米保守メディア、ブルームバーグ誌による「自民党・憲法草案」への警告

先日は、アメリカ保守メディアであるナショナル・レビュー誌の、『ファシズムに逆戻りする日本』という記事をご紹介しました。
 
日本の憲法改正に関係して、アメリカの保守派メディアでは、その他にもブルームバーグ誌などが、同じ「天賦人権の否定」を危惧した『日本の右化を拒否する機会」という記事を書いています。
 
実はこの記事を書かれたノア・スミス記者は、2015年2月にも、「日本はアジアの専制国になるのか」という記事を書かれました。
 
まず、スミス記者が去年書かれた記事を抜粋します。
 
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勿論、日本人は自由のない国に住みたいとは願っていない。ある調査では、80%以上の日本人が最近の特別秘密保護法に反対をしている。また自民党の憲法改正にも反対をしている。日本の人々は、戦後70年間の自由を喜んでいる。その自由が、もともとは外国勢力によって与えられたものであってもだ。
 
(憲法改正に伴う)危険は、日本人が自らの自由を放棄するように誘導される可能性である。多くの西側のジャーナリストらは、憲法9条の改正の必要性に固執してしまって、人権を『義務』の引換に注意を払っていない。安倍政権によって経済の息を吹き返す可能性が高い傍ら、野党が力を持たず、分裂し、能力がないことは、憲法改正問題への議論にとって懸念の一つである。

 

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(中略)
 
しかし、新憲法に危険があることは確かである。第一に、これは自民党による、経済の悪化や福島原発事故によって騒々しく騒ぎ立てる文民の社会を崩壊させる試みかもしれない。特別秘密保護法と報道の自由への締め付けは、憂慮すべき兆候である。日本は既に、「国境のない記者団」による報道の自由に関する世界ランキングに於いて、2010年には10位であったものの、2015年には61位に落ちてしまった。
 
第二に、自民党の草案は国際関係にとって災害的な影響をもたらしかねない。現在のトルコやハンガリーが行なっているような自由のない民主主義を取り入れるならば、日本はアジア地域に於いて中国という抑圧的国家に代わる国としての魅力を失う。また、同盟を結び付けている『共通の価値観』がなければ、日米同盟を弱めることになる。日本も中国のように自由のない国家となるならば、米国は日中間の問題では、中立の立場を保とうとするだろう。
 
最適な解決策とすれば、日本が憲法の9条のみを改正し、その他については改正しない事だ。しかしながら、政治的にはそれは不可能なトリックだろう。自民党が9条を改正するならば、権威主義的な『義務』の強要と、人権軽視の扉を開く事にもなるだろう。日本にとって現実的な最良の解決策は、欠陥のある憲法の改正を、指導者たちが1940年代のメンタリティーを棄て去る時まで待つことかもしれない。
 
日本は歴史の重要な局面を向かえている。より自由のある社会になる可能性と、自由のない社会になる可能性だ。前者の方が賢く道徳的な選択であることは言うまでもない。
 
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スミス記者は、衆院ダブル選挙の自民党圧勝後に書かれた7月14日の記事では、憲法9条の改正に関して、
 
「多くのアナリストや、多くの日本人とは違い、私は(9条改正が日本の)再軍国主義化に繋がるという議論は注意をそらすものだと考えている。もし、かの有名な憲法9条が改正されれば、日本の自衛隊は、ただ単に「日本軍」と名前を変えるだけだ。日本が帝国の拡張や第二次世界大戦を繰り返す事は無い。改正によって日本が何かに積極的になるとすれば、それは弱小の同盟国を中国の拡張主義や、好戦的な北朝鮮から守り、自由のない社会をもたらすのではなく、自由をもたらす手段として用いられるだろう。」
 
と、9条改正については肯定的な見解を述べられたうえで、更に大きな懸念は「社会生活や経済における変化である」と書かれています。
 
これについては、自民党支持母体である「日本会議」が「日本の伝統」を強調する為、既に現実には適応できない「終身雇用制」の再興によって、安倍首相の下で進んでいた女性の社会進出が阻まれたり男女雇用のギャップが広がる懸念を吐露されています。
 
最も大きな懸念として、
 
「しかしながら、自由主義の価値への脅威は、女性の権利のみに止まらない。日本会議と安倍首相の支持者であるその他の保守派は、憲法から個人権利を保障する文言の削除を求めている。政府の命令に従う公示を、個人の権利への保障より重んじているのだ。これらの改革は、自由主義を世界に広める使命を負った民主主義国家としての日本の地位を弱めるだろう。」
 
と書かれています。
 
ナショナル・レビュー誌と同様、自民党の憲法改正草案が『天賦人権』を「西洋の価値観」として省いたことを強く警戒した上で、「日本会議」の伝統回帰主義が、個人の権利や女性の権利の傷害となることを警告しています。
 
殆どの日本の有権者にしてみれば、日米同盟を好意的に捉える米国保守派メディアの警告は、過剰反応であるかのように感じられるかもしれません。或いは、正しく意図を解釈していない、という不満もあるでしょう。
 
それでも、もし、これらの懸念が米国メディアの「完全な誤解」である場合、これから理解出来ることは、日本が一番大切な同盟国であるアメリカに対してさえも、シンクタンクなどを通じた情報発信の協力関係や、ロビイストが無い現実です。
 
勿論、外交においては、以心伝心など期待する方が間違っているのですが、「以心伝心」どころか、米国のメディアや政界に働きかける日本のロビイストすら無いのですから、これは以前、「南京大虐殺」と「安保法案」を共に主張した「日本の心を大切にする党」の選挙活動を批判した際にも述べた事なのですが、「李下に冠を正さず」という諺通り、議員らによる誤解を招く表現や主張は避けるべきなのです。
 
これらの議員の方々は、ご自分の言動の与える影響についても、『誤解をする方が悪い』程度にしか考えられていないかもしれませんが、実は、非の多くは日本の側にあります。
 
 
もう一点、日本とアメリカの社会文化の違いも考慮するべきだと思われます。
 
アメリカでは、歴史は歴史学者、情報発信はメディアの役割であり、これらに政府が介入すれば、(かなり誇張があるにせよ)「ファシズム」「全体主義」「政府による弾圧」であると、強く拒否します。
 
対して日本では、歴史論争や、マクグロウヒル社の教科書の記述の際にも「政府は何をしている」と活動家や産経新聞などのメディアから政府介入を求める声が上がりました。
 
ところが実際に、安倍首相がマクグロウヒル社の教科書の記述に否定的見解を述べた際には、アレクシス・ダデンのようなアメリカのリベラル学者からの猛反発だけでなく、ジョージ・アキタ博士のような親日派の歴史家からも、「外国政府による学問の自由への侵害だ」と反発されました。
 
特にアメリカの保守派は、連邦政府の介入は小さければ小さいほど良いと考えていますが、自民党による新憲法の草案が、政府の役割を大きくしたことは否定できません。
 
アメリカの懸念が杞憂であるならば、いかにそれが「杞憂」であるか、説得力のある説明を行なうか、懸念の材料となっている「草案」箇所の書き直しも検討するべきです。
 
勿論、アメリカの懸念するままの憲法改正が行なわれたとしても、アメリカが何かの陰謀を巡らせて日本の政治の流れを変えるようなことはありません。むしろアメリカは、世論の動向によって「自国がどのように日本に関わっていくか」を変えようとするだけです。
 
日本をアジアにおける貴重な同盟国と見るのはアメリカの保守派の意見ですが、これら米国保守派にとって危惧される「ファシズム」へ日本が逆進し、スミス記者の書かれたように、トルコやハンガリーのような専制主義国に変化しようとしていると受けとられれば、リベラル派、一国主義者、保守派、ナショナリストに関係なく、殆ど全てのアメリカ人が、日本の防衛の一端を担う責務から逃れようとするでしょう。