「主戦場」という偏食

慰安婦問題を語るに於いて、右派と左派の意見の食い違いは当然として、左派、及び、『慰安婦肯定論(?)』者の中にある定義や意見の違いがある事は、意外と見過ごされている。右派による「強制連行は無かった」という主張に対して、吉見氏をはじめとする『慰安婦肯定論』者の人々は、「我々が言っている強制連行の定義がそもそも違う」とし、朝鮮や台湾において、日本軍が奴隷狩りのような強制連行(「狭義の強制」)をしたという資料がないことは認めており、自身もそのような主張をしたことはないと述べている。ところが韓国側の主張はどうかと言えば、日本軍兵士、或いは日本の憲兵が韓国人家庭の戸口を訪れ、そこからいたいけな少女を無理やり暴力的に連行していった、という『強制連行史観』、それこそ吉見氏が『狭義の強制』と呼ぶ定義で以て日本を非難しているのだ。韓国、世宗大学の朴裕河教授が出版した『帝国の慰安婦』は、日本の官憲が幼い少女らを暴力的に連れ去った、といった韓国内の根強いイメージに疑問を呈し、物理的な連行の必要すらなかった構造的な問題を指摘した為に、韓国では慰安婦に対する名誉棄損として訴えられ、ソウル高裁において有罪判決が言い渡された。(控訴中)「慰安婦の声に耳を傾ける事が大切」と主張する吉見氏ら、左派は、是非『強制連行』が何を意味するのか、その定義をまず韓国側と合意するべきだろう。「強制性の定義はそのようなものではない」と、右派が『強制連行』の定義すら誤って解釈してあるかのような印象操作は、誠実ではない。

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                   朴裕河世宗大学教授

また慰安婦を性奴隷と定義する事についても、左派の主張はおかしい。杓子定規と言われるかもしれないが、奴隷の定義は、『他者によって所有され、所有者の意思に従って無報酬で労働を提供し、また売買、及び相続の対象となる人物』を指す。https://definitions.uslegal.com/s/slavery/『労働』に対する代価、報酬が支払われていれば、その人物は奴隷ではない。いくらその労働条件に強制性があったとしても、所有権が他者に属さず、労働に対する賃金が支払われている場合は、『強制労働従事者』、或いは『農奴』と言った、別の定義で呼ばれる。https://en.wikipedia.org/wiki/Serfdom 実際に『性奴隷』は存在し、ISISと呼ばれるイスラム国は、自分たちの支配地域、及び戦闘地域からヤジディ人の女性たちを暴力的に連行し、性奴隷として所有し、また売買の対象としているが、彼女たちに賃金が支払われる事は決して無い。だからこそ彼女たちは『ISISの性奴隷』と呼ばれているのだ。慰安婦に話を戻すとして、彼女たちに賃金が支払われていた事は事実である。慰安婦の中には、受け取った給与を、引き上げの際に無くしてしまった、或いは何らかの事情で給与が手元に残らなかった人もいるかもしれない。しかし客であった日本軍兵士による支払いを否定する証拠は出ていない。また日本軍によって慰安婦が他者に売られたという証拠も無い。「所有権が他者にあり、売買、相続の対象となる」という定義のうち不可欠な「所有権」でもって言えば、たとえ慰安婦たちが他者の所有物であったとしても、日本軍兵士らはあくまでも客であり、所有者ではなかったのだ。現在、日本政府からの謝罪と賠償を求める元慰安婦たちも、奴隷とは何を指すかの定義に従って、これらを求めているのではない。もし奴隷、性奴隷の定義に当てはまる慰安婦が存在したとすれば、その存在はどこの売春施設でもあるような特例だろうが、その特定の慰安婦を性奴隷と呼ぶ事に躊躇はない。ただその場合でも、全ての慰安婦たちを性奴隷と呼ぶ事は誤りであり、『従軍慰安婦』の中で吉見氏が述べたような、職業選択の自由があれば慰安婦となる者はいないから、自由意思で慰安婦になった女性たちも性奴隷だ、というような軽はずみな見解は、真に自由を奪われ、他者の所有、売買の対象となり、報酬を受ける事なく労働、性行為を要求される、ヤジディ人女性のような、真の性奴隷への冒涜である。

また、日本が1910年に署名した『婦女売買に関する国際条約』は、左派が「日本が犯した国際法」として頻繁に持ち出す国際条約であるが、まずこの条約は「国際法」によって、主権国がその植民地、及び領土にこれを適用しなくても良いとされていた。そもそも国際法とは、一主権国の法律や習慣の上に権限があるのもではない。https://en.wikipedia.org/wiki/International_law 国際法を遵守するかしないか、条約を締結するかしないかは、あくまで主権国の自由意思に任されており、条約を締結したとしても、それに則るか、あるいはそれを無視するかを拘束するものではない。しかも国内の法律や習慣と照らし合わせ、条約との相違があった場合、主権国は国内の法律、習慣を優先させる権利がある。国際法は、主権国に対して拘束力のある法律ではないのだ。であるから、一旦署名した条約を破る事もできる。ただし、こうした一方的条約破棄に対して、その行為が余りにも慣習国際法や強硬規範から逸脱した場合、他国から軍事介入を含む外交的介入、及び経済制裁を招く場合がある。それでも戦後も連合国側が慰安婦制度を国際法違反とは考えていなかった事は、米軍記録を見ても、また連合国捕虜が遺した記録と照らし合わせても明らかだ。https://www.exordio.com/1939-1945/codex/Documentos/report-49-USA-orig.html  https://www.amazon.com/Prisoners-Rabaul-Civilians-Surviving-Captivity/dp/0980777429 https://trove.nla.gov.au/work/170442871?q&versionId=185814911  

1992年に吉田氏が防衛庁防衛研究所図書館 で発見したとされる慰安婦に関する資料は、日本政府が意図的に国際法や慣習を破る命令を出した証拠ではない。何しろ「これら婦女の募集斡旋の取り締まりに、適性を欠く事は帝国の威信を傷つけ皇軍の名誉を損なうのみならず、銃後の国民特に出征兵士遺族に好ましくない影響を与えると共に、婦女売春に関する国際条約の主旨に背く」と書かれてあるのだから、これは国際法違反を行なえという命令ではない。「軍が関与していたから」から始まって「強制性があった」としても、それは「国際法違反」とはならないし、慰安婦たちを性奴隷と定義できない。

最後に、右派は『主戦場』の上映中止を求め、気に入らない言論を弾圧したり、差別発言や挑発的発言、個人攻撃に明け暮れるよりも、落ち着いて、以上の点、またその他諸々ある左派の主張のおかしさを指摘する方が良いのではないか。また、映画『主戦場』を鑑賞する事で、慰安婦問題に興味を持った人々に言いたいのだが、この映画を以て慰安婦問題を理解する事は不可能だ。この映画は、秦郁彦氏を欠いているだけではなく、アジア女性基金について、また朴裕河教授について、充分な時間を割いて説明しようとしていない。『主戦場』はあくまでデザキ氏が消化した情報である。デザキ・ミキネという他人が食し、消化した情報の食べ物だ。ご本人は満足だろうが、私から見れば、偏食も良いところだ。知的好奇心があり、自分で物事を判断したいと思う方々は、秦育彦氏による『慰安婦と戦場の性』また、朴裕河教授の『帝国の慰安婦』に触れる事をお勧めする。特に朴教授の主張には、実は日本人右派が耳を塞ぎたいものが多い。しかしもし「韓国人慰安婦に聞く」ことが正しいのならば、慰安婦の建前でなく本音を聞き出し、その為に迫害されている朴氏の存在を忘れるべきではない。