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日本共産党の危険な過去

中国で捕虜になった日本兵が、撫順等の収容所に於いて『再教育』を受けた事はよく知られています。

決して自国兵士に対しても対応が良かったとは言えない日本軍から投降した、或いは生き残って捕虜になった日本兵は、悲惨な扱いを受ける事を予期していましたが、実際には丁寧に扱われ、好待遇を受けたようです。

この好待遇の方針は、日本共産党員の野坂参三の考えを採用したものであったと林彪が記しています。

https://www.marxists.org/reference/archive/lin-biao/1965/09/peoples_war/ch04.htm

以下は、野坂参三に関するウィキペディアの和訳です。なぜか日本語のウィキぺディアには野坂氏に関する詳しい情報は(英語版より)書いてありません。

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『日本軍は捕虜になる事を否定する方針であったので、日本兵は捕虜としての振る舞い方を知らなかった。(中略) 多くの日本兵は捕まった際に自殺をし、自殺をしなかった日本兵は中国人に対して親近感を持つようになった。

 

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日本軍は、野坂主導の『日本共産党軍』の存在に気付いていたし、彼らから来る脅威の確率を非常に恐れていた。野坂にヤンアンで会ったアメリカ人のコージ・アリヨシは、野坂について「日本の軍国主義に対する戦いの中で、最も貢献した日本人だ」と評している。

野坂の下で『改心した日本人捕虜』は、彼らの再教育が終わるとすぐに中国共産党の為に戦い始めた。またヤンナンでは彼らは監視をつけられることなく過ごし、商店を経営したり、自分のニュース新聞やプロパガンダ新聞を印刷したりもした。

 

 (中略)  野坂の赤軍の勝利に対する功績は、彼が共に働いた中国共産党の指導者たちに忘れられることはなかった。1965年、対日勝利20周年記念には、当時中国で最高位の将軍であった林彪から、名前を挙げてその栄誉を称えられている。

(中略)

第二次世界大戦後、再教育をされた日本人の軍隊は、大砲を使用した平津の闘いに於いて砲撃手の殆どが日本人であったように、いくつもの共産党軍の勝利の為に重要な役割を果たしました。多くの場合、野坂によって導入された『再教育制度』は、中国共産党軍の勝利の為に活躍したと言える。

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日本共産党の主張する、90数年戦争に反対してきた、とは何を指すのでしょう。日本共産党は、確かにアメリカや中国相手には戦わなかったようですが、日本軍相手、また中国国民党軍相手にはシッカリ戦っていたようです。