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ルワンダの虐殺・民族浄化-----アメリカの無い世界にようこそ (2)

1994年に起きたルワンダの虐殺・民族浄化の被害の大きさが、国連という組織の無能ぶりを露わにしている事を既に書きました。

カ ナダに帰国後、PTSDを患い、自殺を図ったところ、公園のベンチにこん睡状態で発見された国連PKOのダレール将軍は、虐殺が行なわれている最中、民族 浄化の報告を受けていながら、現地PKOの武器使用や増兵員要求などをことごとく拒否し、虐殺を行なっているフツ族に対して発砲を禁じたコフィ・アナンを名指しで批判しました。

 

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国連は、PKOの警護のもとに、ルワンダに滞在していたジャーナリストを含む欧米人の強制退去を命じ、赤ん坊や子供を含めたツチ族を見殺しにする事を決定します。


国連のPKO現地司令官としてルワンダに派遣されたカナダ人将軍ロメオ・ダ レール に対する再三にわたる命令は『中立を保て』でした。

 

その意味するところは、無辜の少数民族であるツチ族の人々の虐殺が行なわれている最中、彼らを擁護し、 助け出す事は、一方に組する事となり、『中立ではない』と判断されていたのです。『虐殺を行なっている側に加担して無辜の人々を傷つけてはいけないのと同時に、虐殺されている側に加担して、彼らの命を救い出してもいけない』、これが国連の言うところの『中立』です。

 

民族浄化となった虐殺を止める為に避難民を収容出来るように、国中のスポーツ観戦場であるスタジアムを警護する国連軍を増員して欲しいというPKO現 地司令官ロメオ・ダレールからの再三の要求も、『現地政府からの同意』が得られていないからという理由で拒み続けます。


マデレーン・オルブライト米国連大使は、『民族浄化』という定義を用いるか否かの判断を遅らせ、武器の使用や増兵を認めなかった事について、「後になって考えてみたら、ハッキリとわかるのでしょうが、当時はルワンダで何が起こっていたかを判断するのは、非常に困難だったのです」と発言します。

 

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これについて、当時の状況を知る赤十字職員は、「彼らは何が起こっていたか、知らなかったなどとシラを切るものではない。報告は毎日上がっていたんだ。何が起こっていたか、全ての人が知っていた」と厳しく反論します。

国連の撤退命令後ルワンダに残った唯一のアメリカ人奉仕活動家である、カール・ウィルキンソン氏は、涙を流しながら語ります。

「民族浄化が終焉を迎えた頃、私はとても怒り狂っていました。(何もしてくれなかった)アメリカが憎かった。美しいアメリカ、勇敢なアメリカが…」

 

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現地の国連軍は己の無力さを呪い、指令部を非難しました。ちなみに当時のPKO担当国連事務次長はコフィ・アナン。2001年にノーベル平和賞を受賞しています。コフィ・アナンは、イラク戦争前にはアメリカの一国主義を非難しましたが、ルワンダに於いて民族浄化が続いていた時には、言葉の定義にこだわって、何も行ないませんでした。


米国国防省内の専門家は、地上から『ゴキブリ』を一掃する為に、全フツ族に対して武器を取って、ツチ族を虐殺するようにメッセージを送り続ける、ルワンダ 唯一の情報手段であったラジオ放送の電波を妨害して、殺害、虐殺を命令できなくする計画を提案しますが、「こうした行動は、合衆国の憲法で定められてい る『報道の自由』に反する」という理由で却下されました。

 

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米国クリントン政権は、ようやく国連PKOに5,000人の武装部隊を送る事に同意しますが、実際にルワンダに到着するまでには、3か月かかると主張しました。
世界で一番の洗練された軍事力と経済力を誇るアメリカが、『軍事訓練は充分に出来ているか』『一体誰がどうやって資金を調達するのか』議論を続けていたのです。

誰も、このようなくだらない堂々巡りの議論を、『くだらない。我々は一刻も早く行動しなければならない』と終わらせ、主導権を握って実行に移すことをしませんでした。

民族浄化の7週間目に、クリントン大統領は、『アメリカは、アメリカの国益を脅かさない限り、国際紛争には介入しない』と宣言し、『アメリカは戦争をするのが好きな国ではない』と『平和路線』をアピールしました。

 

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