伊藤詩織氏批判について考える

アメリカに暮らしていると、日本の話題も、こちらが積極的に探そうとしない限り、自然に入ってくることはあまり無い。ジャーナリストである伊藤詩織さんの『勝訴』のニュースについて、私は親日派の友人であるポーランド人数学者から「これは日本の裁判に関する、良いニュースだ」という形でニューヨーク・タイムズのリンクが送られてきた為、その記事を読んで知った。https://www.nytimes.com/2017/12/29/world/asia/japan-rape.html

記事を読んだ時点では、この『勝訴』は当然の事と思われ、日本の保守派の間でもそのように受け取られているだろうと考えた。ところが、色々なところから、被害者側である伊藤氏の方に非があるとする意見が目につき始めたので、私なりに日本の記事もいくつか読み、山口氏が月刊Hanadaに書かれた記事も拝読した。https://hanada-plus.jp/articles/250 https://hanada-plus.jp/articles/260

これらを踏まえ、私なりの意見を纏めてみる。

 

重要なタクシー運転手の証言とホテルのカメラ

Motoko Rich氏によって書かれたニューヨークタイムズの記事は、伊藤詩織氏勝訴のニュースを『Me Too』と関連付けて、この勝訴をもって日本の性被害女性もこれから名乗り出易くなるのでは、と期待しているようだ。私はどの事案であっても、一つ一つのケースをそれぞれ判断していくのが良いと考える為、急進的一部の左派から聞こえる、訴え出る女性が嘘をつく筈が無いと信じる事が大切であるかのような極論には賛成しないが、この記事を読む限り、裁判所の判断は納得がいくものだと思われた。私が読んで、山口敬之氏による強要性を最も強く感じたのは、伊藤氏と山口氏を乗せたタクシー運転手の証言である。運転手の証言によれば、駅で降ろして欲しい旨を伝えた伊藤氏の複数回に及んだ願いを無視して、山口氏は何もしない事を約束しながら、運転手にホテルまで車を走らせることを指示したと言う。伊藤氏はタクシーの車中で嘔吐もしている。また警察が入手したホテルのカメラには、伊藤氏が意識の無いまま山口氏に抱えられてホテルのロビーを移動する姿も映っている。これらの点から考えれば、伊藤氏が性行為への合意をハッキリと示す状態ではなかったと理解するのが自然だろう。検察による不起訴の処分を不服とした伊藤氏が民事裁判に訴えた事に反発する形で山口氏が月刊Hanadaに寄稿した『私を訴えた伊藤詩織さんへ』も読んでみたが、やはり山口氏による「合意の上での性行為であった」という主張を信じるに足るには至らなかった。

 

鈴木裁判長の指摘した山口氏証言の矛盾

山口氏の主張だけを拾っても、(氏によれば)何度も嘔吐を繰り返した女性の酔いがほんの数時間後にはすっかり醒めているのに対し、山口氏自身は伊藤氏に宛てたメールで「私もそこそこ酔っていたところに、あなたのような素敵な女性が半裸でベッドに入ってきて、そういうことになってしまった」と、山口氏の酔いは醒めていなかった旨を書いている。しかも民事裁判の法廷において、性行為が行なわれたベッドはドアの近くにある伊藤氏が寝かされていたベッドであったと証言しているのに、伊藤氏が入ってきた「私の寝ていたベッド」は、ドアの近くのベッドであったとも答えている。これでは、同意の上での性行為であったという核心部分についての説明に矛盾があると、東京地裁の鈴木昭洋裁判長が「不合理に変遷していて信用性について重大な疑いがある」と指摘したのも無理はない。

 

被害女性の複雑な心理

特に「もしあなたが朝の段階で私にレイプされたと思っていたのであれば、絶対にしないはずの行動をし、絶対にしたはずの行動をしていない」等の主張は、その基準が山口氏の主観や予測がベースとなっただけのもので、科学的データや調査を基にしたものではない。山口氏の主張は、伊藤氏との性行為を山口氏が強姦だと考えていなかった、という主観を主張したものでしかないのだ。加えて言えば、知り合いによるレイプやデートレイプ等の後の被害女性の複雑な心境や行動はさまざまであり、全ての被害女性が一様の反応をするとは思われない。「レイプであったら、こうした行動はとらない筈」という類の主張は、山口氏に限らずその他の右派言論人からも聞こえるが、期待の反応をしなかったからと言って、その性行為に同意があったか無かったかの証明とはなり得ない。むしろ「我々が納得する言動を行なわない限り、レイプ被害者だとは認めない」という偏狭な偏見や期待をこれらの人々が持っている証でしかない。私の知り合いにも強姦の被害者となった女性はいるが、レイプ被害後、彼女は加害の男性に対して強い不信感や嫌悪感を感じながらも、表ざたにするよりも、加害男性の反省をそれとなく求めつつ、今まで積み上げてきた関係の全崩壊に至らないように、出来るだけ穏便に済ませる方法を探っていた。男性の反省が全く無く、むしろ開き直る態度であった為、加害男性との関係を完全に絶ったようだが、それでも「あなたの側に隙があったのでは」と批判される事を嫌がり、泣き寝入りに甘んじている。彼女のように、強姦でありながらも、出来るならば穏便に済ませようと試みたり、或いは自分の身に起きた事が犯罪ではないかのように否認する被害女性の複雑な心理などは、単純な事柄以外に思考が及ばない人々には決して理解できないだろう。

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泥酔すれば女性に非があるのか

密室での出来事であり、真相はわからないという意見があるとして、私が違和感を強く覚えるのは「男性の前で泥酔状態となるまで飲酒したのだから、伊藤氏には女性としての非がある」という理屈だ。

山口氏は『Hanada』に寄せた文章で、伊藤氏が日本人相手のキャバレーで働いていた事や、就職の紹介を求めて連絡を取ってきたと書いている。キャバレーで働いていたのだから、伊藤氏は女性としてルースであり、強姦ではないと言いたいのだろうか。山口氏の記述に呼応するように、若い女性が就職の紹介を男性に求め、その男性と食事に行き、二人で飲酒をした上、意識が無くなるまで飲酒をしたのだから、レイプされてもしかたないというかのような、伊藤氏への批判が右派から上がっている。私は、こうした主張をする日本の右派の『性に対する女性の権利』への意識が、日本の左派や、保守派を含めた欧米人と比較して、発展途上のままである事を感じる。これは、左派や欧米に強姦や性犯罪が無いからでは無い。左派や欧米にも性犯罪は発生する。職業上立場を利用したり、女性を泥酔させ、性的搾取を行なおうとする男性は、左右を問わず、どこの社会にもいる。しかしながら、そうした行動を良しとしたり、弁護したり、却って女性の側を非とする声など、左派や欧米には無い。他者が自分の体に対して持つ権利という概念が確立している人々にとって、相手の弱みに付け込んで、他者から搾取する行為は、「弁解する余地がない」「人として恥ずべき行為である」と理解されているからだろう。

そもそも「泥酔状態に陥って隙を見せたのだから、隙を見せた方が悪い」という主張は、あまりにも醜悪だ。伊藤氏と山口氏の問題に関して自民党の杉田水脈議員は、「(伊藤氏には)明らかに女としての落ち度がありますよね。男性の前でそれだけ飲んで、記憶をなくしてっていう」と発言しているが、敢えて皮肉を込めて指摘すれば、映画『主戦場』の中で杉田氏は、「騙される方が悪いという考え方は(日本人の考え方ではなく)、中国人や韓国人のものだ」という類の発言していた筈だ。杉田氏はあまり事実や一貫性を考慮しながら発言をされる方ではない。むしろ無知を土台とした偏見や稚拙な身内意識によって発言しているだけだろう。それでも「一般論としながら、女性が男性の前で泥酔すれば、女性としての非がある」という見解や倫理観は、杉田氏のような暴論によって知られる人物以外からも聞く。しかしながらそうした論理は、果たして保守派が掲げる「美しい日本」に相応しいものなのだろうか。

 

財布を落としても戻って来る日本

例えば、職の斡旋を求めてきた人物が意識を失うほど泥酔して、眠り込んでしまったとする。こうした場合、眠り込んでいる人物の財布を奪い、中に入っているお金を盗むことは容易だろう。一緒に飲酒している相手は、こうした状況に遇った場合「人前で泥酔している方に隙がある」として、泥酔している人物から財布や貴重品を盗んで良いのだろうか。「合意の上でのやり取りだった」として、泥酔状態にある人物との合意が成り立つと主張できるだろうか。「職を下さいと言ってきた人物が財布を盗まれましたと被害を訴えるところに矛盾を感じる」等、盗まれた側に非があるかのような議論を行なうだろうか。しかも「財布を落としても、中のお金が盗まれる事なく持ち主のもとに帰って来る」と言われる日本で、である。もし誰かが「日本は、泥酔して財布を落としても、中のお金が盗まれる事なく持ち主のもとに届けられる国です」と日本社会の倫理観の高さを謳いながら、「男性の前で女性が泥酔したのだから、女性は強姦されても非は彼女にあります」などと本気で主張すれば、その人は、金銭の価値は理解できても女性の尊厳を理解できない野蛮で未開発な人物であると批判されるべきだろう。

 

山口氏はどうすれば良かったのか

「山口氏が泥酔状態に陥った伊藤氏を抱え、自らの宿泊するホテルに連れ込んだのは山口氏なりの親切心からの行動である」という意見は、一応の理解が出来る。「泥酔状態の若い女性を駅で降ろすわけにはいかない」と真摯な心から行なう場合もあるだろう。「悪い人に付け込まれるかもしれない」「酔ったままで無事に家に帰れるだろうか」等の心配は当然である。しかしながら山口氏が、もしそうした紳士的な親切心や善意から来る心配によって、伊藤氏を自分のホテルの部屋に連れてきたならば、当初の紳士精神に従って、山口氏は伊藤氏の弱みに付け込まず、何も無いまま彼女を無事に帰すべきであった。

また当然過ぎて主張されていないが、山口氏にとっては完全に合意の上の性行為であったとして、ホテルに連れ込んだ時点で山口氏に疚しさも後ろめたさも無かったならば、後に伊藤氏から合意の上での性行為ではなかったショックを知らされた時には、自らの『勘違い』を潔く謝罪し、それに徹するべきだった。伊藤氏について「あなたは、キャバレーで働いていました」と暴露して攻撃するよりも、誠実で紳士的姿勢を山口氏が徹底して示していれば、伊藤氏の受けた傷も浅く済んだかもしれない。まして「自分は疚しい思いからではなく、心配と親切心からタクシーをホテルまで走らせ同室に泊め、同意の上だという勘違いのもと、性行為に至ってしまった」という高潔な人格への主張も、一般的には受け入れ易かっただろう。

そうではなく、事件とは関係の無い伊藤氏批判を発表し、伊藤氏に責任転嫁し、彼女に味方する野党議員の存在を以て自らに対する政治的陰謀の存在を示唆する山口氏の姿勢こそが、氏の人格の高潔さに疑いを抱かせてしまっている。

言論人による言論弾圧

東スポの報道のよれば、[出演者である保守系論客8人のうち、すでに7人が上智大学教授でデザキ氏の指導教員であった教授に対し、上智大学が規定する書式に基づいて「研究参加同意撤回書」を送付。残る1人も撤回書を独自に送る予定で8人全員となる。上智大学の規定では、同意撤回書が出された場合は、無条件で映像や音声を廃棄することが義務づけられている。提訴している出演者で教育研究者の藤岡信勝氏は「上智の規定によって映画『主戦場』は、もはや存在の根拠を失い、世の中に存在してはいけないものになっているのです」と指摘する。]とある。https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/movies/1610712/?fbclid=IwAR1ogJkJRzVLATfLuiI0HM3QxMFrQUQL2pKbkYRiJ2ctpTnfiY18Kunuy1w また[ 藤木氏は「10月4日にデザキ氏と配給会社を刑事告発し、受理されました」と明かす。「テキサス親父」ことトニー・マラーノ氏と藤木氏が共有著作権者であるユーチューブの映像を商業映画に無断使用されたなどとして、著作権侵害で埼玉県警熊谷署に刑事告訴したという。告訴状は処罰を求めるもので、受理された場合、警察には捜査義務がある。「主戦場」騒動が事件かするわけだ。]ともある。この刑事事件化については、韓国で元慰安婦の女性らに訴えられている朴裕河氏も「よくわからない」とした上で「私のケースと同じだと思う」と書かれていた。      


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私は弁護士でも裁判官でもないので、印象だけ述べるが、幾人かの『主戦場』出演者による訴訟は、反対する意見への弾圧に見える。私はこの映画の出来に対して良い印象を持っていないが、それでも出演者たちがインタビューを受ける時点で、この映画の出来によっては一般公開もあり得る、という可能性を知らなかったとは信じ難い。なぜなら私の事を言えば、インテビューを受けた時点でその可能性を伝えられており、むしろ一般公開の可能性があった為に、忙しい中インタビューに応じたのが本当だ。私でさえそうなのだから、テレビ出演や講演会、執筆に忙しい8人の保守派論客の方々が、一般公開される可能性の無い一修士論文の為に、わざわざ時間を割くだろうか。デザキ氏を訴えている諸氏は、商業目的だとは知らされておらず、あくまで学術研究という事だったのでインタビューを受けたと主張する。勿論、彼らがインタビューを受けた時点での動機について、どのような主張も法的には可能だ。しかしながら、果たしてその論理に客観的説得力はあるだろうか。

また映画出演における契約書への署名についても、藤岡信勝氏は「単なるセレモニーだと思った」と言われていたが、この言い訳は、契約書への署名という法的行為に法的拘束力はないと言っているに等しい。もし契約書に法的拘束力を認めなくて良いならば、そうした解釈への便乗、乱用が多く生じる事だろう。因みに右派は、元慰安婦たちが慰安所で働き始めるにあたり、それぞれ契約書へ署名しなければならず、売春行為をさせられるとは全く知らなかったという今さらの主張は偽りである、と指摘している。70年以上前の十代の少女達でさえ、契約書へのサインでもって自己の責任を問われているのだ。大学教授でもある藤岡氏の言い訳は、あまりにも稚拙である。

上智大学のルールに基づいて「研究参加同意撤回書」が送付されたようだが、この映画の著作権を上智大学が持っているか、デザキ氏が持っているかによって上智大学のルールを適用できるかどうか、判断が分かれる。もし著作権をデザキ氏が所持している場合、一般公開されている作品の在り方について、上智大学の規定が適用されるとは思われない。また研究参加同意の撤回の権利が無期限にあるか、有期限かによって「映像や音声を廃棄する義務」への判断が分かれる。一般的に言って、研究参加同意撤回の権利が無期限にあるとは思われない。作品の完成後、一部の協力者による参加同意の撤回で、作品そのものが「存在の根拠を失い、世の中に存在してはいけないもの」になるとすれば、一般にも多くある共著の書籍、雑誌、インタビュー、映画などは、存在できなくなる。上智大学が設けた規定は、研究への協力を行なった後から作品の完成前の期間を指していないだろうか。もし上智大学の規定が研究参加同意の撤回期限を無期限に認めている場合、さまざまな便乗や乱用が多発しそうな規定である。

私が冒頭に自分が弁護士でも裁判官でもない事を挙げた理由は、それでも世の中の裁判例として、一般が非常識と思う判例もあり得ると弁えているからだ。であるので私の印象は述べつつも、実際にこの裁判がどうなるか、予測する事はしない。しかしながら法的な結論はともかく、この裁判は保守論客が勝っても、彼らの主張への印象を甚だしく傷つけるという点において、彼らは既に敗北してしまっている。例え日本の裁判所が彼らの主張を全面的に認め、『主戦場』が闇に葬られたとしても、海外の多くのメディアは、右派出演者が法のテクニカリティーを利用して気に入らない意見を封じ込めた『言論、表現の自由の敗北』と報道するだろう。そして実際、その通りなのだ。

デザキ氏による映画の出来に不満がある事は以前に述べた。この映画が客観的であるとか、公平、中立であるとは全く思えないが、そうした定義は観る人の主観による。デザキ氏はインタビューを申し込む際に「慰安婦問題をリサーチするにつれ、欧米のリベラルなメディアで読む情報よりも、問題は複雑であるということが分かりました。(…)私は欧米メディアの情報を信じていたと認めざるを得ませんが、現在は、疑問を抱いています。(…)大学院生として、私には、インタビューさせて頂く方々を、尊敬と公平さをもって紹介する倫理的義務があります。また、これは学術的研究でもあるため(…)偏ったジャーナリズム的なものになることはありません」と書き、右派論客からの協力を得たようだが、彼らへのインタビュー等を通して、彼らの主張への反感を強めたのではないだろうか。一部右派から聞かれるあからさまな差別発言は、他者の名誉に関心を払う人々のものとは到底思えず、多くの人々が不快な印象を持ったが、特に米国で育ったデザキ氏がああした発言を看過できるとは思えない。

繰り返しになるが、私はこの映画の仕上がりに不満を持った一人である。しかしながらデザキ氏を法的に訴える事には強く反対をしている。言論や表現の自由の保証されている国において、誤った意見や『嘘』に対しては、更に『正しい意見』を提供し、他者を啓蒙し、説得するしかないのだ。デザキ氏を訴えている人々は全て、この映画への反対意見を述べる機会の無い人々ではない。

最後に、政治趣向の如何は、ある人の人格を保証するものでは無い。しかし右派も左派も、自分の政治趣向と同じ主張をする人々は無条件に擁護し、反対の政治趣向を持つ人々に対しては、それらの人々が人格的に劣るものとして、否定してきた。映画『主戦場』を巡る一部右派による法的措置は、右派による言論の自由への挑戦と受け取られる。しかしながら、左派とて反対意見への法的弾圧を幾度となく行なってきている。朝日新聞の植村隆元記者は桜井よし子氏と西岡力氏らを訴え、吉見義明氏も桜内文城元衆院議員を訴えていた。その時、果たして左派は、右派言論人や衆議院議員の言論、表現の自由を擁護し、仲間による自由への挑戦を批判しただろうか。気に入らない言論に対する弾圧は、左右どちらの側も行なっているのだ。因みに、私は左派のジャーナリストにも、右派のライターにも「名誉棄損で訴える」とそれぞれ脅された事がある。勿論彼らに法的根拠がある訳ではない。邪魔な言論は封じ込みたいだけだ。

邪魔な言論を封じ込みたい『言論人』がいるとして、我々はそうした人々が同じ政治趣向を主張している場合、彼らへの批判を控える傾向がある。言論弾圧が反対派によるものであったら、頭ごなしに批判するとしても、政治的な主張が同じである場合、何らかの言い訳を探してきては、彼らを擁護してみせる。こうした二重基準の傾向は、ジョージ・ブッシュ元大統領が見事に指摘している。「しばし我々は、反対するグループをそのうちの最も悪い例で裁きながら、我々の仲間については、その最高の動機で判断する。そしてそれにより、我々の理解と共通の目的の絆を緊張させている。」https://www.washingtonpost.com/news/on-leadership/wp/2017/10/20/the-most-memorable-passage-in-george-w-bushs-speech-rebuking-trumpism/

政治が余りにも二極してしまうと、我々のうちの多くは、二種類の異なる物差しや測りを必要とするらしい。しかしながらそこにはもはや、公平も公正も存在しない。

異論を超えて

朴裕河氏の『和解のために』を読んでいるが、さまざまな言い分に耳を傾ける朴氏の姿勢には、改めて感銘を受ける。ドキュメンタリー映画『主戦場』が、両サイドから主張を公平に聞くとしながら、実際には、右派の主張の根底には差別意識や政治的陰謀が原因としてあるかのように見せ、それを良識ある左派学者が論破していくといった勧善懲悪映画のような出来になっているのに対し、朴氏の書かれるものは、論争の背景や流れには様々な出来事やサイドがある事を紹介し、まずそれらにじっくりと耳を傾け、多々ある意見を交差させ、議論させている。『主戦場』も右派の主張に時間を割いているとは言うものの、要は極論の紹介であり、その後には左派の反論が、決定打であるかのように紹介され、意見の交換はなされていない。

勿論、朴氏も、ご自分の考えを持たれ、それらを述べられている。朴氏の意見の中には、なるほど共感できるものもある。しかしながら私は、朴氏のお考えに全て賛成している訳ではない。むしろ、国家や政府の役割、責任とは何かについての考えが、朴氏と私では基本的に異なっている為、多くの解釈や結論を異にしているのだ。とは言うものの、政府の役割や責任に対して、ともすれば朴氏の方が、一般的な日本人の考え方と近いのかもしれない。

私が正しいと信じるのは、特に米国保守派が主張する 「小さな政府」であり、政府の責任や介入を極力小さくし、代わりに「個人の自由(責任)」を強く主張する考えである。であるから、例えば米マクグロウヒル社の歴史教科書に、事実と異なる内容が史実として記述されているという日本人学者の言い分には同意しながらも、安倍首相や日本政府に歴史教科書問題への介入を求めた日本人保守の要求は、学問の自由という観点から鑑みて奇妙に聞こえた。政府介入に対する反発という点から言えば、米学者らの言い分こそ同意できた。また歴史家としての秦郁彦氏の 功績は世界的に高く評価されており、その他の歴史学者とは全くスケールが違うのだが、政権に近い「お抱え学者」であるかのように見られる事が災いし、学問は権力に対立こそすれ、それからは距離を置くべきと考える欧米人にとって却ってマイナスの印象を与えかねないとも危惧もする。学問だけではなく、国民生活の文化的、倫理的側面にまで政府の指導を期待する主張には違和感を覚えるし、時には反対の声も挙げる。
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私は政府の役割は、法を定め、司法の判断を行ない、それらに沿って政治を行なう際に、個人の自由を保証し、選択肢を広くする事にあると考えている。個人の自由や選択の権利を主張すると、まるで自分の権利を主張するばかりで自らの責任を認めない活動家のように聞こえるかもしれないが、実は個人の自由、権利には、必ず責任が付きまとう。政府の役割を小さくする代わり、個人の選択や自由、権利を大きくすれば、政府の責任は小さくなり、当然ながら国民の側の選択肢ともに責任が大きくなる。政府とは世俗社会における妥協や、最大限の自由を保証する傍ら最低限の不自由を強要する公的機関であり、決して正義感や倫理を押し付ける機関ではない。政府が国民に対して倫理や正義を強要すれば、政府機関による個人的選択への侵害は止める者なく横行するだろう。

そのように、徹底した個人的選択や自由への権利、またその結果に伴う責任を弁える社会に慣れてしまうと、良しかれ、悪しかれ、個人の選択による悲劇の責任を政府に求める主張には、反対に違和感を覚える。その為、朴氏も述べられている通りの、親によって売られたり、騙されて働かされた元慰安婦たちの経験した悲しみや怒りに同情しながらも、その責任は現在の日本政府に課せる類ではないと考えるのだ。朴氏は、女性が慰安婦として親に売られていった背景の一端に、当時の日本や朝鮮半島における個々の家庭に巣食っていた「家長制度」があると挙げられている。それにある程度同意できるとして、私には、家長制度の責任を日本国政府に問う事は不可能であると考える。

文化的弊害の責任はあくまでも個人にあり、決して政府に押し付けられるべきでない。もしこうした家長制度の弊害といった、父親という個人の選択や文化の責任が政府にあるならば、論理から言えば、個人の行動への決定権が政府になければおかしい。しかしながら、実際には、家長制度の下に、娘を売る等の決定は、政府が行なったのではない。政府の力は法的拘束力にあり、法による権力の行使を行なっていない限り、政府の責任を文化に問う事は出来ても、蔓延る文化の責任を政府に押し付ける事は不可能である。

このように考えると、朴氏と私の考え方の間の隔たりは大きい。朴氏の持つ、個々の悲劇にじっくりと耳を傾ける姿勢は尊敬に値するし、ある既存する歴史観に対し、別の見方を提供する歴史という学問への誠実さは稀有と言って良いだろう。しかしながら、考え方や結論に隔たりがあれば、和解が不可能であるとか、平和共存が出来ないとは考えない。むしろ、それぞれ別の考え方や思想、価値観を持ちながら、尊敬し合い、協力できるところは協力し合う関係が、民主主義国家同士の関係では無いだろうか。

私は、同じ一つの事実を見て、或いは同じ出来事を体験したとしても、人と人が同じ感想を持ち、同じ結論に至るとは考えていない。十人いれば、十通りの考え方があり、誰かが自分の考えを正しいと信じていても、それを他人に押し付ける事は出来ないのだ。もし他人が自ら別の考えに説得され、納得すれば、意見の共有はあり得るだろう。しかしながら、歴史や国益、政治などについては、それぞれの立場によって考えが違って当然なのだ。

それでは歴史観が共有出来ないと踏まえて、日韓はどのように協力し、関わり合うべきだろう。この問いは、実は多くの人々が、歴史問題のあれこれよりもずっと真剣に考えるべき問いなのだ。その際、考え方が違っていたとしても、それでも日韓の和解を探っている多くの方々は、朴氏も含め、やはり日韓の平和にとって貴重な存在なのだと思う。

傷付く人々

米保守メディアであるNational Review誌と、「ラジオ・フリー・アジア」の報道によれば、中国政府は、中国新疆ウイグル自治区の、一家の男性を拘束されたウイグル人家庭に、漢民族の中国共産党員を「親戚」として隔月送り込み、何週間か共に過ごさせる事で「民族間の一致」を進めているようだ。この『ペア・アップで家族作り』プログラムは2017年から始められており、対象となっているのはウイグル自治区に住むイスラム教徒のうち、特に信仰心の篤いと見られる人々や、中国共産党政府にとって不都合な政治思想を持つと見做された人々だ。ウイグル自治区にはすでにいくつもの強制収容所があり、この中には約150万人の人々が収容されている。https://www.nationalreview.com/news/chinese-government-assigning-han-men-to-live-and-sleep-with-uighur-women-whose-husbands-have-been-detained-report/amp/?__twitter_impression=true&fbclid=IwAR0PT0Le_Cf8t3XZXG7scbjbEoHDowgq0Eod-E4UfCTqVQCTqtQ_af5klrs              

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自治区カシュガル市の中国共産党幹部によれば、彼自身70から80件のウイグル人家庭を担当し、漢族の共産党員をこれらの家庭に滞在させている。彼の話によれば、送り込まれる共産党員の殆どは男性であり、夫が強制収容所に送られて不在の家庭に日夜滞在し、夜はその家庭の妻と同じベッドで過ごすらしい。ウイグル人家庭側から不満を聞く事は一切ないと主張するが、こうした政策に反対をすれば、残された家族も強制収容所に送り込まれる。 https://www.rfa.org/english/news/uyghur/cosleeping-10312019160528.html  

こうした悲劇が国連で取り上げられる事は無い。結局、人権侵害を行なっている国々が多く加盟しており、それらの国々を抱えた上での多数決という方法で決断がなされ、主権国の同意が無ければその内政に介入できない国連という組織には、深刻な人権侵害を行なっている国々への対処法は無いのだ。真に国家間の平和に対する貢献や、テロリスト組織撲滅、内戦状態から少数派の人権を守る役割などを担って来たのは、主に米軍であり北大西洋条約機構(NATO)であったのだが、オバマ元大統領からトランプ現大統領に続く今日の米国は、自由主義社会のリーダーとしての役割から逃れようとするばかりだ。NATO加盟国でありながら、エルドアン大統領の下、すっかりイスラム原理主義色を強めるトルコは、自国の少数民族であるクルド人発起の警戒と米国の弱腰を見抜き、隣国シリアに侵略し、シリア自治区のクルド人らの民族浄化を始めている。停戦の合意を結んだものの、クルド人虐殺が止む事は無い。

また、私の友人には、シリア出身のイスラム教徒移民がいる。彼は2014年にアメリカに移住し、市民権申請の際には、移民局の係員に名前を変更する希望はあるか聞かれ、モハメッドというイスラム教徒特有の名前から、モーリスというキリスト教徒の名前に変えたそうだ。「あまり深く考えずに、両親にも相談せず変えてしまった。父さんは気付いても何も言わなかったけど、母さんにはすごく叱られた」と笑うが、彼は2012年の「アラブの春」と呼ばれる反アサド政権デモに、友人、親戚らと参加をし、一緒に参加をした多数の友人、親戚を失っている。

「我々は、顔を隠してデモに参加をしたんだ。デモに参加をしている人間の身元を割り出す為に、アサドは多くのスパイを潜ませているから、デモの話しなどは知り合いであってもしない。でも、そうやって注意しながら参加していたのに、たくさんの友人は逮捕され、それっきりだ。逮捕された中で、生きて帰ってきた友人はいない。みんな飢え死にさせられたか、拷問で殺されてしまったんだろう。仲の良かった友達が何人も殺されてしまったのに、僕がなぜ逮捕もされず、生き残って、今こうしてアメリカに住んで、平和に過ごしているのか、分からない。みんな、平和って何となく続いて当然だと思っているみたいだけれど、シリアだって2012年までは平和で、僕たちにも将来についての夢や考え、計画があったんだ。それが本当に一年のうちに全て変わってしまった。僕は家族と2013年にアメリカに移民してきたけれど、その頃にはISISの台頭も少し見た。でもISISだけでなくて、いろんなグループがそれぞれ市民を虐殺し始めていたんだ。平和なんて本当に脆いってことを、みんなあまり考えてもいないみたいだ。」

普段はにこやかで、出された物は何でも食べる。人懐こく、親しみやすい彼だが、シリアでの出来事を語る時には、決して他人には理解されない痛みを思い浮かべるかのように、時には静かになり、時には絶望的な怒りを覗かせる。

モーリスの話を聞いた後、私は米国や日本、韓国など、自由主義社会に生きる右派や左派が、共に自分たちこそひどい人権侵害の被害者であるかのように、その痛みを主張しているさまを思い出す。勿論、本当に苦しみを抱える人々もいるだろう。しかしながら政治問題の中に被害者として名前を出す人々の多くは、先に挙げたウイグル民族や、モーリスの友人らのような、真の人権蹂躙の被害者ではない。被害者であると誇張する事で、政治的発言権を得ようとしている場合が殆どだ。

私が中学生のころ、つかこうへいのエッセイ集、「傷つく事だけ上手になって」を読んだことがある。もう内容はすっかり忘れてしまったが、そのうちの一文だけは、ハッキリと覚えている。

「優しさに食傷気味の人々は、裏切る事によってのみ精神的高揚を得られるのです。」

その前後の文章を覚えていない為、つか氏の言いたかった事が何であったのかはわからない。しかしながら、自由主義社会で生きる私たちは、平和という優しさに慣れてしまっていないだろうか。その為に、まるで被害者である事を競い合うかのように、些細な事で怒り、傷ついている。

平和のために

『帝国の慰安婦』を書かれ、日本人の間でも知られている世宗大学教授、朴裕河氏の『和解のために』を読んでいる。「歴史教科書」、「従軍慰安婦」、「靖国神社」、「竹島(独島)」などのテーマ別に、事実関係を挙げた上で、さまざまな意見に対し丁寧に耳を傾けながら、日韓の和解に向けた道筋を探っている作品だ。『和解のために』という著書名である事からも理解できる通り、朴氏は日本と韓国の間に横たわる、いくつかの諸問題の背景やいきさつ、相違する主張を紹介し、説明されながら、日韓の双方がお互いを理解し、許し合えるように導かれようとされている。

一方、自分の信じる主張のみ取り上げてくれる著者による、歯切れの良い主張、単純明快にどちらの側が正しく、どちらの側が間違っているかを明確にし、間違っている側を罵ってくれるような『勧善懲悪』を求める読者にとっては、不満極まりない作品だろう。ソーシャル・メディアの発達により、自分の意見とは異なる主張をする人々と一切関ずに、同じ意見を持つ仲間との関わりだけで、充分事足りる日常になってきたせいか、異なる考えを持つ人々の意見に時間をかけて耳を傾け、しかも肯定的な人間関係を保つ必要が少なくなったからだろうか。異なる意見を真剣に聞く姿勢が、多くの人々に欠けているように思われる。
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とは言うものの、私自身、こうした風潮に慣れてしまっている。余りにもくだらないと思われる主張には、じっくり時間を割く気にならないのだ。勿論、それでも一応は知っておかなければならないという目的のため、我慢して、読んでいる類だ。こういう態度だから、誰かの意見を批判する場合にも、その人にとってみれば「私の言っているのは、そういう事ではない」と不満に思われる可能性もあるだろう。朴氏の書かれたものを読む限り、朴氏には、私が持ち得るような高慢な姿勢は全く感じられない。また異なる意見を批判するだけではなく、人格攻撃をする事によってその主張の正当性を損ねようと試みる事もされていない。日本と韓国との間の諍いが終結する事を願いながらも結局は相手側に完全な譲歩を求める人々の多い中、そうした姿勢では決して和解が得られない事を、朴氏はご存じなのだろう。

私が強調したいのは、「反対意見を唱える人、イコール、敵」ではないという点だ。政治趣向が余りにも二極化してしまうと、つい反対の意見を持つ人々に対して、あたかも彼らが道徳的、倫理的、或いは知識の上で劣っていると考えたり、関係すら遮断してしまう傾向がある。しかしながら、意見の違いは道徳観や知識量の差だとは限らず、反対意見の中にもそれなりの理屈、論理はあるのだ。元々のリベラル派の基本は、「反対の意見を持っている人々も、道徳的、倫理的に優れた人であり、意見が異なっても、それは事実関係に於いての知識が足らない訳ではない」という「価値観における多様性」の受け入れであった筈だ。一方ナショナリストらは、「国の名誉を守る」という形で、結局は自分以外の他者に関わる名誉を重んじていた筈だ。リベラル派にせよ、ナショナリストにせよ、余りにも偏狭な正義感によって、友人、味方となり得る人々を押しやってしまうべきではない。

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私がこう書くのは、日本にとっても韓国にとっても安全保障の問題が重くあり、同じ脅威に直面する間柄、日米韓という枠組みの中での協力関係を強固にする必要があるからだ。シリアの北部に於いては、数週間前まで、米国務省によっても、米国防省によっても米国との同盟関係固持を保証されていたクルド人部隊(SDF)が、トランプ大統領とトルコ、エルドアン大統領との直接電話会談の結果、あっさり見捨てられ、トルコ軍らによるクルド人、ヤディジ人らへの民族浄化が進められている現実がある。もともと米国には、国際紛争における介入を渋る傾向を持つ民主党と、アメリカには世界の警察官としての特別な使命があると信じる共和党がある。しかしながら、外交に於いては一国平和主義のリベタリアン主義的傾向があるトランプ氏が共和党からの大統領である為、同盟相手を見捨てる暴挙に出た大統領の政策を、共和党議員らは止められないのだ。トランプ氏によるストロングマン(暴君)への陶酔は著しく、北朝鮮の金正恩などに対しては「私たちは恋に落ちたんだ」と豪語している。北朝鮮によるミサイル発射に際しては「大した事ない」で済ませてしまったし、核兵器開発の情報が国防省からあっても、自国の軍からの情報すら否定している。2020年以降の大統領がトランプ氏であろうが、民主党からの大統領であろうが、今までのような米国介入の保証は期待できないのが本当だ。例えば、近い将来、北朝鮮が核ミサイルの発射を日本海に向けて行なったとして、そうした場合の危機を自国のものとして真剣に向き合ってくれるのは、同じ脅威に直面した国でしかない。だからこそ地政学上からの理由によって、日韓相互の協力が不可欠なのだ。

因みに朴氏は、事実を知らせる事が和解に繋がると信じられているように見受けられる。一方私は、今日の安全保障における協力関係の必然性を説くべきだと考える。また経済繁栄を目指す貿易パートナーという側面から、歴史問題ではなく今日の政治を重視するべきだと考える人々もいる。それぞれ違う考え方ではあるが、平和への道を探ろうとしている点では一致する。

率先して、関係改善に向けて歩み寄りたくないという人もいるだろう。そういう人々は、せめて、互いに対する憎しみを煽動したり、改善に向けた道を探ろうとしている多くの人々が働きにくい環境を作るべきではない。私にとって最も納得し得る理屈で言えば、愛する家族や友人の安全が脅かされる極東有事の際に、日韓が一致して対処する事よりも「彼の国との協力関係は破棄したい」と願う人は殆どいないのだから。

No, Ms. Dudden, You Should Know Better.

A few days ago, I saw The Guardian article written by an American professor, Alexis Dudden, calling for the ban of Japan's Rising Sun flag during 2020 Olympic games in Tokyo. I, for one, have no intentions to suggest the flag should be brought. However, the way Ms. Dudden argues her point seems to lack the convincing logic, but rather contains her enormous twists of historical facts. https://www.theguardian.com/commentisfree/2019/nov/01/japan-rising-sun-flag-history-olympic-ban-south-korea?CMP=share_btn_tw
By reading what she wrote on The Gardian, I assume Ms. Dudden associates the American Confederate Flag with the Civil War and slavery.  That is understandable.  A lot of Americans, especially African Americans, might agree with her.  Although most current Americans have not lived through those years of slavery or the Civil War, they have seen White Supremacists like KKK's David Duke proudly showing off the flag.  It's not hard for anyone to associate the Confederate flag to a dark era of American history. 
However, what many American Southerners associate with the flag are different.  They argue the flag means more than the Civil War or the slavery and that in fact represents Southern heritage and their beloved culture.  The fact is, there is no consensus of how Americans should interpret the flag or what it represents.  There is no clearly right or wrong interpretation of the flag.
Even though there is no consensus about what the Confederate flag really means among Americans, Ms. Dudden argues the Rising Sun flag of Japan should be banned from the Olympic stadiums jjust as the Confederate flag is inappropriate for that event.  She then tries to clarify the reasons of her thinking: "It (the Rising Sun flag) is technically a military flag." 
Now, let's assume her assertion is true: "Although sometimes used for other purposes, the Rising Sun flag is technically a military flag."  But is that a sufficient reason to ban a flag?  If so, give me a flag that has not been used by its country's military.  Is there any?  America's Star Spangled Banner?  The Union Jack?  Flag of China?  South Korea's Taegukgi? Is she willing to make the same argument that those flags should be also banned because they were used by their military?  No.  She is only making her assertion against Japan's Rising Sun flag.
As Ms. Dudden states, the Rising Sun flag has been used by the Japanese Navy.  However, the use of the flag and its design have an even longer history than the use by the Imperial Japanese Navy or Japan's Maritime Self-Defense Force.  The familiar flag and the design of the red with 16 red rays meant "Good Luck," "Congratulations," or "Big Catch."  It is also an undeniable fact that the flag has been used by some of Japan's right-wing-extremists who wish to demonstrate their anti-Korea sentiment.  Ms. Dudden is absolutely right to point that out.  However, there is no consensus among Japanese citizens about what the Rising Sun and its design should represent, just as there is none among Americans on the Confederate flag.  Just as she cannot enforce what she believes about what the Confederate flag should mean on her fellow Americans, she cannot enforce her interpretations of the Rising Sun flag should mean to on the Japanese.
 
To be clear, I am not suggesting at all that the flag should be brought to the Olympic stadiums.  I believe that is inappropriate or even repulsive, especially if the flag is brought by anti-Korea right wingers.  Sadly, the reputation of the flag is significantly damaged by those hateful anti-Korea demonstrators.  However, I do not agree with Ms. Dudden's hasty and simplistic solution to the ideas with which she disagrees.  By calling for the IOC to ban the flag, she is seeking for the silence of different ideas.  
 
Ms. Dudden also displays her massive ignorance of the war time era. I have a difficult time believing she is a serious historian and not simply a political activist who uses history as a tool for politics.  As she attempts to explain why South Koreans are raising objections to the flag, she, for some reason, includes Koreans among American, Chinese, Filipino, Australian and British PoWs who were "enslaved and imprisoned."  Does she not know that many Koreans were PoW camp guards who were in charge of the Allied soldiers? 
She argues that the treatment of the POW by the Japanese military was brutal, and that is true. However, Koreans should not be counted among suffering PoWs since they were the remembered by Allied POWs as more violent guards than the Japanese guards. According to "Prisoners of War and Their Captors in World War II" by Bob Moore and Kent Fedorowich, what Allied POWs commonly complained about was that the Japanese officers and NCOs did not control their subordinates.  This was particularly true of the lowest form of life in the Japanese hierarchy, the Korean guards, who were despised by the Japanese themselves and hated and feared by the POWs."  It is well documented that the Allied POWs remember Koreans and Taiwanese to be the worst guards.  In fact, according to Telegraph's report, British survivors remember Korean and Taiwanese guards to be the worst tormentors, and one of the survivors has "expressed 'disgust' toward a campaign by a group of auxiliary troops from Korea and Taiwan who were convicted of war crimes to have their names cleaned and to receive compensation."  

The Japanese guards were bad, but the Koreans and the Formosans were the worst," he told The Telegraph from his home in Stockport. "These were men who the Japanese looked down on as colonials, so they needed to show they were as good as the Japanese," he said. "And they had no-one else to take it out on other than us POWs." Now 94, Lane was sent to work on the "Death Railway," which was designed to run from Thailand to the Indian border and to serve as the Japanese invasion route. An estimated 12,400 Allied POWs and some 90,000 Asian labourers died during the construction of the 258-mile track. "After my capture, I witnessed many atrocities - murders, executions, beatings and instances of sadistic torture - and I was on the receiving end myself on a number of occasions," he said."I was also one of a handful of buglers in the camps and played my bugle at thousands of burials for the victims of the 'sons of heaven'," he added. "That's why I have no sympathy for this group's claims," he added. "These men volunteered and they all knew exactly what they were doing. And they mistreated us because they wanted to please their masters and knew they could get away with it. "They joined up for kicks, when Japan was winning the war, and they took advantage of that for their own enjoyment," Lane said. "They won't get an apology or compensation from the Japanese government," he added. "I think a more fitting result would be to have then taken out and whipped for what they did to us."

https://www.telegraph.co.uk/news/worldnews/asia/japan/11220761/British-ex-POW-in-Japanese-camp-disgusted-by-guard-demands-for-compensation.html

Please. Do not use the suffering of the Allied POWs to make a case for Korea's victimhood. That is one of the most repulsive arguments made by a historian. She should know better.

旭日旗持ち込み禁止を求めるアレクシス・ダデン氏記事への反論

以下は、オリンピックの競技場への旭日旗持ち込み禁止を訴える米国人学者、アレクシス・ダデン氏が、英紙ガーディアンに書かれた意見記事への反論である。英語で書かれたものが、ダデン氏の書かれた文章である。リンク先は元となったガ―ディアン紙の記事である。https://www.theguardian.com/commentisfree/2019/nov/01/japan-rising-sun-flag-history-olympic-ban-south-korea?CMP=share_btn_tw

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Imagine if, at the opening ceremony of the 2028 Los Angeles Olympics, the stadium were filled to capacity with fans waving the American Confederate flag. A similarly hurtful scene could become reality at the Tokyo Games next summer, if the Japanese “rising sun” flag is on display.
恐らくダデン氏は、南部旗イコール南北戦争、及び奴隷制度を連想されるのだろう。しかしながら、南部旗が翻ったとして、その意味するところは、南部州出身者にとっては、南部の文化や歴史の象徴するところであり、北部州出身者とは別の感想を持ち得るのだ。そしてこうした感想や印象は、その一方の感想が正しく、他方が誤りである、という分け方は出来ない。
Japanese athletes and fans regularly sport their national flag – a red ball centred on white. The rising sun symbol is different, however. A red ball with 16 red rays, it is sometimes used by companies in advertisements, yet it is technically a military flag: from 1870 until the end of the second world war, it was imperial Japan’s war flag. Since 1954, a renewed version of the rising sun has been the banner of the Japanese navy, known as the Japan Maritime Self-Defence Force.
旭日旗、及びそのデザインが軍旗として使われている事は議論の余地は無い。しかしながら、全ての軍旗が軍国主義を意味し、スポーツのイベントに於いて使用禁止されるべきならば、国旗が国軍によって使用されていない国はいくつあるのか。ダデン氏の論理で言えば、米国の星条旗だけではなく、その他多くの国々も国旗を国軍が使用しているという同じ理由で使用禁止されるべきだろう。しかしながらそのような主張は、日本の旭日旗に対してのみ為されているのだ。
旭日旗が長い歴史を持ち、日本が軍国化する以前から『目出度い』『あっぱれ』『大漁』などを表すシンボルとして使われてきた事は事実である。しかしながら、今日在特会や一部の日本人右派による嫌韓デモによってこの旗が使用され、旭日旗が韓国に対する反発や嫌悪を表す政治主張として使われている点も否めない。この点におけるダデン氏の指摘は正しい。しかしながら、このどちらの解釈が旭日旗に対する正しい解釈か、或いは優先されるべき解釈かという結論に、日本は達していないのだ。これは、ダデン氏が先に挙げた南部旗に対する解釈や印象が米国内でも一致せず、どちらかが他方に対しその意見を強要できないのと同様である。
South Korea, which was under Japanese rule from 1910 until 1945, has asked Japan to ban the flag from Olympic stands next year. Tokyo has so far refused, explaining that the flag is “widely used in Japan” and is “not considered a political statement”. But it is not Japan’s national flag, so the International Olympic Committee (IOC) has the authority to exclude it from the Tokyo Games. The leaders of the IOC, together with athletes and their supporters from around the world, should take note of the flag’s history, and how it is, in fact, used to make a particular political statement in Japan today.  

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歴史的に言えば、旭日旗とそのデザインには軍国主義、植民地主義、ましてや嫌韓などは含まれていない。しかしながら、ごく近年になって、韓国側からの旭日旗への批判に反発する意味合いで、この旗が右派によって使用されている事実はある。しかもご丁寧な事に(?)、嫌韓を掲げる一部右派が、日章旗すら掲げてデモを行なっている事実がある。だからと言って日章旗や旭日旗、またそのデザインを着用する人々全てに、軍国主義への主張や韓国に対する嫌悪感があるとは限らない。
For the Japanese right, flying the rising sun flag is part of a collective effort to cleanse the history of imperial Japan’s aggression during the second world war. It appears in the promotional literature and on the websites of groups such as the Zaitokukai, whose members march with signs reading, “Koreans should be massacred!”, and the Nippon Kaigi, which counts the Japanese prime minister, Shinzō Abe, among its members, and has described the second world war in Asia as a “holy war of liberation”. 
在特会や日本会議、及び一部の極端な右派が旭日旗を使用したのは事実であるが、旭日旗のデザインは朝日新聞の社旗にも使用されている。「~人に死を!」と叫んだ一部の人々が使用したという理由で旗が禁止されるとすれば、「Death To America(アメリカに死を!)」を叫ぶイラン人らの反米デモに使用されるイラン国旗も禁止されるべきだろうか。安倍首相のポルタ―に「死」と書かれた韓国人らによる反日デモで使用された韓国国旗も禁止されるべきだろうか。ダデン氏にとって在特会や日本会議は、こうした国々におけるナショナリストとは違う、犯罪集団だとも感じられるのだろうか。
By embracing the flag, followers signal their belief that the Japanese should take pride in their military history, atrocities included. They are trying to resurrect honour for the country’s failed war effort, much like Americans who cling to Confederate flags. Unlike the Nazi swastika, the rising sun symbol enjoys legal guarantees – under Japan’s freedom of speech laws – yet it causes intentional harm to those who suffered as well as to their descendants.  
ダデン氏が言う通り、多くの右派は自分の国の歴史に誇りを持っている。右派が自国の歴史に誇りを持つのは、特に日本に限った事ではなく、世界共通とも言えるだろう。ここで氏は「残虐行為も含めて」と書かれているが、氏の意味するところが「一時期の残虐行為も含めた歴史を誇りに思う」というニュアンスなのか、「残虐行為を誇りに思う」というニュアンスなのかハッキリしない。釘を指すが、右派のうち、時には「歴史修正主義者」とも重なる人々は、日本は残虐行為を行なわなかったという歴史観を信じているのであり、残虐行為を認識しておきながらそれを是としている訳ではない。しかも自国の歴史の中に残虐行為があった事を認めながらも、それを含めた歴史を誇りに思う右派が多くあるとして、そうした傾向は米国の右派にも共通している。重要なのは、現在の政治や外交に於いて、そうした残虐行為が行なわれているか否かではないだろうか。
It is unsurprising that the South Korean government is first to raise objections to the flag, months into a mutually debilitating diplomatic standoff between Tokyo and Seoul. Since July 2019, a spat over trade restrictions and security arrangements has spilled on to the streets in both countries – Japanese beer sales in South Korea are down more than 97% while Korean-themed art exhibits have been cancelled in Japan – prompting many to declare that relations are at their lowest point since Japan’s occupation of Korea ended in 1945. This has been fuelled by polarised perceptions of the history of forced and slave labour during that occupation, when 800,000 Koreans were forcibly mobilised to work in Japan (among other issues, of course). But South Korea is not the only country where the flag causes offence. The IOC should educate itself before concerns and calls to boycott the games spread to China, Singapore, the Philippines or Myanmar, where millions of people suffered similar violence under the rising sun symbol. 
ダデン氏は、「IOCはこれらの国々がボイコットを始める前に自らを教育すべきだ」と書かれているが、ダデン氏のような熱心な活動家による呼び掛けが無ければ、中国やシンガポール、フィリピンやミャンマーなどの国々がトーキョー・オリンピックをボイコットするとは思われない。もっと根本的な事に、数百万人ものウイグル人を強制収容所に送り、香港市民によるデモを弾圧する中国政府や、麻薬取締と称し、正式な裁判なしで国民を殺害し始めたフィリピン政府、17万人近くのロヒンギャ難民を出したミャンマーなどの国々は、旭日旗について語る倫理的立場にあるだろうか。ダデン女史は、これらの国々が現在の日本に対し、人権について意見を述べる権限を持つと考えられているのだろうか。もしダデン氏が、人権蹂躙や圧制の下で苦しむ人々の声を代弁したいのならば、氏の優先順位は、70年以上前に終わった圧制ではなく、現在進行形で行なわれている圧制についての批判であるべきだ。少なくとも国家規模に於いて人権を蹂躙する中国のような国に、旭日旗についてお伺いを立てるような姿勢に出るべきではない。
Washington must take responsibility for this situation, too. Its perennial insistence that Japan and South Korea “work out among themselves” their wartime histories perpetuates the split by failing to address how the United States put in place many of the post-1945 problems that have affected the region. The standoff has become so bitter that Washington cannot even maintain a security pact arranged between Seoul and Tokyo to share intelligence about North Korean missile launches. Tokyo appears so confident of Washington’s backing that it willfully disregards Allied prisoner of war suffering during the second world war, just as it dismisses the pain endured by the Koreans. 
この点に関するダデン氏の指摘通り、日韓の協調はアメリカ政府が要求してきた事である。そしてその要求は、日韓の位置する地政学を鑑みれば、当然の要求である。日米韓の協力は、特に安全保障問題に於いては欠かせない。安全保障の重要性を認識していたからこその1965年の日韓基本条約であり、2015年の日韓合意だった筈だ。それらの合意を一方的に反故した責任は、韓国政府、文政権にある。ところがダデン氏は、韓国側を批判する事は一切ない。 f:id:HKennedy:20191104094652j:plain
American prisoners of war alone laboured at more than 50 sites in Japan with a death rate of up to 40%, and, although there have been a handful of personal apologies, there have not been reparations for any of those who were enslaved and imprisoned – Koreans, Americans, Chinese, Filipinos, Australians, British soldiers or anyone else. On this point Washington’s evasion stands out: the 1951 Treaty of Peace (the Treaty of San Francisco) and the US-Japan Mutual Security Treaty sacrificed reparations for American security interests – something that troubled other Allies at the time. Throughout, Japanese governments have navigated issues of legal responsibility by sidestepping open discussion of wartime era acts of aggression, including slave labour and even cannibalism.  
またダデン氏は、旧日本軍下における捕虜の虐待について朝鮮半島出身者を連合国捕虜と同一に並べるが、連合軍捕虜看守の任務についていたのは主に朝鮮半島出身者であった事を知らないのだろうか。連合軍捕虜への虐待について「Prisoners of War and Their Captors in World War II」によれば、連合軍捕虜が不満を持っていたのは、日本軍が捕虜の管理を朝鮮半島出身者に任せていた点である。
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In the meantime, countless Japanese historians, activists and regular citizens have resisted the efforts of their own government to deny Japanese history, by continuing to dig up bones and government documents, and recording the oral testimonies of those who suffered during Japan’s imperial occupations and wars. Their work gives solid accounting to what happened under the rising sun flag. Too few survivors of Japan’s wartime atrocities remain alive to fill the Olympic stadium and explain the meaning of this symbol. The International Olympic Committee must learn from history instead. 
旭日旗が軍旗であるから、その軍旗の下で苦しんだ人々も観戦するオリンピック競技の場には相応しくないというならば、国軍によって使われた事の無い国旗を教えて欲しい。星条旗、韓国国旗、ユニオン・ジャック、ロシア国旗、中国国旗、トルコ国旗、パキスタン国旗、イラン国旗の下に苦しんだ人々はいないのか。
このような私設のルールで以て日本の場合のみを論じようとするところに、ダデン氏の誠実さは全く感じられないのだ。
私個人の感覚で言えば、オリンピックに於いて禁止されるべきは旗ではなく、現在も少数派などへの弾圧を続ける中国のような国の参加だ。一部の左派は、人権重視を掲げながら、結局のところ、誰かの感情を傷つく事から守るのに徹し、もう一方への圧力を加えるだけで終わってしまっている。それでいながら中国政府による少数派への弾圧など、本物の人権侵害については知らぬ顔をしている。繰り返すが、守らなければならないのは誰かの感情ではない。
旭日旗の問題は多くの議論がなされて当然であるし、禁止を呼びかける声にも、それに反対する声にも、その双方の主張に頷ける主張がある。しかしながら、ダデン氏の意見記事は、反対意見を持つ人々を納得させる論理性は無いばかりか、「オリンピックの場に、旭日旗のデザインはともかく旗そのものを持ち込む事は、どちらかと言えば場違いである」と考える私のような人間さえ説得する事は出来ない。多くの日本人にとって、旭日旗はオリンピックの場に相応しくないとは感じても、それが禁止対象となる事は極論に受け取れるのだ。だからと言って、多くの日本人観戦客がオリンピック会場に旭日旗を持ち込むことはないだろう。私も持ち込みを奨励している訳ではない。しかしながら、不適切なものは全て公共の権力を行使して禁止すれば良いという主張に、違和感だけでなく暴力性を感じるのだ。

旭日旗を禁止する為には、なぜ一般に慣れ親しんでいるデザインがオリンピックの場から禁止されなければならないか、多くの日本人を論理によって納得させる必要がある。その場合、「旭日旗はだめで中国共産党旗は良いのか」などの反対尋問にも耐え得る論理性が不可欠となるだろう。