも大抵は、慰安婦問題及び歴史問題には興味はない。ところが私は、イジメに関して慰安婦像設置に反対をする人々以外から、イジメについての話を聞いた事が無い。

日本人生徒へのいじめが実際にあったとしよう。ところがそのイジメとは、具体的に何を指すのだろう。「イジメられた」という感覚には、イジメられた側の主観が入っていると思われるが、この主観は、左派が言う「慰安婦たちにしてみれば、連行に強制性があった」などの『主観』とは違うのだろうか。また、慰安婦像さえ無かったら、発生しなかったのだろうか。例えば根底に、その日本人生徒への悪感情がまずあったとして、慰安婦像や歴史問題などへの言及によって、その悪感情がイジメとして表現された場合、だから歴史教育を何とかしろとは主張できない。

最も重要な事に、イジメの客観的証拠、例えばイジメ発生後、日本人父兄が担任の教師に被害を訴えた、或いは複数の他の生徒がそれを目撃した等はあったのだろうか。この客観的証拠は、まさに慰安婦問題に関して強制連行否定派が要求しているものと同じである。ところが、このイジメ被害があったと主張する右派の書いたものを読むと、「日本人父兄は、日本人的な感覚ゆえ、それを学校側に訴える事もなく、泣き寝入り的状態で…」となっている。アメリカの学校はイジメに対する取り込みが徹底しており、担任やカウンセラーに訴えた場合、早急な解決が期待できるのだが、「日本人的な感覚で」被害を訴えなかったとしたら、生徒にとっては実に気の毒な事だろう。しかしながらこの問題は、担任や学校を通り越し、日本の国会で外交問題として取り上げられたのである。「日本人的な感覚」とは、担任には遠慮をして被害を訴えられないものの、首相や国会には訴えられるのだろうか。であるとすれば、他者からの共感や理解を得る事は困難だ。尤も、いじめを受けた生徒の保護者が首相に対して直訴をしたわけでは無いのだが、こうした情報を受けた周囲の人々は、口コミを通してメディアなどに被害を訴えるよりも、現地の学校に訴える方向で解決の援助をするべきであったと思う。現地の学校での解決を図らず外交問題に発展させれば、イジメを政治利用していると誤解されて当然だし、証言だけで証拠が無いと疑われるのも仕方ないだろう。

 

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これは、左派への批判になるのか、右派への批判になるのかは判りかねるが、デザキ氏が数年か前にアップロードした「Shit Japanese Girls Say」というユーチューブ画が、日本人女性への差別言動として、主に右派から批判を浴びている。これの動画で表現された日本人女性の描写に賛成するか、反対するかはともかく、この動画を日本人女性への差別、蔑視動画と位置付ける事は、常識的に誤っている。これは、ユーモアを狙った類のコメディー動画であり、あくまでも制作側と観客が共に笑う事を期待している。もともとユーモアやコメディー、また社会的タブーへの挑戦との判別には曖昧であり、一概に語れない部分があるのだが、傍から見た日本人女性の言動のおかしさを描写する動画に対して、この動画を差別蔑視動画と主張する右派は、(普段、全く繊細でない物言いをしているにも拘らず)一体どんな繊細な内面の持ち主なのだろう。デザキ氏はYouTube動画を削除するよりも、自分の該当ビデオと杉田水脈議員の発言との違い、或いはトニー・マラーノ氏による慰安婦像に紙袋を被せる行為との違いを、明確に説明するべきだった。ところがデザキ氏にしても、左派にしても、私の知る範囲では、デザキ氏のビデオに日本人女性への蔑視が無いと、説明や擁護を試みていない。まさか右派からの批判を受け、「その通り、差別的だった」などと、犯してもいない罪状(?)を認めてしまったのだろうか。日本人女性が行なう言動の物真似をして笑いをとる事が日本人女性への差別であり、蔑視であれば、デザキ氏以外にも多く見られる、日本人女性、日本人男性の言動の物真似をするコメディアン達も、差別主義者だと言うのか。もともと被害者である事に倫理的優位性を見出すのは、左派が頻繁に使う手法である。普段は左派による「被害妄想」や、「弱者絶対主義」を笑う右派が、左派の手法から学び、どちらがより被害者、弱者であるかによって倫理的優位に立とうとするならば、右派は、そうした手法の卑怯さを承知した上で同じ手法を真似ている分、悪質だ。例えデザキ氏が、鼻持ちならない独善的な偽善者であっても、差別主義者ではない事を、常識的判断として、一筆しておく。

 

最後に、極端な意見を言う人々は左右どちらの側にもいる。以前にも書いたが、左右いずれの側にしても、政治がビジネス化してしまった昨今、極論を以て相手側を怒らせ、相手側への憎しみで一杯になった味方の溜飲を下げる事が商売になったりもするのだ。ところが極論だけを相手にしていれば、決して問題への本質には辿りつけない。

極端な右派の言論に嫌気を感じながらも、極端な左派の主張にも疑問を感じる多くの常識的人々が、日本の国でもっと発言力を増してくれることを望んでやまない。

「主戦場」という偏食

慰安婦問題を語るに於いて、右派と左派の意見の食い違いは当然として、左派、及び、『慰安婦肯定論(?)』者の中にある定義や意見の違いがある事は、意外と見過ごされている。右派による「強制連行は無かった」という主張に対して、吉見氏をはじめとする『慰安婦肯定論』者の人々は、「我々が言っている強制連行の定義がそもそも違う」とし、朝鮮や台湾において、日本軍が奴隷狩りのような強制連行(「狭義の強制」)をしたという資料がないことは認めており、自身もそのような主張をしたことはないと述べている。ところが韓国側の主張はどうかと言えば、日本軍兵士、或いは日本の憲兵が韓国人家庭の戸口を訪れ、そこからいたいけな少女を無理やり暴力的に連行していった、という『強制連行史観』、それこそ吉見氏が『狭義の強制』と呼ぶ定義で以て日本を非難しているのだ。韓国、世宗大学の朴裕河教授が出版した『帝国の慰安婦』は、日本の官憲が幼い少女らを暴力的に連れ去った、といった韓国内の根強いイメージに疑問を呈し、物理的な連行の必要すらなかった構造的な問題を指摘した為に、韓国では慰安婦に対する名誉棄損として訴えられ、ソウル高裁において有罪判決が言い渡された。(控訴中)「慰安婦の声に耳を傾ける事が大切」と主張する吉見氏ら、左派は、是非『強制連行』が何を意味するのか、その定義をまず韓国側と合意するべきだろう。「強制性の定義はそのようなものではない」と、右派が『強制連行』の定義すら誤って解釈してあるかのような印象操作は、誠実ではない。

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                   朴裕河世宗大学教授

また慰安婦を性奴隷と定義する事についても、左派の主張はおかしい。杓子定規と言われるかもしれないが、奴隷の定義は、『他者によって所有され、所有者の意思に従って無報酬で労働を提供し、また売買、及び相続の対象となる人物』を指す。https://definitions.uslegal.com/s/slavery/『労働』に対する代価、報酬が支払われていれば、その人物は奴隷ではない。いくらその労働条件に強制性があったとしても、所有権が他者に属さず、労働に対する賃金が支払われている場合は、『強制労働従事者』、或いは『農奴』と言った、別の定義で呼ばれる。https://en.wikipedia.org/wiki/Serfdom 実際に『性奴隷』は存在し、ISISと呼ばれるイスラム国は、自分たちの支配地域、及び戦闘地域からヤジディ人の女性たちを暴力的に連行し、性奴隷として所有し、また売買の対象としているが、彼女たちに賃金が支払われる事は決して無い。だからこそ彼女たちは『ISISの性奴隷』と呼ばれているのだ。慰安婦に話を戻すとして、彼女たちに賃金が支払われていた事は事実である。慰安婦の中には、受け取った給与を、引き上げの際に無くしてしまった、或いは何らかの事情で給与が手元に残らなかった人もいるかもしれない。しかし客であった日本軍兵士による支払いを否定する証拠は出ていない。また日本軍によって慰安婦が他者に売られたという証拠も無い。「所有権が他者にあり、売買、相続の対象となる」という定義のうち不可欠な「所有権」でもって言えば、たとえ慰安婦たちが他者の所有物であったとしても、日本軍兵士らはあくまでも客であり、所有者ではなかったのだ。現在、日本政府からの謝罪と賠償を求める元慰安婦たちも、奴隷とは何を指すかの定義に従って、これらを求めているのではない。もし奴隷、性奴隷の定義に当てはまる慰安婦が存在したとすれば、その存在はどこの売春施設でもあるような特例だろうが、その特定の慰安婦を性奴隷と呼ぶ事に躊躇はない。ただその場合でも、全ての慰安婦たちを性奴隷と呼ぶ事は誤りであり、『従軍慰安婦』の中で吉見氏が述べたような、職業選択の自由があれば慰安婦となる者はいないから、自由意思で慰安婦になった女性たちも性奴隷だ、というような軽はずみな見解は、真に自由を奪われ、他者の所有、売買の対象となり、報酬を受ける事なく労働、性行為を要求される、ヤジディ人女性のような、真の性奴隷への冒涜である。

また、日本が1910年に署名した『婦女売買に関する国際条約』は、左派が「日本が犯した国際法」として頻繁に持ち出す国際条約であるが、まずこの条約は「国際法」によって、主権国がその植民地、及び領土にこれを適用しなくても良いとされていた。そもそも国際法とは、一主権国の法律や習慣の上に権限があるのもではない。https://en.wikipedia.org/wiki/International_law 国際法を遵守するかしないか、条約を締結するかしないかは、あくまで主権国の自由意思に任されており、条約を締結したとしても、それに則るか、あるいはそれを無視するかを拘束するものではない。しかも国内の法律や習慣と照らし合わせ、条約との相違があった場合、主権国は国内の法律、習慣を優先させる権利がある。国際法は、主権国に対して拘束力のある法律ではないのだ。であるから、一旦署名した条約を破る事もできる。ただし、こうした一方的条約破棄に対して、その行為が余りにも慣習国際法や強硬規範から逸脱した場合、他国から軍事介入を含む外交的介入、及び経済制裁を招く場合がある。それでも戦後も連合国側が慰安婦制度を国際法違反とは考えていなかった事は、米軍記録を見ても、また連合国捕虜が遺した記録と照らし合わせても明らかだ。https://www.exordio.com/1939-1945/codex/Documentos/report-49-USA-orig.html  https://www.amazon.com/Prisoners-Rabaul-Civilians-Surviving-Captivity/dp/0980777429 https://trove.nla.gov.au/work/170442871?q&versionId=185814911  

1992年に吉田氏が防衛庁防衛研究所図書館 で発見したとされる慰安婦に関する資料は、日本政府が意図的に国際法や慣習を破る命令を出した証拠ではない。何しろ「これら婦女の募集斡旋の取り締まりに、適性を欠く事は帝国の威信を傷つけ皇軍の名誉を損なうのみならず、銃後の国民特に出征兵士遺族に好ましくない影響を与えると共に、婦女売春に関する国際条約の主旨に背く」と書かれてあるのだから、これは国際法違反を行なえという命令ではない。「軍が関与していたから」から始まって「強制性があった」としても、それは「国際法違反」とはならないし、慰安婦たちを性奴隷と定義できない。

最後に、右派は『主戦場』の上映中止を求め、気に入らない言論を弾圧したり、差別発言や挑発的発言、個人攻撃に明け暮れるよりも、落ち着いて、以上の点、またその他諸々ある左派の主張のおかしさを指摘する方が良いのではないか。また、映画『主戦場』を鑑賞する事で、慰安婦問題に興味を持った人々に言いたいのだが、この映画を以て慰安婦問題を理解する事は不可能だ。この映画は、秦郁彦氏を欠いているだけではなく、アジア女性基金について、また朴裕河教授について、充分な時間を割いて説明しようとしていない。『主戦場』はあくまでデザキ氏が消化した情報である。デザキ・ミキネという他人が食し、消化した情報の食べ物だ。ご本人は満足だろうが、私から見れば、偏食も良いところだ。知的好奇心があり、自分で物事を判断したいと思う方々は、秦育彦氏による『慰安婦と戦場の性』また、朴裕河教授の『帝国の慰安婦』に触れる事をお勧めする。特に朴教授の主張には、実は日本人右派が耳を塞ぎたいものが多い。しかしもし「韓国人慰安婦に聞く」ことが正しいのならば、慰安婦の建前でなく本音を聞き出し、その為に迫害されている朴氏の存在を忘れるべきではない。

映画『主戦場』と、言い得て妙なる保守派の『自業自得』

朝日デジタル、産経新聞や東京新聞らの報道によれば、映画『主戦場』の為のインタビューと映画の仕上がりに大きな隔たりがあるとして、保守派論客がデザキ・ミキネ監督に法的措置を示唆し、また映画の上映中止を求めたようだ。これに関した記者会見が5月30日に行なわれている。

この記者会見における朝日新聞の質問で私の名前が出されたが、私は、グレンデールの慰安婦像に紙袋が被せられた事については確かにトニー・マラーノ氏の行動を批判したが、藤木氏の発言についてはインタビュー当時知り得ていない。であるから、「例えば藤木さんはですね、え『フェミニズムを始めたのは不細工なひとたちなんですよ』と、あの、『心も汚い、見た目も汚い』そういうようなことを仰っていて、で、これがまた、あの、デザキ氏のあの、批判の対象になって、あの、ケネディ日砂恵さんとかですね、になっていますが、これについては、、、」と名前が出た事には驚いた。わざわざ私の名前を出さなくても、こうした発言を批判する声は、他の保守派の言論人から上がらないのだろうか。

因みに、私もこの映画をひどく偏りのある映画だと考えるうちの一人だ。右派の主張の後にそれを打ち消す主張があり、あたかも右派の一つ一つの主張が論破されているかの印象を与えている。特に終盤において、加瀬英明氏を陰謀工作の陰の首謀者のように扱うあたりなど、余りにも稚拙であり、論するに値しない。保守派、及び安倍政権が、加瀬氏を頂点に戴き運営されているかのようなインプリケーションには、「デザキ氏の背後には中国、韓国の勢力がある」と、無責任な一部保守派がソーシャルメディアで呟くのと同じ程度の愚かさがある。しかしながら保守派が最も懸念すべき点は、左派だけでなく、今まで慰安婦問題や政治にそれまで関心の無かった層が、この映画の中でのリベラル派論客の主張に、より説得力を感じた事ではないか。日本国内に於いてすら保守派が説得力を失い、左右の優劣が逆転しまいかねない現状について、右派はまずデザキ氏による編集に責任を押し付け、彼を非難するだろう。ある人々は私の事も批判するかもしれない。しかしながら、比較的新たな層を左傾化させたのは、一部右派による言論、多くの保守派が仲間の言論として内心苦々しく思いながらも容認している、差別的言論にある事に間違いないのだ。それは、彼らがソーシャルメディアで発言する内容から判断できる。

たとえば国会議員である杉田水脈による「どんなに頑張っても中国や韓国は日本より優れた技術が持てないからプロパガンダで日本を貶めている」「日本が特殊なんだと思います。日本人は子どものころから嘘をついちゃいけませんよと(教えられてきました)」「嘘は当たり前っていう社会と、嘘はダメなのでほとんど嘘がない社会とのギャップだというふうに私は思っています」という類いの発言は、論理や知性にではなく、ただ憎しみや怒りという感情にだけ訴える、扇情的なプロパガンダである。このようなレトリックは、嫌韓、及び嫌中感情に染まっていない人々をして、ウンザリさせるだけだ。杉田氏の論理で、どのように反対議論に太刀打ちするのだろう。右派が「嘘つき」呼ばわりする左派の論客らや政治家は、日本人ではないのか。『帝国の慰安婦』を出版したが為、韓国人慰安婦や挺対協から起訴された朴裕河氏のような韓国人学者らは嘘をついているのか。6月4日には天安門事件から30年が経ったが、迫りくる戦車の前に立ちはだかり民主化と自由を求めたあの中国の市民は不誠実なのか。一体杉田氏には、「何々人は」と他国の国民を総じて指し、彼らがどのように教えられ、育てられたか述べるだけの実体験があるのだろうか。私は米国に18年以上住み、親しく付き合う友人にも中国人、韓国人がいるが、彼らが日本人以上に嘘つきであるとか、技術が劣るとか考えた事は皆無だ。杉田氏が保守論客を代表するだけではなく、国会議員である事を考えれば、彼女の発言は厳しく咎められるべきだ。それを容認し続ける限り、日本の品位を疑われて当然だろう。

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テキサス親父こと、トニー・マラーノ氏による慰安婦像に紙袋を被せる行為や、藤木氏による「フェニミズムを始めたのはブサイクな人たちなんですよ。ようするに誰にも相手されないような女性。心も汚い、見た目も汚い。こういう人たちなんですよ」という発言について言えば、これは女性への蔑視であると言えるだろう。外見や容姿を以てある人を侮蔑の対象とするという行為は、男性相手には効果が少ないし、容姿の美醜を気にする男性もあまりいない。つまり女性であるからこそ深く傷つく侮蔑の仕方を用いて嘲りの対象とすれば、マラーノ氏や藤木氏が女性に対する差別主義者ではなくても、やはり女性への差別行為を行なったと言える。マラーノ氏は、映画の上映中止を求める記者会見に於いてビデオ出演し、グレンデールの慰安婦像になぜ紙袋を被せたかの説明を試みたが、いくら米国の報告書に「彼女(慰安婦)たちは米国や日本の感覚からして魅力的ではなかった」などの記述があり、”一部米国人の中に魅力的でない女性と関係を持つ際に、男性は紙袋を被せる”といった説があるからと言って、マラーノ氏が慰安婦像に紙袋を被せなければならなかった理由とはならない。一般のアメリカ人の良識や名誉にかけて言えば、私が知る範囲で、こうした話を聞いたり、実際行なった事のあるアメリカ人はいない。却ってこのような礼儀にかける行動をアメリカ人男性が行ない、またアメリカ人女性が容認しているなどの勘違いを広められたことに対して、迷惑がるアメリカ人が多い。また藤木氏は、記者会見中、サウジアラビアなどの、組織的な女性差別の行なわれている国と比較して、日本には差別が無い旨を説かれた。少なくとも、サウジアラビアに言及された理由は、「そうした発言の中での一部」だと言いたかったのだろう。日本には、サウジアラビアやその他の国による『組織的女性差別』が無い事には同感である。しかしながら、イスラム教主義国による、『貞節』という美徳を悪用しながら男性が女性の価値を決めるという行為にしても、藤木氏らによる『美醜』という物差しで男性が女性の価値を決めるという行為にしても、それは女性への差別である。フェミニズム運動やフェミニストらに対して反論があるならば、彼女らの主張に対し、論理的に反対の声をあげ、議論するべきだろう。論理やアイディアに対する批判ではなく、あくまでも感情を傷つける攻撃を行えば、議論では立ち向かえないと認めるようなものだ。私はマラーノ氏にしても藤木氏にしても、女性差別主義者であるとは考えない。彼らの言動が『差別主義』というイデオロギーをもとにしたものではないからだ。意見や主義主張を同じくする限り、彼らが他人に対して礼を失する事は無い。この点が真の差別主義者と違うところだ。しかしながら、反対する立場の人々に対して、真の差別主義者らが使用する悪質な表現を用いる事に躊躇が無かった点は指摘しておく。マラーノ氏にせよ、藤木氏にせよ、日本という国を心から想い、自らの犠牲を払ってまで国に尽くそうと考えている事には疑いが無い。だからこそ尚更、彼らの軽率な言動が、純粋な動機を疑わせている事実を残念に思う。

くり返すが、人種(国籍)による差別にせよ、女性への蔑視にせよ、「慰安婦問題の根底に差別意識は無い」と主張するならば、保守派は差別発言から一切の関わりを絶つべきだし、仲間内の事ではあっても誤った言論は批判するべきだ。ここ数年、私はアメリカの保守論客の言論を注視してきたが、彼らは責任ある立場であればあるほど、過激な、扇情的言論や差別的主張、誤った主張について、仲間内であっても批判する。そうでなければ仲間の非の責任が自分にも及んでくるからだ。その通り、今回の主戦場を観た多くのリベラル派や、政治に興味の無かった層は、「歴史修正主義者たちは、人種差別主義者であり、女性差別主義者でもある」との印象を受けている。沈黙は必ずしも同意を意味するものではないが、非難されるべき言論の責任を負いたくないならば、沈黙を同意と受け取る人々が多い事を弁えるべきだろう。

最後に、この映画によって左派が勢いを増した事は否めないが、この映画の上映差し止めを要求すれば、他者から見れば、右派による、気に入らない言論への弾圧とうつる。この8人の連名による上映中止を求める声は、本当に商業目的がある事が知らされていなかったからなのだろうか。藤岡氏は、契約書を注意して読まず、それへの署名を単なるセレモニーだと考えたと説明していたが、日本という国は、このような言い訳が法的に通用するのとは思えない。ちなみに私は、デザキ氏がインタビューを求めてきた段階、或いは直後から、映画祭に出品する可能性がある事、一般公開の可能性がある事を知らされていた。私はこの映画の出来、及びデザキ氏による編集に非常に不満があるが、個人的信頼を損ねたとしても、法的な契約違反だと考えた事は無い。上映中止への要求に対して、慰安婦たちへの名誉棄損で起訴された朴裕河氏も「内容がどうであれ、差し止め要請はやめていただきたいものです。出演者として、私も見たいです。問題があれば内容で批判しましょう」と言っておられる。内容への批判ではなく、頑なに上映中止を求めるならば、保守派にとって論理的主張が無いだけでなく、どんな手段を使っても異論を黙らせたい印象を与える。勿論、自由に物事を考える人々は、そういった手段に屈し、保守派の主張に同意してくれることはない。言論弾圧という暴力性に却って反発し、正反対の主張に魅力を感じるだろう。

日刊ゲンダイのヘッドラインによれば『保守論客が騒ぐほどヒットの自業自得』となっているが、これから慰安婦問題のコンセンサスが大きく左に傾いたとして、保守派の自業自得とは正にその通りだ。これは、慰安婦問題における左派の主張の正しさを証明するものではない。しかしながら、問題点に辿り着く前に、多くの保守派論客がすっかり信頼を失なってしまった点は、大きく反省すべきだと思う。

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/255278/2  

異論との共存

アメリカにおける保守派、リベラル派の間の論争でも似たような傾向があるが、多くの人々は、自分をリベラル派、民主主義者、また言論や思想の自由を護る自由主義者と自負していながら、自分の意見とは違う意見や価値観を受け入れ、それに敬意を払う事が出来ない。異なる見解を持つ人々に対して、「彼らは道徳的、及び倫理的な欠陥を持っている」で片付けてしまうのだ。「金銭が絡んでいるからだ」「自分の利益を考えて、だろう」「正しい情報を得ていないのかもしれない」などとは、まだ好意的な方だ。純粋な意味で、人というものはそもそも独立した考えを持つものだし、他人にもそれぞれ自分とは違った良心、或いは倫理観を持ち得るのだが、多くの人々は、他者が良心や論理に従って、しかも相反する考えを持ち得る事を受け入れられないのだ。

『主戦場』でも見られたような最近の日本の左右派、及び日韓の論争を聞いていると、以前私がロサンゼルスにおいて行なった、あるインタビューを思い出す。

2014年、私はロサンゼルスにある日系人とほかのアジア人のお年寄りの為に建てられた『リトルトーキョー・タワー』に住んでいる韓国系の方に、2時間半にわたるインタビューを行なった事がある。この方は当時、タワー内の日本人と韓国人が、調和して共存できるように委員会を作っている方だ。

「文化の違いによってたくさんの諍いや難しい事が起こったりします。」彼は言った。「例えば、韓国人の住民は、煙や匂いが廊下へ流れるように玄関を開けて料理をしたいのです。(規則では禁止されている。)それを日本人が嫌がります。」

「そう言った諍いはどう解決なさるのでしょうか?」

「そう言った場合は、我々は日本人の方に、『大目に見てやってください』と言うことにしています。でなければ共存なんて出来ないでしょう?違いはあっても受け入れないと。」

 

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また彼は、『非常に腹立たしい記事』を見せてくれた。この記事は、廊下の掲示板に張ろうとしている日本人男性から彼が奪い取ってきた物のようだ。

グレンデールの慰安婦像の撤去を求めるチラシだった。

「これは本当に腹立たしい記事です。」彼の声は大きくなった。「日本人の住人がこういう事をするから、調和が得られないんです。」

『組織的な慰安婦強制連行は無かった』という記事の話題が彼を怒らせた。心臓発作や脳溢血が起こるのではないか、或いは彼の怒りの収集がつかなくなるかもしれないという危惧を感じ、私は彼が落ち着くように話題を変えた。

この92歳(当時)の老人は、民主主義を信じると言う。彼によれば、北朝鮮だけでなく、韓国も本当の民主主義国家ではない。韓国には政治腐敗が多く、その為に彼はアメリカに移住してきたらしい。

「少し前、民主主義を信望していらっしゃると仰いましたね。民主主義の政治形態を信用なさると言うことですか?」

「ええ。そうです。」

「民主主義の基本精神を信じなさる、と言うことですね?」

「その通りです。」

「韓国は民主主義国家ではないと仰いますね。」

「はい」

「では、民主主義国家の基本である言論の自由についてはどうお考えになりますか?」

「大事な美徳ある価値です。韓国は言論の自由を必要としています。」

次の質問をする前に一呼吸をおいた。

「では、国が言論の自由を伴う民主主義を発展させる時、この記事のような『バカな見解』はどうしたら良いと思われますか?」

彼は、私の質問を期待していなかったのだろう。どもってテーブルを叩いた。「く、国が、本当の民主主義を発展させるならば、こう言った『バカな見解』はなくなります。」

私はいよいよ声を低くして言った。「民主主義国家にはこう言った『バカな見解』がいくらでも出て来るとは思われませんか?」

「いいえ!」 彼は自分の考えが伝わるように、一言一言ハッキリと発音した。「国が真の民主主義国家になる時には、みんなもっと教育を受け、賢くなります。ですからこう言った声は無くなります。本当の民主主義があるところでは、みんな同じように考えるのです。」

 

勿論、習慣や意見の違う人々との共存は、一方だけが我慢をすれば良いものではないし、言論の自由や民主主義も彼の言うようなものではない。この老人を嗤うことは簡単なのだが、では果たしてどれだけ多くの人々が、自分の習慣とは違う人々と共存し、自らの信念に相反する政治的、或いは宗教的見解に対して、落ち着いて意見を聞けるだろう。

違いとの共存は、知識や知恵の無さや倫理観の欠如に依らず、その人の本質、好み、優先順位などにより人々が多種多様の意見、価値観を持ち得る事への受け入れに始まる。たとえ事実関係においては同様の認識をしても、それに対する意見や解釈は違い得るのだ。こうした違いを前提に、どのように違いを受け入れ、お互いを弾圧し合う事なく共存できるのか、その道が探られるのべきであるが、大抵は「中間地点を探す」や「異論のままである事に同意する」、或いは「共通の認識が持てる話題を優先させる」等の『妥協』に辿りつく。

 

前出の韓国人老人を嗤う右派であっても、ナショナリストらの発言を嗤う左派であっても、異論の根底には知識や倫理観の欠如があると考える限り、同じ類である。

彼らには、お互いを嗤う資格は無い。

 

政治目的を達成させる手段としての歴史

『主戦場』というドキュメンタリーを視聴された方々の反応を見ていると、右派の人々と左派の人々の反応に驚く程の共通点があるとわかる。多くの人は、一国の歴史という、違う考えを持つ多くの人々の関わった記録の連鎖を、まるで一貫性のある、しかも自らの延長線上にある、単純な物語のように受け捉えている事だ。
 
ある人々にとって日本の歴史は美しく、誇りを持てる物語であり、また別の人々にとっては、恥ずべき、それを否定する事よってのみ存在が許される悪事の連鎖である。どちらの側にせよ、自分の望まないの歴史観を主張されると、まるでそれが自らのアイデンティティーへの脅威となるかのように反応する。個々の出来事を、別の出来事と分けて判断する事が出来ないのだ。
 
具体的に述べるならば、「南京の大虐殺を認めれば、当然、慰安婦も性奴隷としたのだろうと誤解される」といった恐怖感が右派にあるのに対し、その通り左派は「南京を行なった日本軍なのだから、当然、慰安婦も性奴隷としたのだろう」と考え、右派の心配がただの疑心暗鬼ではない事を証明してみせる。「いや、南京は南京で、偏見を持たず史実に沿って検証しよう。慰安婦という制度は慰安婦という制度で、偏見を持たずに史実に沿って検証しよう」と考える人は、実はごく僅かだ。私が秦郁彦氏の歴史検証にとって感服している理由は、個々の事件を、膨大で多岐に渡る資料検査と共に丁寧に検証し、あらゆる可能性を考えた上で、こじつけや無理な論理なく、しかも含みを持たせて結論付けられるからだ。この秦氏の徹底的な研究姿勢は、秦氏と意見を異にする海外の研究者からであっても評価が高い。秦氏には、導き出したい研究結果が無い。秦氏にとって歴史検証は、「真実」を知る為の手段である。歴史検証を、自分の導き出したい政治主張を補足する為の道具とする「歴史家」が多い中、秦氏は異例の存在だ。
 
「歴史検証を自分の導き出したい政治主張を補足する為の道具とする」というと、左派はすぐに右派を思い浮かべるだろう。確かに、日本は中韓以外のアジア諸国からは解放者として感謝されている『アジア解放者史観』など考えれば、それも頷ける。しかしながら、こと慰安婦問題に関して言えば、「慰安婦たちは性奴隷であった」とする左派とて同じなのだ。
 
実際に、吉見義明氏が発見したとされる資料は、『支那事変の地における慰安所設置のため、内地においてこの従業婦等を募集するにあたり、ことさらに軍部了解等の名儀を利用し、そのため軍の威信を傷つけ、かつ一般民の誤解を招くおそれあるもの、あるいは従軍記者・慰問者等を介して不統制に募集し、社会問題を引き起こすおそれあるもの、あるいは募集に任ずる者の人選に適切を欠いたために募集の方法が誘拐に類し、警察当局に検挙取調を受けるものがある等、注意を要するものが少なくないことについては、将来これらの募集等にあたっては派遣軍において統制し、これに任ずる人物の選定を周到適切にし、その実施に当たっては関係地方の憲兵及び警察当局との連係を密にすることにより、軍の威信保持上並びに社会問題上手落ちのないよう配慮していただきたく命令に依り通知する。』というもので、常識的な読解力を以て読めば、誘拐や人身売買による慰安婦調達が無いように注意を通達する文書である。外国語ならばともかく、この程度の日本語文書の読み方など、わざわざ歴史家に不自然に注釈して頂かなくとも、大人であったら理解できる筈だ。
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そもそも、吉見氏がこの文書を以て、「軍が関与していた証拠」とし、「謝罪と補償を」と要求しても、それまで歴史家や政治家らが、慰安所の設置や運営に「軍の関与は無し」としていた訳ではない。軍の関与があった事は、吉見氏の発見に依らなくても、当時はみな知っていた事だ。吉見氏の主張を読むと、軍の関与は日本やドイツだけに見られた、いかにも非道で特有の事に感じられるが、実は兵士の使用する売春施設に軍が関与する事は、多くの国にも普通に行なわれていた慣習である。兵士という戦力を性病によって失わない為には、私設の売春宿であっても、軍が関与をしていた方が安全だったのだ。米軍が使用していた、ハワイ、ホノルルの売春施設に於いても、米軍や、軍施政下にある現地政府、警察らの介入が多岐に渡ってある。これらの関与によって性病の発生率が、一般の売春宿のそれと比較して少ない事が好意的に記されている。
 
吉見氏は、慰安婦たちには、他には見られない人権侵害があり、軍が直接奴隷狩りのように韓国人女性らを強制連行した証拠が無い事を認めながらも、『広義の強制』などという定義を持ち出して「謝罪を、補償を」と主張するが、『広義の強制』等と言えば、先に挙げたハワイのホテル・ストリートにおける売春婦らも、同様の、或いはそれ以上の強制を味わっていた。彼女らの半数はサンフランシスコの私設売春宿からリクルートされてホノルルまでやってきた白人女性たちで、残りの女性らは現地の女性たちである。サンフランシスコという遠地からの売春婦らが望まれたのは、自力で海を渡ってサンフランシスコに帰る事が不可能であった為、彼女らには、施設のルールに従うより選択肢が無かったからである。彼女たち売春婦たちには、ホノルル到着すぐに『10のルール』が伝えられ、これに署名、指紋押捺した後、売春許可が与えられた。このルールは厳しく、「慰安婦たちに移動、居住、行動の自由らの選択が無かった」どころではない。
 
【彼女(売春婦)は、ホノルルから山を越えたカイルア・ビーチ以外の、ワイキキ・ビーチを含むビーチを訪れてはならない。
彼女は、バーや上級のカフェなどの顧客となってはならない。
彼女は土地や自動車を所有してはならない。
彼女は特定の恋人を作ったり、外で男性と一緒にいるところを見られてはいけない。
彼女は兵士、軍関係者と結婚をしてはならない。
彼女はダンスに参加したり、ゴルフコースを訪れてはならない。
彼女はタクシーの前方座席に座ったり、男性と一緒に後部座席に座ってはならない。
彼女はマダム(売春宿の女性経営者)の許可なく、本土に送金してはならない。
彼女はマダムの許可なく本土に電話してはならない。
彼女は働く売春宿を変えてはならない。午後10時半を過ぎて外出してはならない。】
 
しかもご丁寧な事に、これらのルールを破った場合には、警察によって打ち叩かれるという罰則までがついていた。彼女たちは一日100人の男性の相手をする事が求められていたようだが、私には、この数は多すぎるように思われる。一人につき3分間という決まり事があり、そのためのテクニックも考え出されたようだが、もし本当ならば、慰安婦たちによる「一日何十人もの兵士の相手をさせられた」という訴えよりも多い。
 
戦時中のハワイは、合衆国に併合された状態であり、朝鮮半島(韓国)が日本に併合されていた状態と同様だ。韓国は1948年に独立するが、ハワイは1959年に合衆国第50番目の州と認められる。もしハワイが韓国と同じように独立していたら、当時のホテル・ストリートで働いていた現地女性らは、米軍に対し、謝罪と賠償を求めるだろうか。誰もが認める奴隷制度があったアメリカだが、さすがに謝罪はしたものの、補償はしていない。当時、違法では無かった行動に対する国家の補償を認めれば、キリがないからだ。であるから例え道義的責任は認めても、補償という法的責任は認められないのは、たとえ非道であっても、法治国家として当然である。
 
吉見氏による「慰安婦は性奴隷だ」という呼称の修正にせよ、「謝罪と補償を」という要求にせよ、もはや歴史家としての範疇を超えた、明らかな政治活動だ。勿論、歴史家の政治活動自体が悪いのではない。そうではなく、ある歴史家の政治活動や政治意見に反対する事が、あたかも歴史事実への否認であるかのように歪曲する事に問題があるのだ。(この点、私は秦氏の歴史検証には深く敬服するが、政治的意見に全て賛成をしている訳ではない事を記しておく。尤も秦氏は、彼の政治意見に反対する事を歴史の歪曲などとは間違っても主張されないが。)
 
私は、その他様々の史実に対する理解を改めたように、慰安婦の実態についても、納得のいく論理の提供があるならば、喜んで意見を変えようと思う。その際には、IWGレポートに価値が無い事を自分の誤りとして認めたように、今までの意見が間違っていたと明確にしよう。私には、自分を正しく見せたり、右派であろうと左派であろうと、誰かの気に入る為の主張をする事に意味は無いからだ。それでも吉見氏の主張には、未だ全く説得力を感じない。私と同様、多くの保守派が韓国側や吉見氏の主張に同感できない理由は、吉見氏の主張が感情的、情緒的であるだけで、論理的ではないからだ。
 
本来、慰安婦を性奴隷と呼ぶか、呼ばないかは、言葉の問題だけでもある。性奴隷と呼ぶ事で、彼女たちの置かれた悲惨な状況への同情を表したいようだが、その背後には補償への要求が見え隠れすれば、「慰安婦たちの言葉だけではなく、証拠を下さい」と言うのはどの国であっても当然なのだ。吉見氏の主張する「オーラル・ヒストリーから証明を行なおうとするアプローチ」など、それこそ歴史だけでなく、事実検証という定義の改竄である。このような『アプローチ』を認めれば、それこそ日本は特異な国となり、信用を失う。
 
右派の中にある極論を以て、その全ての問題を測れる程、歴史は単純ではない。同様に、誰かを個人攻撃してその主張への信憑性を損なう手段は、その主張を正面から議論する自信が欠如している証拠だろう。藤岡信勝氏による「国家は謝罪してはいけない」という発言に私は同意しないが、氏の発言の動機も頷ける。吉見義明氏による「オーラル・ヒストリーというアプローチ」など認めれば、どんな嘘でもまかり通ってしまう。左派が極論と呼ぶ藤岡氏の発言は、吉見氏の極論があっての事だし、それを前提で言えば、藤岡氏の方が世界の常識に叶っている。
 
重ねて言うが、吉見氏による文書発見はともかく、「謝罪を、補償を」等は氏による政治活動である。勿論、右派にもそうした政治活動がある。右派であっても、左派によっても、学者による政治活動が悪いのではない。しかしながら、意見が分かれて当然である政治活動への反対意見が、まるで歴史という学問への侮辱であるかのように受け取られるところに問題があるのだ。米軍にもあった売春施設の使用を考えれば、日本の慰安婦制度というものを特別視、糾弾する理由は、本来見当たらない。吉見氏の意見は、彼が歴史学者という権威を利用しなかったならば、注目するに値しない。歴史という学問の威を借りて政治活動を行なう学者こそ、学問の自由を冒涜していると言って良い。
 
このような意見は、左右両派から、等しく主張されるべきである。

A Reply To An Anonymous On Comfort Woman Issues (Revised)

An anonymous person sent me a rather lengthy message:

["After seeing you in Shusenjo, I viewed your blog and read your defense of "why comfort women aren't slaves." The crux of your argument appeared to be, "if comfort women were slaves, then drafted soldiers and nurses must also be slaves, as they also had to go to the war zone and could not leave." This is an absurd argument, because it treats sex as equivalent to these other kinds of work. This is patently ridiculous. Any sexual act performed without consent is RAPE by definition -- the fact that comfort women were sent to war zones as victims of human trafficking and were then, unable to leave, having no choice of whether to consent to sex or not makes them clearly the victims of rape and "sex slaves." You also make the argument that "even now people don't have the right to leave contracts." This is again an absurd dodge of the fact of sexual slavery. Yes, one is not allowed to break a contract, but there is a blatantly obvious difference between being brought to court for breach of contract (with the right to legal representation), and the situation of comfort women, who were living in comfort stations under military administration, literally with guns pointed at them. The fact that you don't see this blatant difference makes me think that you are arguing in bad faith. When it comes to your whiny rejection of the label "denialist," you are simply incorrect, and strawmanning the term denialist. Holocaust denialists/revisionists never claim that Auschwitz didn't exist or that the Nazis did not oppress Jews. Famous Holocaust deniers like David Irving merely deny the NATURE of the death camps, just like comfort women deniers deny the NATURE of the comfort women system. I am perplexed when you say there is a lack of objective evidence. You bring the former military medic's lack of a personal testimony as a lack of objective evidence, but if his (a Japanese man's) testimony would have been objective evidence had it existed, why are the former (Korean women) comfort women's testimonies NOT objective evidence? Does race and gender change whether a testimony is hard evidence or not? I am sorry for the sudden message, but your arguments are so easily countered that I think it is in your best interest to encounter counter-arguments, because anyone with an IQ higher than a paper-bag moron like T*** ****** will be able to answer you.]

 

And below is my reply:

 

Dear Anonymous Yale Graduate: 

Thank you for your message. 

You wrote, “After seeing you in Shusenjo, I viewed your blog and read your defense of "why comfort women aren't slaves." The crux of your argument appeared to be, "if comfort women were slaves, then drafted soldiers and nurses must also be slaves, as they also had to go to the war zone and could not leave." This is an absurd argument, because it treats sex as equivalent to these other kinds of work. This is patently ridiculous.”  

You seem to think prostitution is not equivalent to these other kinds of work, such as nurses and soldiers.  Let me quote some passages from Ikuhiko Hata’s book.  (If you do not know who Ikuhiko Hata is, please google.)

[Kiuchi Yukiko, who began working as an apprentice nurse in an army hospital in Shanxi Province at the age of eighteen, worked for three years and saved about 1,000 yen, after which she returned home and bought a small house.  Egawa Kiku, who worked at a navy hospital on Hainan Island after graduating from a nurse training school attached to a field hospital, earned ninety yen a month.  However, a comfort woman who came to Egawa for her regular medical checks earned 250 yen a month.  When Egawa became friends with the comfort woman, she brought Egawa canned goods and sweets.  Both women earned more than they would have had they been working in Japan, but the gap between their incomes is similar to the gap today between women who work in an office and at a soapland massage parlor.  Interrelations among different groups could be touchy, even when those groups were working in the same battle zone.  Egawa once expressed envy for the comfort women, telling her hospital friends. “Those women have it so good---they have such easy lives and they get to wear such beautiful kimono.”]

(Comfort Women and Sex in the Battle Zone, by Ikuhiko Hata, P.285)

Hata writes many more examples of first hand accounts of the life of the comfort women.  Although you seem to think sex workers are universally the most miserable, despised occupation, but that is not necessarily the case.   As Egawa envied the “easy life of the comfort women,” there are still women today who wonder whether or not they should use sex to earn money.

Other examples of military prostitution in Hawaii also prove my point that the views on prostitution are not universal, but rather cultural: “Some of the reasons for the brothels’ survivals are found in Hawaii’s multiracial and multicultural society.  To many of the people who made up the islands’ varied populations, prostitution was not a ‘social evil.’”  “Though the early 20th century social purity movement came to Hawaii as to every other place there were Americans, the anti-whore laws it spawned were never strictly enforced.  This is partly due to the fact that neither the natives nor the sizable Asian minority saw prostitution as a “social evil” as the puritanical whites did, and the wealthy planters at the top of white society wanted hookers available to protect their daughters from being raped or seduced by laborers or American sailors.”  https://maggiemcneill.wordpress.com/2011/07/05/honolulu-harlots/ 

http://jackiewhiting.net/HonorsUS/Labor/WWII%20Hotel%20Street.pdf

 

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The U.S. solders line up for brothels on Hotel Street

You seem to be implying that serving as a comfort woman is worse or harder than serving as a soldier.  As a mother of one daughter and two boys, I’d much prefer that they, in fact, live and not die.  There is no greater pain for mothers than to lose their children.  And there is no question that a soldier was more likely to be killed in battle than a comfort woman was. 

(For some unknown reasons, you managed to write, “Holocaust denialists/revisionists never claim that Auschwitz didn't exist or that the Nazis did not oppress Jews.”  I advise you to ask any fifth graders what “never” means, before you irrevocably discredit yourself.)

Further you wrote, “You bring the former military medic's lack of a personal testimony as a lack of objective evidence, but if his testimony would have been objective evidence had it existed, why are the former comfort women's testimonies NOT objective evidence? Does race and gender change whether a testimony is hard evidence or not?”  Believe it or not, this former military medic is the one whom Reuter and BBC are treating as an eyewitness to the Japanese military’s crimes against the comfort women.  However, he admitted, to our surprise, that he actually had not seen any killings of, kidnappings of, nor violence against those women, but had been talking about what he had read in books.  I am not the one who took one Japanese man’s word as evidence.  That’s what Reuters and BBC did.  I’m simply saying he does not qualify to be an “eyewitness.”  The definition of “eyewitness” in only a google away.

But all those arguments above are not the real point. The point is that there was no particular mistreatment of Koreans and others compared to the Japanese, nor that these women were in a worse situation than prostitutes in general in other parts of the world.  Hata has shown that the majority of these women were Japanese. Some of them were sold by their parents, some of them were deceived by brokers, some clearly volunteered, but their conditions were the same. The military prostitutes were paid vastly more than ordinary ones.  Again, many were “voluntary,” exactly the same as prostitutes now. Some were deceived and trafficked, exactly the same as now. The brokers who tricked the Korean women were Korean entrepreneurs who did it for money. When some of them were caught doing that, they were prosecuted by Japanese law enforcement.  In fact, that’s exactly the document Yoshimi Yoshiaki discovered in 1992.   What he found was the documentary evidence in the Defense Agency Library of Tokyo that the Imperial Japanese Army established and ran "comfort stations".

One of these was a notice written on 4 March 1938 by the adjutants to the Chiefs of Staff of the North China Army and Central Expeditionary Army titled "Concerning the Recruitment of Women for Military Comfort Stations". The gist of the document is as below:

"Many agents should have required special attention. Some of them accentuated the name of the armies as much as they might hurt the credibility of the armies and cause misunderstanding among the public, others recruited women without control through war correspondents or entertainers, and others selected the wrong agents who took a kidnapping approach to recruit women so that the police arrested them. In the future, the armies in the field should control recruiting and select the agencies circumspectly and properly, and should build up a closer connection with the local police and the local military police in the implementation of recruiting. Take special care not to have problems which have the potential to damage the armies' credibility or are not acceptable to social standards."   https://en.wikipedia.org/wiki/Yoshiaki_Yoshimi

I am not defending this kind of practice or the treatment of these women, but the fact is that it was in no sense a crime specifically committed by Japan against Korea. However, the judging of only Japan and applying a double standard only to Japan does not seem a fair argument, knowing that exactly the same system of military prostitution was used by the American, South Korea, and earlier, French, German and Chinese military. (The Soviets, by contrast, raped and often murdered more than a than a million women).  

For example, the U.S. military used prostitutes in Hawaii who were mostly recruited from brothels in San Francisco.  Those American prostitutes were called “Honolulu Harlots,” and many elders in Hawaii, including professor George Akita, still remember the American military personnel lining up in a long line to be served by them.

“The central charge of the police department was to keep the district orderly and to keep the prostitutes out of sight of the respectable part of Honolulu.  The majority of Honolulu prostitutes were white women recruited from San Francisco.  Both police and madams preferred it that way, for women from the mainland had fewer choices but to go along with the system.  Each prostitute arriving from the mainland was met at the dock by a member of the vice squad.  After she was fingerprinted, but before she received her license, she was instructed in the rules that would govern her stay on Hotel street:

“She may not visit Waikiki Beach or any other beach except Kailua Beach [across the mountains from Honolulu].
She may not patronize any bars or better class cafes.
She may not own property or an automobile.
She may not have a steady “boyfriend” or be seen on the streets with any men.
She may not marry service personnel.  
She may not attend dances or visit golf courses.
She may not ride in the front seat of a taxicab, or with a man in the back seat.
She may not wire money to the mainland without permission of the madam.
She may not telephone the mainland without permission of the madam.
She may not change from one house to another.  She may not be out of the brothel after 10:30 at night.”

“To break these rules was to risk a beating at the hands of the police and the possible removal from the islands.  Before the war, few women served in the houses for more than six months before they returned to the West Coast.  The Honolulu service, while lucrative, was not paradise.  A few months was often all a woman could take.” 

“Most brothels required girls to see at least 100 men a day and to work at least 20 days per month…” 

“The going rate per visit was $2.00 (a full day’s wages) for locals and $3.00 for servicemen; most businesses had two separate doors and waiting areas because, due to pervasive racist attitudes of the time, white sailors did not like to think they were being served by the same girls who attended to the Asian locals.” 

“The military was pleased with the system, for regulated prostitution kept venereal disease rate relatively low in Hawaii.  During World War II, this consideration became especially important.  Like any other illnesses, venereal disease hurt the war effort by cutting into military manpower.”

“And many of the islands’ white elites, the respectable people who would have provided the necessary pressure to have the brothels closed down, approved of a regulated system of prostitution.  The brothels, many believed, kept predominately lower-class soldiers and sailors and especially overwhelmingly male and dark-skinned plantation workers (who lived in communities with few women) away from the islands’ respectable women, who were, by their definition, white.  The head of Honolulu police commission (which was comprised solely of leading the white businessman) said it directly: too many men in and around Honolulu were ‘just like animals.’”

“Though the early 20th century social purity movement came to Hawaii as to every other place there were Americans, the anti-whore laws it spawned were never strictly enforced.  This is partly due to the fact that neither the natives nor the sizable Asian minority saw prostitution as a “social evil” as the puritanical whites did, and the wealthy planters at the top of white society wanted hookers available to protect their daughters from being raped or seduced by laborers or American sailors.” 

“For most of the war, Hawaii was under martial law, ruled by a military governor.”

“Prostitution was illegal in Hawaii.  Nonetheless, it existed as a highly and openly regulated system, involving the police department, government officials, and the military.” 

 “The majority of official Honolulu prostitutes were white women recruited through San Francisco.  Both police and madam preferred it that way for women from mainland had fewer choices but to go along with the system.” 

Now, isn’t this what you would call a forced sexual slavery by a government/military?

Now, please note that Hawaii was granted its statehood only in 1959, until then it was a U.S. territory, just as Korea was a part of Japan after its annexation.  The only difference is that Korea became independent in 1948, while Hawaii became the 50th State in the United States.  One must be a hypocrite if he refuses to see substantial similarity between Japan’s practice of comfort stations and the brothels in Honolulu street.

Now, going back to the comfort women issues, you wrote ‘Any sexual act performed without consent is RAPE by definition -- the fact that comfort women were sent to war zones as victims of human trafficking and were then, unable to leave, having no choice of whether to consent to sex or not makes them clearly the victims of rape and "sex slaves."’  

Your only argument left sounds like “those Korean comfort women were the victims of human trafficking.”  However, the lack of evidence of the Japanese military forcefully kidnapping those women is what even the New York Times admits, no matter what you heard from the documentary.  

https://www.nytimes.com/2014/12/03/world/asia/japanese-right-attacks-newspaper-on-the-left-emboldening-war-revisionists.html

Moreover, today’s moral judgement aside, the sad practice of parents selling their daughters into brothels was common among the poor and was legal at the time.  Today’s Japanese government cannot be legally responsible for what the poor families did to their daughters roughly seventy or eighty years ago.  When it comes to brokers deceiving women into prostitution, it is still happening in Japan, South Korea, and even in the U.S., despite the efforts by the government to prosecute those criminals.  Again, this is not something for which we can demand a government to apologize.  For example, if some young women from Guatemala were smuggled and forced to work as prostitutes in Los Angeles by human traffickers and brokers, the best the local U.S. government can do is to arrest and prosecute the criminals, rescue the women, and close down the brothels, but not to apologize to Guatemala nor compensate for those women.  What today’s United States government does is what the war-time Japanese government did: try to prevent the human trafficking and enforce laws.  

Let me also add an important fact, since you sounded to not be aware of this: just as is done in private brothels, every comfort woman was asked to sign a statement that she was acting voluntarily and without compulsion. Many of these women had been recruited from civilian brothels, just has Honolulu prostitutes were recruited from brothels in San Francisco.  The point about slavery is that there were among these women many who had been prostitutes before and others who were promised other jobs (often as a waitress, sometimes as a coffee plantation worker).  Therefore, the natural question is: were all of them sex slaves?  Or only the ones who were deceived? If all of them were slaves, then they must have been slaves when they were not working for the military.  Does it mean that all prostitutes are slaves?  

My long quotes from “Prostitutes on Strike: The Women on Hotel Street During World War II” and “The Honest Courtesan” are to point out that the living conditions of the comfort women and other prostitutes were quite similar. Discussing this issue of military and sex as something that only the Japanese did to Koreans is based either on completely ignoring the evidence or on deliberate distortion.  Discussing it in separation from the practices in other countries and other wars is simply anti-Japanese propaganda which is based on fanatical biases.

I have my own views on this subject, based on the evidence. I can change my mind only when I see evidence.  No amount of accusation will change my mind. I do not care what Japanese nationalists, Korean nationalists, leftist or rightist think, only what makes sense to me. And also, I don’t care if I convince you or others – I am only interested in understanding things and not in propagandizing anyone.  I have had enough of propaganda from both sides.  It only stupefies people and stops them from thinking for themselves or looking impartially at the evidence.  And lastly, I could add that I appreciate your “civil manner” in discussing the issues, although you accused me of being a racist and a sexist if I don’t take Korean women’s words as evidence.  I, as an Asian woman, have never thought I’d be called a racist and a sexist by a white male, such as yourself.  With your own logic, you are a racist and a sexist if you question me ever again.  😉

Thank you.

慰安婦を性奴隷と定義する事への反論

ドキュメンタリー映画『主戦場』を視聴された方々の間で、私がインタビュー中、「南京を知れば知るほど、慰安婦たちが性奴隷であると思えてきた」等と答えた事になっているが、先の投稿でも述べた通り、そのような事実は皆無である。この点は、デザキ氏にも確認したが、私はそのような事は一切述べていない。私が述べたのは「南京を学ぶにつれ、(それまで鵜呑みしていた)ナショナリストらの主張を、懐疑的に見るようになった」である。第一、秦氏の著書に説得された形で南京の虐殺についても見識を変えた私が、氏の著書を読み進めるうちに氏の反対する慰安婦性奴隷説に傾いたとするのは、論理的に無理だ。

何せ私は慰安婦を性奴隷と呼んだことは無いばかりか、慰安婦性奴隷説を唱える吉見義明氏の著書を読む必要性すら感じていない。吉見氏については、歴史研究を政治活動の手段としている人物としか認識していない。

『主戦場』のミキネ・デザキ監督の考えでは、「慰安婦は性奴隷ではない」と主張するからには、性奴隷であると唱える吉見義明教授の著書を読まなければならないらしい。私にはこうした主張は、「地球が平らでないと主張するには、『地球平坦説』を唱える人々の著書を読んだ上でなければ正しい批判は出来ない』と言っているのに等しく聞こえる。

勿論これは、慰安婦性奴隷説を唱えた吉見氏の議論が、地球平坦説と等しい程愚かに聞こえるからではない。そうではなく、地球平坦説を唱える人々の著書を読まなくても、その主張の誤りを結論付けられるように、吉見氏の主張は、落ち着いて考えれば、同意する方が困難な理屈なのだ。しかも、戦前、戦中において、日本や韓国で行なわれていた貧しい家庭による身売りというものに関する知識を少しでも持っている人々にとって、慰安婦を性奴隷と呼ぶ新しい定義の方が、『歴史修正主義』と聞こえる。

因みに、歴史家の秦郁彦氏は、英訳された著書『Comfort Women and Sex in the Battle Zone』で慰安婦たちの状況を、東京吉原傀儡で働いた売春婦たち、戦地に赴き働いた女性看護婦、また兵士らのそれと比較して、科学的と言える程冷静に、細かく記している。(同著282頁から285頁参照)

秦氏の検証によれば、慰安婦たちの給与は彼女たちの客であった兵士らの10から13倍にもなり、二、三年働けば、借金を返済した後に故郷に家が建つほどの稼ぎであった。戦地における慰安婦たちの行動制限を指して『奴隷状態』と結論付ける声があるが、戦地である事を考慮すれば、外出や行動にある程度の規制があるのは、何も慰安婦に限った事ではない。兵士にとっても、また陸軍病院で働く看護婦にとっても同様である。

「高給といっても、インフレーションを鑑みれば、大した金額ではない」と、慰安婦だけがインフレーションの影響を受けているような主張はおかしい。インフレのあおりは、兵士や看護婦、一般人も被ったのだから。

一兵卒の給与は月に7円50銭であり、軍曹になると月23円から30円。戦闘の手当がついても、それは倍額までと限られている。戦地の陸軍病院で働く看護婦エガワ・キクの給与は月90円であったが、彼女のもとに来て診てもらっていた慰安婦の給与は月250円であった。

「高い給与を受けていた」に対して、「仲介業者がピンハネをしていた」と、あたかも慰安婦の手元に稼ぎが残らなかったように反論する人がいる。実際には、戦時中、東京の吉原で働いていた女性たちは、手取り分が25%から40%に引き上げられたが、沖縄やその他戦地の慰安婦たちの手取り分は50%から70%にまで引き上げられている。手元に残った賃金で言えば、慰安婦たちは、日本国内の売春業に従事する女性の給与の少なくとも5倍を稼ぎ、平城の売春街で働く女性の10倍を稼いでいる。売春業は、その女性が何人の客を取るかによる。多くの客を相手にした女性が高い給与で『劣悪な労働条件』なのか、多くの若い男性が戦地に駆り出された為、若者の残り少なくなった東京に於いて少ない客を相手にした女性が、僅かの給与で「劣悪な労働条件」なのか、各々判断が違うだろうが、私には、慰安婦たちが吉原の女性よりも性奴隷であるとは思えない。

「その意思に反して」という『強制性』を鑑みても、赤紙によって徴兵された兵隊たちより、慰安婦たちは奴隷なのだろうか。慰安婦を奴隷と呼ぶ論理は、現在の日本人が享受する自由や生活のレベルと比較すれば、当時の日本人、及び韓国人の多くが当てはまるものだろう。現在でも、戦地に赴く兵士、看護婦には、行動や居住の選択に自由が無いし、廃業の自由と言っても、契約を交わして職を得る人々にとって、現在においても、契約の期間が過ぎるまで勝手に廃業できない。第一、貧困の為、或いは騙され、売られて風俗で働く女性たちは、現在の日本、韓国にもいるが、果たして彼女らは一般に性奴隷とは呼ばれているだろうか。

吉見氏の性奴隷説は、慰安婦たちがなぜ吉原の売春婦たちよりも『奴隷』なのか、なぜ看護婦や兵士らより『奴隷』なのか、言ってみれば、何故慰安婦たちだけを『奴隷』と定義しなければならないのか、客観的に説明し得るものではない。

尤も私は、個々の慰安婦たちに、語りつくせない悲話があった事も想像できる。親に売られたにせよ、騙されたにせよ、自ら応募したにせよ、何らかの事情で慰安所で働いたのだ。戦後の苦労もあったかもしれない。しかしながら、彼女たちの苦難は、兵士や陸軍病院の看護婦、また吉原で客をとっていた女性と比較して、より悲惨であったとは言い切れものなのだ。慰安婦たちだけを奴隷と定義する為には、彼女たちよりもはるかに賃金が少なく、行動規制されていた兵士や看護婦、また彼女たちと境遇を同じくしていた吉原の娼婦も奴隷だったとするしかない。吉見氏の発言として、現在も風俗産業で働く女性を指して、彼女らも性奴隷であると呼んだ事があったようだが、それが事実であるならば、そのような理屈は、もはや歴史の事実を追求する研究者の姿勢ではなく、ただの政治イデオロギーを広める活動家のものだ。

勿論、別の人々にとっては、私が以上にまとめた秦氏の説明は不充分であり、それでも慰安婦達を性奴隷だと呼びたいだろう。その通り、数百ページを越す秦氏の著書に記された氏の検証は実に多岐に渡り、私の投稿にまとめ尽くす事は不可能だ。ただこれらの検証は、私が慰安婦を性奴隷と考えない理由として充分なのだ。


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慰安婦という呼称であった女性たちを性奴隷と呼び直す吉見氏の姿勢には、客観的な史実の探求よりも、吉見氏の個人的信念が感じられる。歴史家の目標は、歴史真実の客観的追及である。ところが吉見氏による無理な定義修正や、度重なる反対意見に対する訴訟を通した弾圧を考えると、歴史事実の調査は目的の為の単なる手段であり、目的そのものは別のところにあると思える。

私にとって、吉見氏は歴史家を気取った政治活動家である。氏の著書は、歴史と言う、政治とはかけ離れた学問を学ぶ上で必読の書物ではない。

たとえ、慰安婦たちを性奴隷と定義する吉見氏の動機が、慰安婦一人一人に対する心からの同情であり、善意からであったとしても、何故、これまでのように彼女たちを慰安婦と呼んだまま同情し、心を寄り添う事が出来ないのだろう。

歴史家を気取って政治活動を行なう人物は、右派にもいる。私はそのうちの一人として、阿羅健一氏をあげて批判した事がある。阿羅氏は、果たして南京において日本軍による虐殺が行われたかどうか、当時南京に駐在していた日本人には聞くものの、実際誰よりも虐殺について知る筈の元日本兵たちには聞かず、虐殺を「まぼろし」と呼んでしまっている。「組織的な30万人の虐殺」に対する反論のつもりしれないが、これでは客観的史実の検証とは程遠い。吉見氏や阿羅氏にとって、歴史とは目的を達成する為の手段でしかないのではないか。

一国の歴史というものは、ある思想にとって便利な事の連なりでは決してない。善か悪で割りきれる程、単純なものではないのだ。そしてこれは、私自身の誤りからも言えるのだが、「信じたい歴史観」がある限り、それを補強してくれるプロパガンダに対して、我々はあまりにも弱い。