アメリカから見た第二次世界大戦 (3)

アメリカが日本に警戒心を持ち、正規の戦争以外の外交、制裁などを以て牽制しようとした理由は、①、当時民主主義国家へ変わると考えられていた中国に対する同情と、②、イギリスに敵対し、ヨーロッパを手中に収めようとしていたナチス・ドイツとの友好関係が日本にあった事があります。
 

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これは現在のアメリカの対ロ、対中、対北朝鮮政策に見られる通り、これらの国々が直接的にアメリカに何かをしたからでなく、「アメリカの同盟国に対する脅威となった場合に見られるアメリカの対応」であり、アメリカのこうした対応によって、現在の日本の安全保障は守られています。
 
ですから、日米開戦の理由は、日本とアメリカの間に何があったかだけでなく、それぞれの同盟国を挟んだ、日本とアメリカの関係を鑑みる必要があります。それを考えることなしに、また『同盟』と言うものがどのように理解されるかを考えることなしに、正しい理解はできないと思われます。
 
そしてこの視点が、日米の間の戦争を理解する為に、日本側が最も欠落している視点かと思われます。
 

戦時中のアメリカの政策として「日系人の強制収容」がありました。これを日本に対する「人種差別」というよりも、敵国との精神的な繋がりを警戒する「イデオロギー」に対する警戒です。日系人と同様に収容された中には、傘下のアメリカ・ナチス党党員を含む「在米ナチス党員」や「ファシスト党員」など本国政府との結びつきが強く、スパイ行為やテロなどの破壊行為などに携わる可能性が高いと思われたドイツ系やイタリア系移民があります。 
 
 
この政策の背景には、ドイツ海軍の潜水艦による、アメリカ東海岸沿岸やメキシコ湾における連合国の「民間船に対する通商破壊作戦」、「ドイツ軍のスパイによるアメリカ国内におけるテロなどの破壊行為」が多数行われ、多くの被害や犠牲者が出ていたことが挙げられます。
 
また開戦前にフランクリン・D・ルーズベルト大統領の命により日系アメリカ人および日本人の忠誠度を調査したカーティス・B・マンソンは「90パーセント以上の日系二世は合衆国に対して忠誠であり、日系人より共産主義者の方が危険である。」と報告していましたが、2人の日系アメリカ人が、捕虜となった日本海軍のパイロットの西開地重徳一飛曹の脱走を手助けをした「ニイハウ島事件」等の例が、日系アメリカ人に対する批判的な論調を後押しすることになったようです。
 
ただし日系人の強制収用は、その後不動産や自動車などの私有財産を含む全ての財産の放棄や、強制収容所への長期にわたる収容が行われた為、当時からこの政策は、アメリカの歴史史上最も「憲法違反」の恐れがあると警告されており、リベラル派のアメリカ人の間に反対論が多くありました。

 

     

 
いずれにせよ、対象は「日系アメリカ人」であり、彼らの多くは日本国民としての意識はなく、アメリカ国民としての意識があったにも関わらず、母国であるアメリカによって「先祖の血筋」と「イデオロギー」を混同された悲劇があります。尚これに対してクリントン政権は正式謝罪をし、賠償を行なっています。
 
 
「排日移民法」にも大きな誤解がありますが、これらは「日本人をターゲットにした人種差別政策」ではなく、日本語訳は「排日移民法」とされていますが、英語では「Immigration Act of 1924(1924年移民法)」と呼ばれています。排除の対象は、日本人移民だけではなく、アジア人、東ヨーロッパ出身者、南ヨーロッパ出身者となっており、1890年以後に大規模な移民の始まった東ヨーロッパ出身者・南ヨーロッパ出身者・アジア出身者を厳しく制限することを目的としていました。 
 
これは、「白人による」「有色人種への人種差別」と考えるよりも、合衆国を栄えさせるには、白人種の中でも北方人種である北欧諸国とドイツ人、イギリス人、アイルランド人の移民を奨励するべきだという考えのもと、中欧、東欧出身者の移民への移民も制限されています。アフリカからの新たな移民も制限をされていますが、既にアメリカに住んでいるアフリカ系先祖を持つ黒人は、国籍取得が出来ました。
 
この法案は、日本人をターゲットにしたものではありませんが、一番大きな影響が出たのは日本人だったので、「日本人をターゲットにした」と誤解をされているようです。
 
 
 
尤も、当時のアメリカに「人種差別」があった事は確かですが、第二次世界大戦が「人種戦争だった」という主張は、実際に正確な視点とは呼べません。
 
アメリカにおいてジェラルド・ホーンという、共産主義の黒人学者により「人種戦争」という著書が書かれましたが、どのような事案にも「人種差別」や「人種偏見」が背景にあると考えは、現在にも多くありますが、それらの考えが「公平で客観的である」とは受け止められてはいません。言うまでも無い事ですが、第二次世界大戦が「人種戦争」でない証拠に、アメリカはドイツに敵対し、戦っていたのに対し、同時に中国に味方し、中国に協力して戦ってもいました。
 
日本が1919年のヴェルサイユ条約に「人種平等案」を加えることを提案した点は事実であり、これはアメリカのウィルソン大統領により、「全会一致でなければならない」という反対意見により、イギリスとアメリカの反対によって、支持が多数であったにもかかわらず、この案が否決になったことも知られています。
 
ただし、これは「日本人に対する人種差別」の表れではありません。日本とイギリスとの関係は特に良好であり、日本は大国の一員として受け入れられていましたが、植民地を抱えていたイギリスと国内における黒人への処遇問題があったアメリカの『国内事情』に依ります。
 
当時イギリスはインドを植民地としており、インドにおけるインド人の参政権は認めていませんでしたが、イギリスにおけるインド人の参政権は認めていました。ちなみに日本もイギリスに倣って、朝鮮半島における朝鮮人の参政権は認めていませんでしたが、日本国内の朝鮮半島出身者には参政権を認めていました。これは、「人種差別」の問題とするよりも、植民地に関する政策の在り方を、インド人なり、朝鮮人なりが大多数を占める現地で決められてしまっては困るという現実問題が懸念としてあったと思われます。その為に、イギリス国内では少数派であるインド人には参政権が与えられてあり、日本国内の朝鮮半島出身者にも参政権がありました。
 
日本人に対する人種差別は、むしろ「日本はアメリカに対して戦ってこないだろう」と日本の攻撃を期待していなかった点に見られます。
 
 
 
さて、第二次世界大戦における「日本の貢献」を強調して、「日本が白人国家であるアメリカに敵対して勇敢に戦った為に、人種差別が撤廃された」という主張があります。
 
人種差別が撤廃された…と主張するからには、撤廃する決断をした側の意見が最も参考にされるべきですが、「アメリカの鏡、日本」の著者である、ヘレン・ミアーズ女史は、不屈のサムライ神話とは異なり、圧倒的な戦力を前に「投降したくても投降できず」「飢えて、弱っており、怯えて、惨めな」日本兵の有様が、アメリカのメディアで数多く報道されていたと記述しています。降伏しない日本は「ファナティックス(狂信者たち)」を呼ばれ、尊敬どころか「理性で理解できない存在」となりました。
 
「理性で理解出来ない存在」とは、理性を重んじるアメリカ人にとって、決して尊敬の対象とはならず、戦中から終戦直後の対日感情は、戦争前より更に悪化したと言って良いでしょう。
 
ところが、「人種差別」そのものは、戦後急速に撤廃の方向へ進みました。
 
これには、まさに「人種差別」の為した「ホロコースト」という「人道に対する罪」を目の当たりにしたことが原因にあります。600万人にものぼるユダヤ人が虐殺(民族浄化)された理由には、「ユダヤ人は劣性種である」という間違ったイデオロギーが背景にありましたが、骨と皮のみになった死体の山や、ガス室、遺品の山々等を目撃し、そうした悪をドイツのような文明国家が為し得た事に驚愕し、キリスト教徒としての良心の在り方を改めるキッカケとなったのが本当のようです。
 

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