『南京」と『安保法案」を共に並べる愚 (1)

『日本の心を大切にする党』が行なった街頭演説の様子です。選挙宣伝カーと、ガードレールに『南京大虐殺は嘘だ』『安保法案賛成』の横断幕が掛けられています。

 

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政治政党がこのような歴史問題の主張を掲げる事によって、残念ながら、国家の安全保障の為の法案が如何なる動機のもとで提出され、決議されようとしていたのかを疑わせる働きをしています。

これらの政治家が、南京という歴史問題を取り上げる理由は何でしょう。

 

南京に関しては、歴史家の間で、規模の小さい虐殺があったと言われていますが、ハッキリとした犠牲者数の断定は不可能であると言われています。日本政府の 公式見解も、「日本軍の南京入城(1937年)後、非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できない」とし、犠牲となった人数については、「被害者 の具体的な人数については諸説あり、政府としてどれが正しい数かを認定することは困難である」と述べています。

 

「南京に於ける虐殺があったか、無かったか」という主張は別として、一つの政治政党が、歴史家でも断定できない過去の問題に対して、一方的な意見を『史実』として断定する事は、常識的に考えておかしな事です。

 

 一方、安保法案は国家と国民の将来と安全に直接かかわりのある問題です。国防の重要性に目を瞑り「戦争法案反対」を叫ぶ無責任な左翼活動家や、自国の拡張主義の 目障りになるものを潰したい中国政府の思惑の中で、安倍首相は多くの国民の支持と海外からの理解を必要としていました。

国防の為に無用な警戒感を持たれない為には、現在の極東における軍事バランスもさることながら、戦後一貫して平和外交を続けてきた現在への日本への正しい評価を強調する必要があります。

そしてこれからも、その努力は続けられなければなりません。

 

この努力に対して最も厄介な主張が、「第二次世界大戦中の日本の行ないがいかに正しいものであったか」、「日本が戦争犯罪を犯した筈はない」という類の『日本無謬説』の主張です。

 

南京について、多くの人には「虐殺があったと言われている」という意識があります。

それについて「嘘だ」と言い切り、かたや反対派の運動家が「戦争法案」だと呼ぶ法案に賛成していると見れば、「安保法案に賛成をする人々は、南京で起こった事を、虐殺だと呼ばない人々」と考えないでしょうか。

これは、歴史観の違いを別にしても、他者からどのように見られるかを落ち着いて考えれば、理解するのに難しい筈はありません。

 

政治家は自らの主張がどのように受け取られているかを注意して見るべきです。政治に責任を持って携わろうとしているならば、自らを省みる事は尚更必要です。

 

現在アメリカの大統領選挙は、まるでリアリティー番組のように、派手なパフォーマンスが入り乱れ、自虐史観や自虐政治から逃れようとする保守派が、トランプ氏の愛国スローガンに踊らされ醜態を晒しています。

それでも、保守派の醜態に、最も厳しい批判をしているのは、冷静さを保っている保守派です。

 

真に国を愛するならば、『愛国無罪』で許容するよりも、一歩下がってどう見えるか、それとなく指摘する仲間意識が欲しいものです。