「シリア人によるテロ」か、「イスラム教徒によるテロ」か

日本人やインド人、或いはアメリカ人が起こした犯罪を『仏教徒』、『ヒンズー教徒』、また『キリスト教徒』による犯行と報道される事はまれです。

 

そうしたことを以て、「国籍がシリアやイラクにある人々よって起こされる自爆テロを『イスラム教徒によるテロ』と報道する事は、報道するメディアの側のイ スラム教徒に対する偏見や差別、或いは欧米の都合が原因である」という主張がされるようですが、私見ながら、自爆テロなどを国籍の報道だけでなく「イスラム教徒による犯行」だと報道する事は、的を得ていると思います。

 

それはこれらのテロ行為が、『イスラム教の教義』によって起こされたり、啓発されているものだからです。

 

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シリアにも、イラクにも、ごく少数ながらキリスト教徒は存在していますが、彼らはイスラム教徒によって迫害され、虐殺されている立場です。また、このような虐殺行為を『イラク人がイラク人を虐殺した』『シリア人がシリア人を大量殺害した』と報道しても、事件の意味が理解できません。

 

ちょうどオウム真理教によるテロを、『日本人による日本人の殺害テロ』と報道しても意味が伝わらないのと同じ理由です。

 

対照的に、ルワンダで起きた虐殺は、「フツ族によってツチ族が虐殺(民族浄化)された」と報道されました。これは虐殺の背景が、同じルワンダ人の中のフツ族、ツチ族という民族主義によるもので、宗教や貧富の差は関係がないからです。勿論、穏健派のフツ族で虐殺された人々もいますが、これは彼らがツチ族への民族浄化に反対をしていたり、積極的に賛成をしていなかった為に虐殺の対象とされました。ですからこの場合は、民族的な面を強調して報道する事が相応しいと思います。

 

勿論、シリア人やイラク人が、彼らの宗教に基づかない理由で国内で犯罪を犯したような場合には、わざわざ海外では報道されないと思います。

シリア人やイラク人だけでなく、エジプト人やモロッコ人、サウジアラビア人、スーダン人らが犯す犯罪全てを『イスラム教徒の犯罪』としている訳ではありません。

イスラム教徒による犯罪であっても、イスラム教という宗教に動機付けられていない限り、宗教に言及して報道される事はないのです。

 

イスラム教という宗教の教義は、非イスラム教徒を殺害をしたり、彼らから盗んだり、強姦をする事を合法とし、時には明確に命令をしていますので、彼らの犯行の動機を彼らの宗教に見出すことは自然な判断だと思います。

 


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それでは何故、アメリカ人や日本人、インド人らの犯す犯罪が、キリスト教徒、仏教徒、ヒンズー教徒による犯行と報道されないかという点ですが、これは彼らの犯す犯罪が、その宗教によって奨励されたり、動機付けられたりしてはいないからです。

 

但しアメリカでは、人工妊娠中絶のクリニックなどを狙った犯行の場合、大抵疑われるのは、中絶に反対をする保守派のキリスト教徒であり、報道もその可能性を匂わせます。それでも事件の真相が明らかになるにつれて、犯人は中絶反対とは全く関係のない、リベラル思想に固まった精神疾患の患者である事が判明したりします。保守派キリスト教徒にとっては『濡れ衣』が晴れないまま、法に則った生活をするしかありません。