黒人を縛り続ける左翼政治

ジョージ・フロイド氏が死亡したのは、心臓発作が原因なのか、警察による首への圧迫によって窒息死させられたのか、二種類の死亡鑑定の判断が確定していないうちに『ブラック・ライブズ・マター』や『アンティファ』の抗議デモが広がり、黒人への人種差別を背景とした警察による殺害であるという見解以外、有無を言わせない空気が漂っている。

鑑定結果が出る以前から、主要メディアやソーシャルメディアでは、起訴された元警察官、デレック・ショウヴィンによる、黒人蔑視を根底にした、たかだか偽20ドル札使用の為の殺害だと判決が下されていたが、逮捕に至るまでの911番録音(日本では110番録音)によれば、フロイド氏はかなりの泥酔状態であり、警察として彼にこのまま運転させ家に帰す事は不可能だったと分かる。またフロイド氏は、複数のドラッグ使用による為か、或いはExDS(エキサイテッド・デリリアム症候群)を経験していた為か、自他に危害を加える可能性のある状態であったと判断されており、その場合に首や胴部を抑えつける行為は、ミネアポリス警察の容疑者逮捕のガイドラインに沿ったものだ。しかもショウヴィンによる首への圧迫も、ボディーカメラの映像によれば、フロイド氏には頭と首を持ち上げる余裕があり、首への圧迫による窒息死である可能性も低い。帰宅させる事も不可能であり、おとなしくパトカーに乗せる事も不可能であった事件当時の警察の立場を思えば、やむにやまれぬ処置であり、その最中の死亡であったと思われる。私見ながら、状況証拠を鑑みれば、この事件は業務上過失致死であっても、殺人とは言えないと思われる。
しかしながら、フロイド氏が死亡するに至る映像がソーシャルメディアに流れるや否や、「黒人差別」や「警察による殺害」以外の見解に異論を唱えようものなら、たちまち「人種差別主義者」のレッテルを貼られる空気が漂い出した。警察による差別や暴行に反対しない声は、即ち「差別への容認」と非難されるのだ。
特に主要メディアや白人リベラル派の遠慮や迎合は、いつの間にか暴徒化した「プロテスター」の意見を伺い、それを垂れ流すまでに至っている。ハリウッドの有名人らは、逮捕をされた暴徒の保釈金を負担すると表明し、暴動による被害者らが泣き寝入りする傍ら、略奪や放火、破壊行為を行なった側が英雄のように持て囃されている。『一部の警察による暴行』として始まった抗議は、全ての警察を悪とするようになり、ついには警察への予算削減や警察組織の解体への要求に繋がっている。『一部が暴徒化』した筈のデモは、全てのデモを正義を求める怒りの声とするようになった。


暴動を容認する人々

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CNNはニューヨーク・タイムズと共に、トランプ大統領やその支持者らから『フェイク・ニュース』のレッテルを貼られるが、CNNの中にも公正な報道を行ない、双方の非を鋭く指摘するジャーナリストやアンカーらがいない訳では決してない。但し、CNNのプライムタイムでアンカーを務め、またニューヨーク州知事アンドリュー・クオモの弟であるクリス・クオモは、度を越した偏向振りを露呈している。5月31日に略奪や放火や暴行が横行する中、暴徒にインタビューした黒人女性レポーターの「これらの暴徒が状況を悪利用して犯罪を行なっていると思う人もいるでしょう。これらの暴徒の全てが痛みによって略奪や暴力行為を行なっているとは言えないかもしれません。しかし多くの暴徒らは大きな痛みを抱えています。彼らは特に若い人々は、自分たちの抱える大きな痛み、怒りをどうしたら良いかわからず、こうして表現しているのです。あなたの番組に出演した男性が言った通りです。『これらの損害を見ましたか。僕らが平和的に行動していた時に、誰も耳を傾けてくれなかった。大人しく抗議していた時に、僕らの声は聞かれなかった。今なら僕らの言う事を聞きたくなるでしょう』 彼の言った通り、羽目を外す事で、やっと社会からの関心を得られるようになったのです」という擁護をそのまま流し、6月2日には、ニューヨーク市でのデモや暴動を報道する際に、「抗議者らが礼を失せず、平和的に抗議しなければならないと、一体どこに書いてあるのか教えて頂きたい」と述べている。
こういった擁護論は、ほんの一月ほど前まであった民主党知事によるロックダウンに抗議する右派のデモ隊を弁護する為に、主要メディアから聞かれただろうか。私はマスクもせず、社会的距離も保たず、銃を携帯して威嚇する彼らを批判した一人だが、反ロックダウンのデモ隊の方が、遥かに平和的であり、理に叶っている。彼らは店を略奪もせず、放火もせず、全く関係の無い人々に暴力を振るう事もなかった。ところがメディアと左派は、右派のデモを「他者の命を顧みない、コロナウイルスという科学を信じないテロ集団」として扱った一方、ブラック・ライブズ・マターやアンティファ、その他の反警察の抗議デモに集まる人々については「正義の行なわれる事を求めている、人種差別と闘う人々」と称え、1000人以上の医療関係者や医学専門家と言われる人々までも「我々は、公共の健康について訴える団体として、反警察の抗議デモ等がコロナウイルス感染拡大をさせるとして批判はしない。この立場は、その他の集まりへの消極的立場、特に反ロックダウンの抗議デモへの我々の反対と、同一視されるべきではない」と、呆れかえる声明すら出している。
『コロナウイルスは、他者を死に至らしめ得る』という『科学』は、『人種差別と闘う』という『正しい動機』の為には、払って良い犠牲であるらしいし、しかもこうした「医学関係者」らは、「一時的な感染拡大があったとしても、この『正しい動機』は、周り回ってコロナウイルス感染拡大を防止をする」とまで言っている。https://www.npr.org/sections/coronavirus-live-updates/2020/06/01/867200259/protests-over-racism-versus-risk-of-covid-i-wouldn-t-weigh-these-crises-separatehttps://www.cnn.com/2020/06/05/health/health-care-open-letter-protests-coronavirus-trnd/index.html https://www.wsj.com/articles/health-care-workers-say-protests-are-vital-despite-coronavirus-risks-11591790600
社会封鎖によって4百万人以上の人々が職を失い、何千ものビジネスが破産した事については「命の方が大切」と説きながら、反警察デモについては「人種差別に反対し、正義を求める運動」と称賛する。この二重基準が医学の名において横行し、メディアはこれを偽善でないと主張するが、このような不合理は、今までコロナウイルスの為に自制を強いられてきた人々の公共心への冒涜でしかない。


被害者としての暴徒:


暴徒と化し、略奪や放火、果ては殺人まで犯すのは一部の黒人だけでは無い。また彼らを支持するのも黒人だけでは無い。道行く黒人に、警察官に投げつけるよう、レンガを手渡しし、却って黒人に批判される白人もいるし、黒人警察官に対して中指を突き立てる白人の反警察デモ参加者もいる。暴動や略奪に加担するか、或いは反警察デモに参加するか否かは別として、それでも多くの黒人が、自分たちを人種差別の被害者として捉えている。アメリカの歴史上にあった奴隷制の被害者である黒人は、既に百年以上前に眠りについており、今日アメリカに暮らす黒人は、彼らの先祖が苦しんだ言葉に尽くせない苦しみによって勝ち取った自由と平等を享受している筈である。ところが、直接の人種差別を味わった人々の子孫にあたる今日の黒人は、あらゆるビジネスを襲い、略奪し、放火し、或いは全く関係の無い無辜の人々の命を奪っても正当化されるべき、「不正への怒り」を抱えているらしい。
私はこの点について、ある黒人男性と議論したのだが、彼は自分たちは怒りを抱えた被害者であるという見解以外、受け入れる事を全くしない。暴動によって、同じ黒人が襲われ、奪われ、彼らの生活が破壊されても、暴徒の怒りに共感する彼は「仕方の無い事」としか関心を示さない。自分たちが抱えている怒りを正当的であると考えているようだ。
こういった黒人による怒りに、白人リベラル派の多くは理解を示し、同情し、怖気づいてしまうだけで、彼らの主張の誤りを指摘する事は無いばかりか、その主張に心から同意してしまうのだ。
ところが歴史というものは、都合の良いように切り取れる類のものではない。また黒人だから必ず被害者であり、白人だから必ず加害者だったという単純な理解は偏見でしかない。15世紀から19世紀にかけてオスマン・トルコ帝国が栄えた時代に、約100万人の白人ヨーロッパ人が北アフリカ・バルバリアの海賊によって、トルコや北アフリカに奴隷として売られていった歴史がある。だからと言ってトルコや北アフリカの国々は、欧米の白人に対して賠償しようなどと考えた事もないだろう。18世紀に至るまでは、世界のどの民族、アフリカ人であっても、アジア人や南洋の国に住む人々であっても、奴隷制度を認め、使用していたのだ。この制度の非人道性に疑問を持ち始めたのが、まず英国であり、米国である。
これはアメリカの黒人奴隷の歴史を軽視するものではない。アフリカから連れてこられた奴隷たちは筆舌に尽くし難い苦しみを経た。奴隷制度という制度は、非人道的極まりなく、醜悪であり、どのような論理で以ても許されるべきではない。しかしながらアメリカはそうした制度を廃止する為に、655,000人以上の死者を出して南北戦争を戦ったのだ。この多大な死者数は、6人の奴隷を開放する為に、一人の白人が命を失った数であり、第二次世界大戦における米国の死者数を遥かに上回る。奴隷制を廃止しようとした北部の方が死者が多い。そこまでの犠牲を払って終止符を打った奴隷制度なのだ。アメリカという国が自らの悪について疑問を持ち、それを取り除こうと血を流した点は、否めない事実である。
南北戦争後の150年を経た今日の黒人たちは、奴隷時代の苦しみを味わった世代ではない。今日の反警察デモ運動を続けているのは、南北戦争どころか、市民権運動が起こる1950年代前の差別を経験した黒人たちでもない。差別感情が残っていた70年代を生きた人々でもない。このような運動は、主に無政府主義やマルクス主義を掲げる若い急進的左翼によって、広められている。自分が体験したしていない不正に対して怒りを感じる事が悪い訳ではないが、自分が体験していない不正への怒りを、他者に危害を加える事によって鬱憤晴らしして良い筈が無い。不正に対して怒る人は、他者への不正を喜ぶべきではないのだ。
こうした常識は、主張の正当性を、集団的アイデンティティーによって見出そうとする左派には通じない。彼らの考えによれば、黒人は全て犠牲者であり、白人は全てある程度の加害者である。但し黒人警察官や警備員、及び彼らの意見に異議を唱える黒人は、裏切り者として厳しく批判される。左翼にとってみれば、仲間でない黒人は、黒人としてのアイデンティーを超え、誤った考えに傾倒している問題人物であり、正しい考えに導かれる必要があるのだ。白人女性のデモ参加者が、黒人警察官に対して憤り「あなた方は問題の一因となっている。私は白人で、人種差別を経験した事はないけれど、黒人だからって何をしたって良い訳じゃないでしょ。人種差別主義は、白人の問題でもあるし、私が解決しなければいけない問題でもあるんだから」と怒鳴り声をあげている映像がある。彼女は、「全ての黒人は、人種差別組織である警察に反対するべきである」と考え、その警察に反対してくれない黒人に、「黒人が受けてきた差別について、私のように考えていないし、問題に加担している」と怒鳴っているのだ。
これらの白人左派による、他人の自由意思を全く認めない道徳的優越感は、ファナティズム、あるいは狂気でしかない。こうした狂気は、ワシントン州シアトル内の数区域間を封鎖し、「自治区」を名乗る『CHAZ (Capitol Hill Autonomous Zone)』内で、黒人だけが利用できる公園を作り、黒人以外がその公園を利用しないよう警備に当たる狂気、警察はおろか、小学校を警備してきた黒人警備員さえ「黒人への敵視をしている」として学校から解雇する狂気にも繋がっている。長年、小学校の警備に当たってきた黒人警備員を解雇するにあたり、ミネアポリスの左翼活動家らは「警備員がいなくなってしまった後、子供たちの安全はどう守るのだろう」という不安を感じながら、「それはわからないけれど、今のシステムには問題があるから」としか考えない。左翼にとって、結果は重要ではない。問題を看過せず、取り除いたという過程が大切なのだ。たとえその取り除き方によって、更に大きな問題が発生しても「意図は正しかった」と済ませられるのだろう。似たような理屈は、コロナウイルス感染拡大を止める為に、社会封鎖を提唱しながら、「人種差別や警察に反対する為のデモは、正しい動機であり、周り巡って命を救う」と真顔で発表できる狂気にも見られる。https://www.washingtonpost.com/national/after-killing-of-george-floyd-looting-and-rage-leads-white-liberals-to-embrace-ideas-that-once-seemed-radical/2020/06/09/63382090-a720-11ea-b619-3f9133bbb482_story.html?fbclid=IwAR3RLupV7D1KqeW4h2Et4w6sT0CsPYaPhyTGf4YnlGk2Y8BuJUFqjXrngB0#click=https://t.co/BfqJ07Mpku 

 

黒人の生活は誰が破壊したのか:


アメリカ社会において、最下層にあるのが不法滞在者であり、黒人であると言われている。この見方はある程度正しいのだろう。移民と一口に言っても、アジア系移民家庭の平均年収は、白人家庭の平均年収に勝る。最貧下層にある移民とは、ヒスパニック系の不法滞在者を指す。ところがヒスパニック系の移民であっても、彼らが成功していく可能性や率は,黒人が成功していく率よりも高い。ヒスパニック系移民の生活が向上していくのに対し、黒人はいつまでも最下層であるのが実態である。これは左翼が言うような人種差別が背景にあるとは思われない。アメリカのような多人種国家において、『人種』という人間の限られた一面だけに全ての問題が在ると考える方に、無理があるのだ。
アメリカに人種差別があるとすれば、それは個々の人間の中にある偏見や差別感情だと思われる。こうしたものは時間や交流を経なければ、なかなか解決しないだろう。個人的な差別感情などが存在しても、そうした感情はある程度自然な、どこの国にも、またどの人種にもあり得るのが本当だ。外国人嫌いの人もいれば、外国人を特別に優遇する人もいる。マイノリティーもマジョリティーと平等に扱おうとする人もいれば、マイノリティーを優遇しなければ平等とは言えないと考える人もいる。個々の人物の中にあり得る差別意識は、人間の考えなのだ。ある人の信条や考えは、他者によって禁じられ、強制されるべきではないし、強制によっては変えられないものだ。
一方、国や社会、企業や組織の中に差別があるとすれば、これは撤廃されなければならない。組織的差別は憲法違反の恐れすらある。今日のアメリカ社会において、組織的人種差別は殆ど無いと言って良いだろう。ここで「殆ど』と言うのは、『少数民族優遇措置』という、マイノリティーを特別に優遇する措置が存在するからだ。この措置は、企業や大学において、少数派の人々を、その人種の人口比率に応じて、有利に採用、昇進、入学させるという人種による特別扱いである。ここで恩恵を受けるのは主に黒人であり、次にヒスパニック系である。
SAT(大学進学適正試験)は1600点が満点であるが、『少数民族優遇措置』に従えば、ある大学が、白人が合格する点数を1200点と設定すると、黒人は白人より250点低い950点で合格とされ、ヒスパニック系は白人より185点低い1015点で合格できる仕組みである。ところが一般的に学力優秀であるアジア系の学生は、白人より50点高い1250点取らなければ合格できない。人種による差別措置によって益を受けているのは黒人、ヒスパニック系であり、不利益を被っているのはアジア系なのである。
このような『優遇措置』によって、白人と黒人の大学進学率は殆ど変わらなくなったが、この優遇措置は、思惑とは別に、黒人男性の社会的向上を助けてはいないのだ。
就職や昇進にとって重要となるのは、どこそこの大学に入学したかではない。どんな学位で卒業したかによる。ところが黒人男性に限って言えば、18歳時の大学入学の割合は、白人学生(42%)とほぼ同じ割合(37%)でありながら、6年以内に卒業をする割合は、そのうちの僅か34%でしかない。黒人男性が学位を取って大学卒業を果たす割合は、黒人男性の全体の12.5%でしかないのだ。大学生の年頃の黒人男性の約四分の一が、大学にチャレンジをしながら、失敗をする。勿論この4分の一の黒人男性は、高校を卒業し、犯罪やドラッグなどの「問題」から遠ざかり、真面目な一歩を踏み出した人々だ。ところが学位を取得しての卒業となると、彼らの大多数は失敗してしまう。
また他の人種の男性が6年のうちに大学を卒業する率は、25年間の間にそれぞれ向上する中、黒人男性の卒業率は殆ど変化していない33.8%のままである。
黒人男性の卒業率の低さを説明するには、人種差別は当てはまらない。大学の入学課は、最もリベラル色の強い世界であり、ここには黒人への差別など存在しない。それを証拠に、黒人女性が卒業する割合は、43%にも上る。またヒスパニック系が大学に入学する割合は36%であるが、そのうちの約半数が6年以内に卒業を果たす。これはマイノリティーの問題なのではない。黒人男性の問題である。少数民族優遇措置によって、黒人はどの人種よりも低いSAT得点で入学できるが、その為に自分の能力以上の大学に入学してしまい、学力や勉強の習慣が追い付かないまま、落第をしてしまうのだ。
黒人男性に限って、貧困から抜け出す為の大学卒業が困難な理由はどこにあるのだろう。
2006年の『ザ・ジャーナル・オブ・ブラックス・イン・ハイヤー・エデュケーション (The Journal of Blacks in Higher Education) 』に掲載された調査によれば、黒人男性の高い落第率は、第一義的には幼稚園から高校までの義務教育の失敗と、家族の中に模範を示すべき父親の存在や、大学進学及び卒業の伝統が根付いていない点が挙げられている。若い黒人男性に大学教育に相応しい自己鍛錬がなされていない事実は、多くの黒人が、未婚の母親によって、父親不在で育てられている点で簡単に説明できる。大多数の黒人家庭の中に、黒人の少年が見習うべき、家族を養うという責任感を持った黒人男性の姿が欠如しているのだ。

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アメリカにおいて未婚率、離婚率は上がっているが、人種別によれば、黒人家庭の崩壊が目立って増加している。1960年には90%の白人女性が、また87%の黒人女性が、結婚を経験していた。2016年には、その率が白人女性は60%まで下がったものの、黒人女性に至っては33%にまで急減している。アメリカ国立衛生研究所(The US National Institute of Health)の発表によれば、2014年には70%の白人の子供、また59%のヒスパニック系の子供が両親の元で育てらているが、黒人の子供の場合はその比率が逆転し、何と72%の黒人の子供が片親の元で育てられている。黒人が父親のいる家庭で育つことの方が珍しいのだ。
福祉支援にすがる家庭の多くを黒人家庭が占めているのは、社会的人種差別が原因なのではない。黒人家族の基盤が崩壊しているからだ。民主党のリンドン・ジョンソン大統領が宣言した『貧困への戦い』政策によって、未婚で子供を抱えた家庭への福祉支援支給が開始された。結婚している家庭には支給されない福祉支援が未婚家庭に支給され始めた当初の1960年代には、黒人の未婚家庭は僅か22%であった。ところが現在では70%を超える黒人家庭が、主にシングルマザーによって形成されている。どこの国でも同様だが、若い、高校をドロップアウトした未婚の女性のもとに生まれる子供と、両親ともに高校を卒業し、フルタイムのに就いている家庭のもとに生まれる子供では、将来の貧困率が違う。ブルッキングス・インスティチュート研究が2009年に出版した調査によれば、高校を卒業し、フルタイムの職に就き、21歳を過ぎて結婚し、子供を得る人がミドルクラスの収入を得る割合は76%に上る。ところが高校を卒業せず、結婚をせず、21歳になる前に子供を作る人が貧困になる割合は、74%にも昇る。多くの黒人家庭が貧困から抜け出せないままになっているのは、結婚をすれば支給されない福祉支給に依存する事で、貧困のスパイラルから抜け出せないからではないか。
また黒人の人口は、全体の12.7%に過ぎないが、刑務所人口の約三分の一を占める*。黒人は依然、殺人事件の53%を、強盗の60%を起こしている。黒人が黒人によって殺される犯罪、また黒人が起こす暴力犯罪によっても、多くの黒人家庭が破壊されているのだ。警察(黒人警察官によるか、白人警察官によるかは不明)による、武器を持っていない黒人の殺害が2019年には9件起こった。警察による武器を持っていない白人の殺害は19件である。ところがデータとして最新である2018年に殺害された黒人の数は7,407 人であり、その9割が、黒人による黒人の殺害である。警察による黒人殺害の約741倍の黒人殺害が、黒人によって行なわれているのだ。これは黒人社会にとって、人種差別に責任を押し付けられない、自殺行為であるとしか言えない。
一方、黒人社会を凶悪犯罪から守っているのが、警察である。黒人社会における殺害事件、凶悪犯罪の発生数は、『効果的なパトロール』によって減少の傾向にある。アメリカの凶悪犯罪の件数は、この30年間パトロールによって著しく下がり、2007年には592,900 人いた黒人の刑務所人口が 、2017年には475,900人にまで減少している。因みに刑務所にいる白人の数は499,800人であったが、436,500人に減少している。黒人の刑務所人口と白人の刑務所人口に大きな差は見られない。https://www.pewresearch.org/fact-tank/2019/04/30/shrinking-gap-between-number-of-blacks-and-whites-in-prison/ パトロール強化によってどの人種社会よりも益を受けているのが、黒人社会なのだ。ここで言う、凶悪犯罪を未然に防ぐ『効果的パトロール』とは、『挙動不審の人物を積極的に取り締まる』ことを指す。ところが、左翼やメディアはこれを、黒人を狙った人種差別行為だと叩く。警察による黒人への暴行や殺害が起こる度に、状況を無視した「警察による人種差別主義」論が騒がれる。勿論、警察による殺害事件の中には、弁解の余地がない類も存在する。ところが、例えば2008年から2014年まで、197件から240件の殺害件数があったバルチモア市では、「警察による黒人差別論」やそれによる暴動を配慮してパトロール方法を変えた途端、殺害件数が300件を下がる事が無くなってしまった。左翼やメディアが『警察内の組織的人種差別主義』と呼ぶパトロール方式によって、黒人の刑務所人口は著しく減少したが、同パトロールを禁止した途端、黒人による黒人への殺害が増加しているのだ。
人種差別主義が正しい筈はない。ところが黒人による行動の如何によらず、全ての問題を黒人に対する人種差別と騒ぐ左翼の方針こそが、黒人家庭や黒人社会を崩壊させ、最下層に位置付けたままなのではないか。今日の『人種差別』とは、黒人奴隷の存在していた時代や、市民権運動が起こる頃の黒人に対する人種差別の酷さとは、比較にならない、いわゆる『人種偏見』の類でしかない。ところが今日の黒人社会は、市民権運動が起こる前の酷い人種差別の時代より遥かに犯罪発生率が高く、今日の黒人家庭は、人種差別時代より遥かに崩壊しているのだ。
黒人の経済学者であるトーマス・ソーウェル博士によって、これの点は鋭く批判されている。「宗教教育」や「家族の絆」、「自己責任」とは、米国では右派や保守派が強調する価値観である。対して左派、リベラル派が強調するのは「社会正義」であり、「福祉」であり、「弱者の声」である。左派やリベラル派にとって、伝統的価値観は『人種・宗教差別的』であり、伝統的結婚観は『性差別主義』であり、進歩を果たしていない野蛮とされる。彼らは事ある毎に伝統的家族の在り方や宗教的価値観を撤廃しようとし、自分たちを弱者の側に立つ社会正義の戦士としてきた。こうした左派の主張の傾向に、全ての責任を課する事は不可能であるが、左派政治が黒人の貧困を作り続けている点は否めない。
150年以上も前の昔、多くの黒人奴隷たちを縛っていたのは、「白人所有者の下を離れれば生きていけない」と言う恐怖心の植え付けである。多くの黒人奴隷たちには、何の責任ある仕事も与えられず、自立心や責任感を育てる教育も禁じられていた。黒人奴隷を縛っているたのは、白人農場主への依存であったと言える。同様の依存心が、福祉政策によって黒人を縛っている。更に白人左派は黒人たちに『犠牲者』としてのアイデンティティーを与え、福祉に頼る事は奴隷であった黒人の歴史から来る当然の特権だと主張する。最近のニューヨーク・タイムズは、黒人への賠償金を支払うべきと主張したが、こうした主張は民主党左翼によってくり返し主張されてきた。https://www.nytimes.com/interactive/2020/06/24/magazine/reparations-slavery.html 彼ら左翼の考えによれば、歴史的奴隷制度の犠牲者である黒人は、連邦政府からの賠償金を受ける権利があるという。例え一人頭1000万円程の賠償金を受け取ったとしても、多くの宝くじ当選者が一時的現金支給によって却って生活の基盤を損なうように、バラマキ政治に頼る意識では、貧困からは逃れられない。依存を断ち切る責任感を育てなくては、自立は出来ない。いつまでも犠牲者アイデンティティーと福祉という依存に縛られていれば、怒りや甘えしか生まれないのだ。
現在の黒人を貧困に縛っているのは、左翼政治の失敗による。19世紀の黒人奴隷であり、奴隷生活から逃げ出し、後に奴隷解放運動を導き、リンカーン大統領とも黒人参政権を協議したフレデリック・ダグラスは、白人による善意の干渉が黒人に与える危険を見抜き、白人のなすべき黒人への支援について、こう答えた事がある。「多くの人々は私に、『それでは黒人たちに対して、我々は何をしてやったら良いのか』と聞く。私の答えは初めから変わっていない。『何もしないでくれ。 あなた方の関わりは、我々にとってすでに害悪となっているのだ』」