英霊を祀る心

「日本が戦った戦争が侵略戦争だとすれば、『英霊』は『英霊』でなくなるのでしょうか」というご質問を頂きました。

保守派政治家として知られ、靖国神社参拝もされた安倍首相が、「侵略」という言葉を使われ、言葉は違うものの、村山元首相が出された談話のように、「国策を誤り…」と解釈できる談話を発表されたことにショックを覚えられた方々は、実際に多いかもしれません。

勿論、誰が英霊であって、誰が英霊でないかという判断は、「国の命令に従って戦い亡くなった、秀でた霊」という定義があります。当然ながら、ここには国が戦った戦争が「侵略戦争」か「自衛戦争」という区別はありません。


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私は靖国神社の権宮司さまにお会いして、お話をお伺いする機会がありました。権宮司さまは、色々なお話をして下さいましたが、以下の通りのお話を纏めにして下さいました。

「私共はただ、国の為に戦われ、亡くなられた方々をお祀りしております。国の為に命をささげられた英霊の方々にも、ご家族がいらっしゃいました。お一人お一人にも、それぞれの人生がありました。これらの方々にもご両親、ご兄弟、あるいはご家族があり、お子様もいらっしゃいました。私たちはこの方々にも、人生があったことを覚えてお祀りをしております。この方々の人生を覚えてお祀りするという行為を、先の大戦がどうだとか判断をして、政治問題にはしたくないのです。」

国の為に戦って亡くなられた方々を、国が英霊として祀るのは、当然のことですし、これらの方々を覚える気持ちは、決して政治問題化されるべきではありません。

これらの方々を静かに偲ぶ気持ちは、政治問題化される事なく、つまり一時の政策に対して全面的に支持をするか、しないかに関わらず、そういった議論からは遠く離れたところで、大切にされるべきではないかと思います。