『南京大虐殺』 阿羅健一氏の情報操作 (?)
『20万人であった南京の人口が、南京後略のひと月後には約25万人と、5万人増えたのだから、虐殺など無かった…』という主張は、南京大虐殺が無かった証拠として用いられますが、20万人とはいう数字は、南京の人口ではなく、南京の中の安全区の人口です。
南京の人口の推移について、秦先生がご自身の著書で書かれていらっしゃるのは、「次に南京の住民人口については、南京市政府が1936年末に調査した 100万6968人(19万7496戸)という統計がある。城内の1~8区と城外の燕子磯、上新河、孝陵衛の三区を含むが、同じ統計で1938年8月の人 口は30万8546人と約3分の一に激減している』です。
ですから、南京の攻略のひと月後には、南京全体の人口は減ったものの、安全区に5万人が避難してきたと考えるのが自然です。
私は中国側の主張する『南京大虐殺30万人説』や、それをユネスコに遺産として記載する事には反対をしますが、添付致しましたビデオに出てこられる阿羅健一 氏の仰る「日本側に南京で2万の虐殺を主張する学者達がいるから外務省も反論に本腰を入れられなかった」とは、まさに「責任転嫁」としか言いようがありません。
阿羅氏は、さらに『無かった』事を証明する為、当時南京に滞在していた日本軍幹部150人、報道関係者300人、外交関係者20人を探し、そのうち66人 をヒヤリングの対象とされ、そこから48人の証言をまとめて、『南京事件48人の証言』を書かれましたが、肝心の旧日本兵からは証言を集めていらっしゃいません。
当時は数千人の生存者がいたと思われる兵士達の証言は、「すべて集める事は不可能だし、その一部だけにすると恣意的になりがちだ。そのため残念ながらそれらは最初からカットした」と説明されています。
ところが、秦氏は多くの兵士へのヒヤリングもなさっており、その調査によれば、『将校は概して口が堅く、報道、外交関係者は現場に立ち会う例は稀で、クロの状況を語ったり、日記やメモを提供するのは応召の兵士が大部分である。その兵士も郷土の戦友会組織に属し口止め指令が行き渡っている場合は、言いよどむ傾向があった。』と記されています。(秦郁彦・『昭和史の謎 を追う』上181ページ)
阿羅氏のなさった調査とは、例えが悪いのですが、十件隣の学校で殺人事件があったとされて、犯行グループではなく住民に調査を実施するようなものです。住人が集まって「殺人事件など知らない」と証言しても、それで「殺人事件がなかった」証拠となるでしょうか?
また、もしどうしても中国や欧米の主張が信じられないと仰る方は、補給線の絶えた戦場において、日本軍兵士は中国人民からの掠奪に頼るしかなかったのが本当ですが、投降してきた中国側の『捕虜』をどのように扱っていたかを考えられるべきです。
投降してきた捕虜を殺害した場合、それはハーグ協定違反の『不法殺人』と呼ばれ、それだけでも2万人から4万人の虐殺があった事になります。阿羅氏が「二万人の虐殺があったと主張する歴史家」を、外務省が本腰を入れて30万人虐殺説を否定しなかった原因と非難されるならば、補給の無い戦線に於いてどのように捕虜を養ったか、『歴史家』として、資料と共に論理的に説明なさるべきでしょう。
歴史家の秦郁彦氏や、アルヴィン・クックスは、6~8週間に渡る南京-上海掃討戦での日本軍の四者を7万人と見積もっています。クックスは中国軍の死者をおよそ36万7千人としていますが、秦氏は正確な数字は見積もり不可能とされているようです。(秦氏に会われたアンジェイ・コズロウスキー博士談)
2万人から4万人の『不法殺害』の殆どは、投降した捕虜であったと考えられています。
私はこうした日本軍の兵士の行動を「素晴らしかった」とは考えませんが、「言い難い思いを色々とされたのだな」と頭を垂れたくなります。
常々思うのですが、人間の社会というものを考えた場合、どの国の歴史をとってみても、誇れる出来事、誇りに思えない出来事が、当然あります。人間社会に『無謬』など存在しません。
「無かった事」を証明しようと調査をされ、恣意的にヒヤリングの対象を限定する調査が、史実に対して忠実な調査である筈がなく、「日本人であることに誇りを持つ事が出来る歴史観」を奨励する為に、敢えて『日本無謬説』を広められているのだとしたら、それはプロパガンダを流している事と同じであり、しかも日本人以外は誰も騙せないプロパガンダを流している事になります。
日本軍がもし虐殺を行なっていたとしたら、日本人であることに誇りを思えなく、日本を愛する事も出来ないのでしょうか。
私は、日本軍が虐殺を行なっていたとしても、「何故そういった事件が起こったのか」を調べ、理解し、そのような歴史を含めて日本を愛し、これから良くしていく為に尽くしていく方が、よほど愛国者だと考えます。