植民地支配について考える (1) インドの場合、

欧米にも『自虐史観』と呼ばれるものが存在しない訳ではありません。

 

『白人帝国主義』や欧米による『植民地支配』を謝罪したり、欧米による植民地化の歴史を、アフリカや中東の内戦や内乱、発展途上の責任とする意見は、欧米左翼の側から頻繁に聞こえます。

 

また911やパリで起きたテロを白人による帝国主義の責任とする声も聞えます。

 

それですので、「植民地支配とは、いつ、どのような場合であっても、『住民』に取って悪いものなのか」という視点から、植民地主義、帝国主義、また民族の自決について調べてみました。

 

『その1、インドの場合』

ラビンドラナート・タゴール - Wikipedia

 

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植民地支配といいますと、何となくイギリスのインド支配を思い浮かべますし、ヨーロッパ人であるイギリス人が現地人を奴隷として扱い、抑圧したかのような印象を受けますが、実際にはイギリス人とインド人との関係はそのようなものではありません。

 

質問はあくまでも『住民に取って良かったか、悪かったか』という事ですから、まず、イギリスによる支配以前のインドを考える必要があります。

 

イギリスによる支配以前のインドの大部分はイスラム教のムガール王国でした。その他の地域は、イスラム教徒やヒンズー教徒の藩主によって治められている準独立状態にありました。ヒンズー教のマラーサはヒンズー帝国を作りましたが、これはイスラム教徒と絶えず戦争状態にあり、イギリスとも3度戦争になりまし た。これに勝利したイギリスはインドを完全に手中に収め、イギリスの統治が始まりますが、イギリスの統治の間も、インド人の藩主(マハラジャ)たちは自分たちの領土を治めること が許され、その関係は、一言で例えるなら徳川幕府と外様大名の様な関係でした。

 

イギリス統治以前のインドには、『サティ』と呼ばれる、夫を亡くしたやもめが、生きているまま、夫の火葬に合わせて焼き殺される風習がありました。この悪習はイギリス統治以前に支配をしていたイスラム教ムガール帝国の領主たちもやめさせようとしましたが、最終的に法的に禁止したのはイギリスです。

 

イギリスの果たした別の貢献は、近代ヒンズー国家の作成です。ヒンズー文明は、実は中華文明よりも古 く、哲学や数学などが盛んな優れた文明でしたが、イスラム教徒による征服と支配によって滅ぼされてしまいました。

 

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イスラム教徒は、何千ものインドの寺院を滅ぼし、ヒンズー教インドの記憶を消し去りましたが、これを再発見したのがイギリスの学者たちの努力です。イギリスはインド人に対し、インドにはかつて偉大な文明が栄えていた事を教え、インド人としての誇りを持たせ、ここからインド人の間に独立への願いが起こるようになったと言われています。

 

最も大きな貢献は、イギリスがインドに、今日も続く近代化社会の基礎をもたらした事です。

 

近代的な法による支配、議会政治、近代政権、近代化された軍、これらは全てイギリスの植民地であった時代に基礎が作られたものです。現在でも、法治国家と人治国家の違いを考えれば、法による支配の下で暮らす方が住民にとって、より良い生活が送れる事が明らかである通りです。

 

ですから、たとえインドに暮らすイギリス人とインド人との間に人権やその他の権利の違いがあったとしても、インド人にとっては、教育、衛生、医療などの面で生活が後退した事はなく改善されたのが事実であり、アジア人として一番初めにノーベル賞を受賞したタゴールは、インドの哲学者、文学者、画家ですが、イギリスによる統治が『植民地支配』と呼ばれるものであるにも関わらず、イギリスに対する感謝を頻繁に表明していました。