なぜブッシュ大統領は、負傷兵の母親からの怒声を受け入れたのか…
共和党からの大統領候補者となっているドナルド・トランプ氏に対して、自身の子息をイラク戦争で亡くしたイスラム教徒の両親が、民主党全国大会で、トランプ氏の掲げる『すべてのイスラム教徒の入国禁止政策』を批判しました。
「トランプさん、あなたは全てのイスラム教徒の入国を拒否するという政策を掲げているが、それは我々一家を受け入れないという事だ。私の息子は、アメリカを愛して、アメリカの為に戦って死んだ。あなたはこの国の為に、何かを犠牲に払ったり、失なったことがないだろう。あなたは、この国の憲法を読んだことがあるのか。私の(憲法のブックレットを)で良かったら、お貸ししよう。」
この演説は多くの人に感動を与えましたが、自身への非難が許せないトランプ氏は、イラク戦争で息子のフマユン・カーンを亡くした父親のキズール・カーン氏と母親のガザーラ・カーンさんをもう批判しました。
特に母親のガザーラ・カーンさんに対しては「彼女は何も語りませんでした。彼女の宗教が語ることを禁じているのかもしれません。何も話すことが無いようでした」と、子供を亡くした母親に対する最大限の侮辱とも言える発言をABCのインタビューで答え、「カーン氏は、何百万人の人々の前で、私を批判する権利はありません。私もこの国の為に多くの犠牲を払ってきました」と反論しました。
ところが彼の挙げた『犠牲の数々』とは、ビジネスの成功、多くの人々を雇用したというもので、ABCのインタビュアーには「それがあなたの払った犠牲なのか」と聞かれ、ツイッター上では、「#TrumpSacrifices(トランプの犠牲)」というハッシュタグが炎上しています。
トランプ氏はまた、ABCのインタビューで、セイント・バーナーディノで起きたテロやパリやニース、ノーマンディーでの過激イスラム教徒によるテロを挙げ、「我々はこれらの場所で起きたテロを無視するわけにはいかない」と説明しています。
勿論、西側諸国で起きている過激イスラム教徒によるテロを無視するわけにはいきませんし、シリア難民の問題を解決する為に『難民受け入れ』が最適だとは私も考えません。それでも、「ゴールド・スター」と呼ばれる、親族を戦争で亡くした遺族に対する侮辱は許されません。この原則は、それぞれが政策についてどのように意見を異にしていてもです。
自身もヴェトナム戦争のに参戦し、北ベトナム軍の捕虜となった経験のあるジョン・マケイン議員は、トランプ氏によるカーン夫妻への侮辱に憤慨して声明を発表しました。
「最近、ドナルド・トランプ氏は死亡した兵士のご両親を非難しました。彼は、このご両親のご子息のような人々が、アメリカに入国する事を禁止する示唆をしています。ご子息の奉仕には何も言及していません。トランプ氏の主張に対して、私がどれほど深く反対しているか、充分に強調する事は出来ません。私は、あのような主張が、共和党、将校や候補者の考えでは無い事を全てのアメリカ人が理解してくれることを希望しています。カーン夫妻に申しあげたいのですが、アメリカへの移住を、感謝いたします。我々は、あなた方の為に、より良い国となっています。そしてあなた方は全く正しいのです。ご子息は、アメリカの最良でした。そしてご子息の記憶が、我々をより良い国にするのです。彼が忘れられることはありません。」
マケイン議員のような声明こそ、大統領候補者として相応しいと言えますが、トランプ氏にとっては、敵軍に囚われ、捕虜になったマケイン氏は「負け組」と思えるようで、去年「マケインは、捕虜となった為に戦争の英雄と呼ばれているが、私は捕虜とならなかった人々の方が好きだ」とツイートをしています。自身は4度あった入隊の機会をそれぞれかわしています。
勿論、自身への厳しい批判を受ける事は容易な事ではありませんが、元ジョージ・W・ブッシュ大統領が、自身に対する批判に対してどのように振る舞われたかを、記元広報担当者であったデーナ・ペリーノさんが、大統領による負傷兵への訪問に同行した時の記憶を基に書かれています。
トランプ氏のツイートによる反論と比較して、どちらが大統領として相応しい資質であるか明らかだと思います。
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イラク戦争やアフガニスタン戦争で、アメリカ軍の男性兵、女性兵が負傷したり、犠牲となった知らせがあった日は、感情を抑える事が難しい時がありました。記者会見の場で、私の声がきつく聞こえた時もあったでしょうが、時折私は、声明を発表したり、質問に答える為に、感情を押し殺す必要がありました。
最も困難を感じたのは、ブッシュ大統領が負傷兵や犠牲となった兵士の遺族を訪問した日でした。ただ同行しただけの私にもこれらの日々が困難に感じられたのですから、ご遺族や、ご自身の決断によって、兵士らを戦わせ、非常な負傷を負わせ、或いは命を犠牲にする戦場に送らせた大統領にとって、これらの訪問日がどんなものであったかは想像するしかありません。
ブッシュ大統領はホワイト・ハウスの近くにあるウォルター・リード病院を定期的に訪問していました。大統領の訪問は、大統領の訪問による警備や病院側の準備を軽減する為に、予告なしに行なわれていました。
2005年のある朝、スコット・マククレランの代わりに、私が大統領による負傷兵訪問に同行する事になりました。この時が私にとって初めての負傷兵訪問であり、訪問がどのようなものとなるのか、とても緊張をしました。
大統領はウォルター・リードに入院している25名の負傷兵を訪問する予定でした。その多くは脳に半永久的な負傷を負っており、重症であるか、重体でありました。世界中で最も優れている医療による治療を受けながらも、そのうちの何人かが命を落とすことは明らかでした。
私たちはまず、集中治療室を訪問しました。海軍作戦部長が、病院への道中、まず第一番目の負傷兵について説明をしてくれました。彼は若い海兵隊で、彼の軍車両が道に仕掛けてある爆弾によって爆破され、負傷をしました。救出された後、ドイツ・カイサルスロウテルンのランストール米空軍基地に空送されたようです。彼のベッドサイドには、彼の両親と夫人と5歳になる息子さんがいました。
「その後の状態はどうです?」大統領が聞かれました。
海軍作戦部長が「大統領閣下、ハッキリした事は言えません。彼はここに到着して以来、目を開けていません。ですので、彼との意思疎通がとれないのです。いずれにせよ、困難が続くと思われます。」と答えました。
我々は患者への院内感染を防ぐために、マスクをつけなければなりませんでした。私は負傷兵の家族らが、大統領に対して怒りをぶつけ、愛する家族の負傷の為に、大統領を非難するのではないかと心配をしていました。けれどそれは間違っていました。家族らは大統領の訪問に大感激していました。大統領を抱擁し、何度も何度も、訪問を感謝していました。そして記念写真を撮ろうとホワイト・ハウスの写真家であるエリック・ドレイパーの周りに集まりました。大統領は「みんな、ちゃんと笑っているかい?」と聞きましたが、誰もが集中治療室用のマスクを被っています。この冗談で、静かな軽い笑いが部屋に満ちました。
この海兵隊員にはチューブが何本も差し込まれていました。大統領は彼のベッドの足元で、静かにご家族と話をされています。私は涙がこぼれないように天井を見つめました。大統領は同室の人々との話を終え、軍の補佐官に向いて、「じゃあ、そろそろ授賞式に移ろうか」と言われました。負傷した兵士は、戦いで負傷した部隊に与えられる『パープル・ハート』を受賞します。
軍補佐官が並び、低い声で授賞がなされていく中、皆静かに立っていました。式が終わりに差し掛かった時、例の海兵隊員の小さな男の子供が大統領のジャケットにしがみ付いて、「パープル・ハートってなに?」と聞きました。
大統領は膝を床に付け、男の子をそばに引き寄せて言われました。「それはね、君のパパへの勲章だよ。君のパパはとても勇敢で、勇気があったんだ。しかも、この国をとても愛していてくれたから。君と君のママの事もパパがとても愛している事を、いつか分かってね。」
大統領が男の子を抱きしめていると、医療スタッフが騒いでベッドに駆け付けました。その海兵隊員が目を開けたのです。私が立っている場所からも、彼の様子が見えました。海軍作戦部長が医療スタッフを押し止め、「ちょっと待ってください。彼は大統領に会いたいようです」と言いました。
大統領は飛び上がり、ベッドの傍らに駆け寄りました。海兵隊員の顔を両手で包み、彼の目をじっと見つめました。そうして彼と目を合わせながら、軍補佐官に対して「もう一度、授賞の文句を呼んでくれ」と頼みました。
私たちは静かに、軍補佐官がこの海兵隊員を再び授賞するのを見守りました。大統領の目から涙がこぼれ、海兵隊員の顔を濡らしていました。授賞式が終わると大統領は自分の額をこの海兵隊員の額にあて、暫くじっとしていました。
全員が泣いていました。さまざまな想いがありました。彼の「犠牲」、「痛み」、「苦しみ」、「国を愛する想い」、「使命への信頼」、また他人には完全には理解できない「兵士と指揮官との間の信頼関係」がありました。(これを書くにあたって、私は何人かの軍補佐官に連絡を行ない、この海兵隊員の名前を伺いました。彼が持ちこたえた、という良いニュースを期待していたのですが、残念なことに、彼は大統領訪問の6日後の手術中亡くなりました。彼は、彼の妻と3人の子供を残して亡くなり、アーリントン基地に埋葬されています。)
彼が私たちの訪問した一人目の負傷兵でした。その日の訪問で、殆どのご家族からは、大統領の訪れを喜ぶ、似たような歓迎を受けました。
けれど、例外がありました。死にかけている息子を持つカリブ諸島出身の両親は、ひどく狼狽していました。特に母親が悲痛に打ちひしがれていました。彼女は大統領に怒鳴り、同じ病院のベッドに横たわる他の兵士ではなくて、なぜ彼女の息子がこのような目に遭っているのか知ろうとしていました。
彼女の夫は彼女を落ち着かせようとしましたが、大統領には立ち去る様子を見せません。大統領は彼女を慰めようとしながらも、ただ彼女が怒鳴るままに任せていました。怒声を当然の事と受け入れ、彼女の悲痛を聞き、彼女の苦しみに浸ることが彼の使命であるかのように。
訪問を終え、ホワイト・ハウスへ戻るマリーン・ワンに乗り込んだ時、誰も何も言いませんでした。
けれどヘリコプターが離陸すると、大統領は私を見て言いました。
「あのお母さんは、私に本当に怒っていたね。」
そして大統領は、ヘリコプターの窓から外に目をやり、「それも当然だ。彼女を責める気には少しもならないよ。」
大統領は彼の目からこぼれる涙を拭うことをされませんでした。私たちはそうやって、ホワイト・ハウスに戻っていきました。