自虐史観と自慢史観

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「私のご先祖様は、悪い事をしたの? お母さん、だから私は悪い日本人なの?」
あなたは、お子様にどう教えられますか?

 

私は、こう教えます。

「ご先祖様が悪いことをしても、あなたが悪いことをしていなければ、あなたは悪い日本人ではないのよ。どんな国であっても、長い歴史の中では、良い事をした時や、悪いことをした時があるの。だから、さらに良い日本を作っていく為には、その両方を覚えておく事とが大切だし、良い日本人になるには、あの大きな地震と津波の時にたくさんの人が助け合って、協力をしたように、法律を守って、優しく、強くなることが大切なのよ。」

 

「本当の歴史」と言うからには、こういう場合きっと、第二次世界大戦中の行ないも含まれているのでしょう。

 

しかしながら、たとえ戦争犯罪を犯していたとしても、或いは政府見解がまとめるように、南京に於いて「非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できない」としても、そういった行為は、遺伝子のように子供には伝わりません。

 

ここで私が最も違和感を感じるのは、過去の歴史の責任を、良きにつれ、悪しきにつれ、現在の私たちと未来の子供たちが遺伝子のように負うという思想です。

 

「日本のしたことはすべて悪かった」という自虐の歴史観や、「日本のしたことはすべて正しかった」という自慢の歴史観が生まれるのだと思いますが、自虐史観であっても、自慢史観であっても、現在の私たちのアイデンティティーを左右するかのような考えは、一枚のコインの表と裏であり、誤った思想であると言わざるを得ません。