ヒトラー暗殺計画-----ヘニング・フォン・トレスコウ

1944年7月20日、ナチスによるユダヤ人虐殺の実態を見て、ヒトラーの暗殺計画が少数のナチスの将校らによって実行に移されました。

 

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『罰を受けずに済まされる善い行ないはない』という格言があります。

 

善い行いは気付かれ、感謝をされるものだという期待があります。 けれど真実はどうやら逆のようです。

 

どの国に於いてでも、正しい行ないが正しくあるが故に、それを行なう決意をなさる方々がいます。けれどもこの方々が周りの方々、或いは全く知らない人たちから受ける報酬は、『批判』『非難』『誤解』或いは『中傷』であったりするのです。

 

私は、世界の勇気ある人々の善い行ないを見過ごす傾向があります。どの国にもいる筈の、もっと高い道徳の為に、困難で感謝されることない働きを決意された方々の働きにも目を向けていきたいと思います。

 

以下は、ヒトラー暗殺計画『ワーグナ―』の首謀者、ヘニング・フォン・トレスコウについてです。

https://en.wikipedia.org/wiki/Henning_von_Tresckow

 

ヒトラー暗殺とそれに続くベルリンにおけるクーデターが失敗した時、トレスコウはビャイストック近郊のクロロウィーの前線に於いて自殺する事を決意しました。彼の最後に残した言葉は以下の通りです。

 

『世界中は、我々を中傷するだろう。しかし私は今もって我々のした事は正しい事であったと確信をしている。ヒトラーはドイツだけでなく世界にとっての一番 の敵である。もうしばらくして私が私の行なった事と未遂のままとなった事について、神の前に進み出る時、ヒトラーへの抵抗をするために行なった事は正し かったと主張する事が出来る。神はアブラハムに対して、もしソドムの町に10人の正しい人間が見つけられるなら、町を滅ぼさないと約束をされた。であるか ら、私は私たちの為に神がドイツを滅ぼさない事をただ願う。我々の中では誰も死ぬことに不平を持ってはならない。なぜなら、誰であろうと我々の立場に加 わったものはネサスのシャツを身に着けなければならないからだ。ある人の道徳は、彼の確信するところを守る為に命を捨てられる覚悟をした時点で、初めて真 価を測られるものである。』

 

仲間を守るため、何発かピストルを撃って、ゲリラに襲われたかのような演技をした後、手りゅう弾をあごの下で爆発させました。彼の遺体はワルテンベルグに葬られます。

7月の終わりに、ナチスがヒトラー暗殺計画に対する彼の関わりを発見した時、彼の死体は掘り起こされ、サクセンハウセンの強制収容所に於いて火葬所に運ばれました。彼の妻は8月15日に逮捕され、子供たちはナチスの家族を同罪と扱うシッペンハフトにより連れて行かれます。10月になって彼女は釈放され、戦後を生き残りました。---ウィキペィデアより

 

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• ヒトラー暗殺は、どんな犠牲を払ってでもなされなければならない。たとえ成功しなくても、ベルリンの力を抑え込もうとする試みはなされるべきだ。いま重要 なのは、クーデーターの実際的な目的よりも、世界と歴史の記録の為に、レジスタンスを掲げる者たちが決断をして立ち上がった事実を見せる事である。この目的に比べれば、あとは結果論以外の何物でもない。


• この瞬間を覚えておこう。我々が陸軍元帥を説得して直ちにヒトラーの元に飛び、これらの命令を撤回させなければ、ドイツ人は世界が何百年経っても決して忘 れる事のない罪を負う事になる。この罪はヒトラーや、ヒムラー、ゲオリングや彼らの仲間が抱えるだけでなく、あなたや私、あなたや私の妻、あなたや私の子 供たち、道を渡る女性やボール遊びをしている子供たちにも被さってくるのである。


• 私は、人々が自分たちの事をクリスチャンと呼びながら、ヒトラーの統治に対して怒りに溢れた反対者とはなっていない事が理解出来ない。


• 我々が失敗する事は明らかかもしれない。しかしもし例え何人かであっても、あの犯罪者を始末をしようと勇気を持った男たちがいなかったとしたら、未来の歴史はどの様にドイツ人について裁くだろう。