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トランプ新大統領: 『最も恐ろしい』就任演説

ドナルド・トランプ新大統領の就任演説は、一言で言えば「アメリカを第一に」というメッセージにまとめられる。

Donald Trump’s full inauguration speech transcript, annotated - The Washington Post

 
このメッセージは、他国によって侵略され、長年にわたる占領支配や搾取をされ、やっと自国の独立を勝ち得た第三国の大統領就任演説で語られたメッセージであるならば理解できる。暗く苦しい過去に決別し、国民として一致して新しく自由な国を建てあげていこうという気概も、世界から歓迎されてしかるべきである。
 
ところがトランプ氏が大統領に就任したアメリカは、世界一の軍事力と経済力を有する、世界で最も偉大な国なのだ。アメリカ大統領が違和感なくこの演説を行なえるのは、せいぜい19世紀の事だろう。
 
トランプ新大統領は、「アメリカ・ファースト(アメリカを第一に)」と繰り返し強調し、アメリカは「地獄のように恐ろしい場所であり、世界の問題は重荷でしかなく、泥棒のような同盟国から逃れ、一国主義の内向きになってこそ平和がやって来る」とであると述べられている。事実、ピューリッツァ賞授賞の保守派政治コメンテーター、ジョージ・ウィルをして「歴代の大統領就任演説の中で最も恐ろしい演説」と評されたこの演説には、今までの就任演説では使われた事の無い「修羅場」「血を流す」「閉じ込められた」「錆びた」「墓石」「荒廃した」「吹き曝しの」などの、最終戦争を描くホラー映画のような形容が、今日のアメリカを表現する言葉として散りばめられている。

A most dreadful inaugural address - The Washington Post

 
新大統領に言わせれば、今日のアメリカは「母親らは子供たちと都心部過密地区の貧困の中に閉じ込められ、さびれた工場が国土の中に墓石のように散在している。大金のかかる教育は、我々の若くて美しい学生たちを知識から遠のけている。犯罪とギャング、麻薬は多くの命を奪い、気付かれない可能性を秘めた我々の国に対して盗みを働く」場所のようだ。

 

そしてアメリカを「修羅場」とした犯人は、「エスタブリッシュメント(指導者)」や「移民」及び「外国人」、また「貿易相手」であると断定されている。

 

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トランプ新大統領のこれからの指針は、貿易、移民、外交政策において「アメリカ・ファースト」とされ、「アメリカ製品を購入し、アメリカ人を雇用する」に代表される通り、全ての交渉がアメリカにとって益となるように行なわれるようだ。貿易で言えば、「公平」を目指すのではない。「アメリカ人にとって益となるように」進められるのだ。このような「アメリカ・ファースト」が、例えば貿易相手にどう聞こえるか、保守派政治評論家のビル・クリストル氏は、「古いと言われるかもしれないが、恥じることなく言わせてもらえば、アメリカ大統領が「アメリカ・ファースト」と宣言するのは、非常に憂鬱で、下劣である」と答えている。
 
当然だろう。世界一の経済大国であるアメリカは、一体誰に搾取されていると言うのだろう。トランプ氏の被害者意識の中には、特に日本やメキシコのような貿易相手国が念頭にあるようだが、ここまで同盟国である貿易相手国を敵視した大統領は近年いなかった。ビル・クリストル氏は、「アメリカ・ファースト」というスローガンの是非にも、疑問を発している。元々「アメリカ・ファースト」とは、1940年、戦争介入に絶対反対の立場を示し、一国主義を唱え、真珠湾攻撃の3日後に解散した、米史上最大の反戦団体の名称だからだ。
 
「アメリカ製品を購入し、アメリカ人を雇用する」という公約はともかく、トランプ氏自身は、当選後数日しか経たない内に、外国人を雇用する為の許可を申請しているし、実娘のイヴァンカ・トランプのビジネスは、彼女の全ての製品の製造工場を中国からより人件費のかからないエチオピアに移転させたばかりである。ここに、トランプ・ビジネスがトランプ政権の公約に従っていない現実がある
 
それでも、トランプ支持者らはこれらの矛盾や政策変換などには心を止めないだろう。何しろ彼らは、トランプ氏がヒラリー・クリントンとリベラル派の多い民主党を敗退させたことで満足しているのだから。彼らにとってまず第一の敵は国内のリベラル派であり、ロシアのように、扇情に於いて、アメリカ軍やアメリカの同盟相手に対して攻撃を仕掛ける敵国ではないのだ。
 
この点が、トランプ支持者に代表されるナショナリストと、反トランプを掲げる保守派のパトリオットを区別する客観的物差しではないだろうか。ナショナリストにとってまず第一の敵は、国内のリベラル派であり、批判者であり、決して軍事的敵国ではないのだ。彼らナショナリストにとってリベラル派や反対派を抑えつける欲求は強く、強権を振るって反対派を弾圧する専制主義独裁者へ親近感を覚えるのは、そうした心理によるだろう。
 
フランスのナショナリストにせよ、イギリスのナショナリストにせよ、日本のナショナリストにせよ、アメリカのトランプ支持者のようなナショナリストと同様、同盟国や自国内のリベラル派を敵視するが、ヴラジミール・プーチンに対しては異常な親近感を持っている。トランプ支持をする外国人の殆どは、親米派ではないし、アメリカの主義主張には決して同調しない。それでも彼らがトランプを支持する理由は、トランプ氏の主張する「我々はエスタブリッシュメントやリベラル派、メディア、外国人に良いように搾取されてきた」といった『被害妄想』に共感するからだろう。
 
実は『被害妄想』は、ナショナリズムの育成には欠かせない要素であると言える。だから彼らは、リベラル派や反対者、外国人などによって自分たちが陥れられている、という陰謀説を信じ、それらを流布し、反対派への敵対心を煽ることによって仲間との一致を図っているのだ。こうした傾向は、プーチンを支持するロシアのナショナリズムにも当てはまる。彼らは実際に西側が考えているよりもずっと、西側について考え、西側によって敵意を持たれていると自分自身に言い聞かせている。こうした『被害者妄想』に陥ったナショナリズムは、他国への攻撃すら「正当防衛」と正当化してみせる。
 

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トランプ新大統領は、アメリカを同盟国や貿易相手によって搾取され続ける貧困国として描いた。こうした被害妄想を書き立てる描写がアメリカと同盟国との真実の関係ではない事を主張するのは、トランプ支持者ではなくトランプに反対する人々だ。尤も、トランプ氏による『修羅場』としてのアメリカは、どんな些細な成果であっても、或いは実際にはオバマ前大統領の成果であっても、それを新政権の「成果」の一つとして数えさせる目的を持つ。
 
アメリカは、第45代の大統領に、およそ人間的な美徳の何も持ち合わせていないような人物を選出した。私は未だにトランプ支持者らに議論を持ちかけられるが、彼らにとってはトランプ氏の「政治的でない」発言の数々は、それが誰かを冒涜し、攻撃するものであっても、「今までの既成の政治家とは違う、ポリティカル・コレクトネスとは程遠い、正直な発言」であると歓迎をしている。世界で最も偉大な国の最高指導者、世界最強の軍隊を率いる最高司令官が、自分たちのように語るのが余程嬉しいらしい。
 
本来ならば、最高指導者には、その立場に相応しい人格、品性、言動が求められるべきである。我々のように下卑た、品性に欠ける人物が最も高い職務につき、この偉大な国を彼のレベルに引き下げることには耐えられないと嘆き、就任式に合わせて、首都から離れたエリオット・コーヘンのような人々もいる。コーヘン氏は、コンドリーザ・ライス国務長官の下で2年に渡り政策アドバイザーを務めた中東問題、湾岸、イラク、NATOの専門家であり、歴とした保守派学者である。
 
トランプ新大統領が、マックス・ブート氏、ビル・クリストル氏、トム・ニコールズ氏、エリオット・コーヘン氏、ジョージ・ウィル氏、ゲイリー・カスパロフ氏などに代表される、多くの歴とした保守派を嘆かせた一方、下卑た品性や攻撃的言動でアメリカの一定の層を喜ばせるスタートを切った事実を、歴史は何と評価するだろう。