アメリカから見た第二次世界大戦 (4)

さまざまな視点から第二次世界大戦を考えていく試みは、これからも続けて書きたいと考えております。


「東京裁判」は、日本の行動を裁くものでしたが、決してアメリカの視点を説明するものではありませんでした。ですから、どんな「自虐史観」の教科書でも、アメリカからの視点は意外と教えられていないかもしれません。少なくとも私には、知らなかったことが多くあります。


植民地獲得について、「欧米は自分たちの植民地はそのままに、新しく植民地を獲得しようとしていた日本だけを締め出した」という主張も聞きますが、例えば仮に現在、中国や北朝鮮などの国が、「西側先進国らは、自分たちも過去に植民地を持ったのに、我が国の植民地獲得にだけは反対をする」と主張した場合、我々は「時代の考え方や価値観が変われば、過去には許された行為であっても、現在許されないことは多々ある」と反論しないでしょうか。


それとも、「確かに我々は植民地を過去に所有していた。現在の考えは新たな植民地獲得に反対するものだが、公平をモットーに、これらの国々が新たな植民地獲得をすることを認めよう」と容認するでしょうか。


パリ条約におけるウィルソン米大統領の「人種平等案」に対する反対については、日本締め出しや反日感情が原因ではなく、あくまでも国内の黒人に対する人種不平等が問題としてあったと言えます。ウィルソン大統領は民主党大統領として、支持基盤が南部にありました。南部の白人票を維持するためには、このような条項を認める事が不可能だったと考えるほうが自然です。


これは、ウィルソン大統領は人種差別主義者でないという主張とはなりませんが、当時のアメリカは日本との関係はそれほど悪くはありません。


また「人種差別」に関しては、当時の日本人による朝鮮人差別を視野に入れるべきでしょう。私がより興味を持つのは、「人種差別撤廃案」が認められ、法的拘束力を持った場合、日本はどうするつもりだったか、という点です。


朝鮮半島の朝鮮人に日本人と同じ権利を認め、完全な参政権を付与したでしょうか?その場合、もし大多数の朝鮮人が朝鮮の独立を支持した場合、日本はどうするつもりだったのでしょう。


日本の経済に深刻な影響を与えたアメリカの「保護政策」の原因は、「大恐慌への誤った対処」があげられますが、「関税を引き上げての保護政策」の影響を受けたのは、日本だけではなく、ヨーロッパも同様です。


大恐慌時代のアメリカの失業率は25~33%にも上り、現在のように社会保障の制度の無かった時代のことで、餓死者を出しています。他国(この場合は日本)を貶める為に、対策を遅らせる筈がありません。もし、選挙を控える民主主義国家として国民(有権者)を犠牲にすれば、政権運営が出来ません。


Great Depression - Wikipedia, the free encyclopedia

 

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 「日本をターゲットに…」「日本を貶める為に…」という視点は、当時からあった考え方かもしれませんが、例えば、留学や駐在の経験のある親英米派の知識人は、そのような被害妄想には囚われていなかったようです。


ところが米英の事情に通じた親英米派の知識人や留学、駐在経験者を遠ざけ、極端な「日本精神論」に走った事が、日本の流れの失敗を作った理由の一つに挙げられるかもしれません。


栗林忠道、本間雅晴、今村均などの『良識派』としての陸軍人は、それぞれ駐米、駐英の経験がありますが、当時の陸軍主流派が有り難がっていた視点ではなかったようで、いずれも陸軍内での出世はされていません。


『暗黒日記』を書いた清沢洌は、ジャーナリストとして、1943年10月17日の日記に、「明日で東条内閣は二周年を迎える。この内閣に対する批判は、後の歴史家がなそう。しかし、これくらい知識と見識に欠けた内閣は世界において類例がなかろう」と記しています。


アメリカの政治の失敗にしても、成功にしても、「日本をターゲットにした」という被害者妄想からではなく、アメリカ国内の政治事情や時代の流れを鑑みた視点から、第二次世界大戦についても考える方が良いかもしれません。