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田母神氏政治資金横領疑惑と、原則を忘れた保守派たち

「大きな悪に立ち向かえるのはこの方しかいない」というイメージが一端作り出されると、巨悪に対して立ち向かっているという期待感が働いて、「これくらいの違反はもっと大きな不正に立ち向かうには仕方がない」という理屈を生じさせ、支持者は「法律上の小さな悪」を容認してしまう傾向があるようです。

 

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ところが我々は、もはや中世の騎士が一途な正義感と直感で、闇の陰謀組織に対して切り込んでいけた時代に暮らしてはいません。法も裁判も関係なく「助さん、格さん、やっておしまいなさい」と悪者を始末出来るドラマの中にも住んでいません。

 

このような勧善懲悪は、庶民の憧れとして感情的な鬱積を晴らしてくれても、近代民主主義をいただく法治国家に暮らす限り、全ての『巨悪』は合法的に対処をされないといけない仕組みとなっています。

 

法治国家で暮らす限り、全ての人が法の下に行動することが求められているのであり、「巨悪」に立ち向かう政治家も、己を法の下に置く必要があります。

 

私は最近の日米の政治の中に、巨悪に立ち向かうためには、立ち向かう側の正義感が強調されるあまり、法的資格を問わない傾向が支持者の中にあるように感じます。

 

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アメリカでも、ドナルド・トランプ氏の主張やその支持者の熱狂などを見れば、ヒラリー・クリントン元国務長官の大統領就任という「巨悪」に立ち向かう事が強調されるあまり、『トランプ大学』の不正疑惑などが取りざたされているトランプ氏自身の資格の危うさが、支持者にはほとんど無視されている事がわかります。

 

支持者にとって、トランプ氏批判は、即ち「ヒラリー当選擁護」或いは「巨悪との妥協」であるかのように映るらしく、トランプ氏の言動や公約の矛盾の指摘を反射的に拒否するだけで、トランプ氏批判を口にする保守派言論人やミット・ロムニー・マサチューセッツ州知事などは、「巨悪」による陰謀の片棒を担いでいるかのようにバッシングをされます。

 

ところがよくよく考えてみれば、これらの「巨悪」は、法を犯している(或いは脅かしている)からこそ「悪」なのであって、「誰それ」が犯すから「悪」なのではありません。

 

以下の記事は、ヒラリー・クリントン候補の大統領就任を防ごうとするあまり、トランプ支持者が選挙に勝つ事だけを目的としてしまい、『原則』を置き去りにしてしまった点を指摘しています。

www.nationalreview.com

 

同じように、田母神俊雄氏による選挙資金横領の可能性が指摘されていますが、それでも支持者にとっては「彼は日本に無くてはならない人物」であるようで、「冤罪だ」という『陰謀説』を唱える事に対する批判もあまり聞こえません。

 

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勿論、疑惑の段階で断定はできませんが、トランプ支持者が「更に大きな悪」に打ち勝つためといって、原則を置き去りにしたように、日本の保守派も原則を置き去りにしてしまったか、鑑みる必要があります。

 

私見ならが、外交や政治に過激発言は益はなりません。多くの場合、愛国発言も無用です。それよりも、政治家、また国家は、「穏やかに語りつつ大きな棍棒を携える」べきです。大きな棍棒を携える為には、大きく語るべきではありません。


有権者の側も、「言いたいことを言ってくれる」政治家を求める事からは、卒業する時期を迎えていると思われます。