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国連という組織-----コフィ・アナン事務総長

1994年の4月から起こったルワンダの虐殺(民族浄化)では、ほんの100日間の内に80~120万人もの無垢の命が奪われました。

この犠牲者数は、第二次世界大戦における軍人、民間人を合計した日本人犠牲者と同じレベルです。

 

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これだけの人命が、たった100日間の内に奪われました。

ルワンダの民族浄化の際の、国連の『平和主義』や『中立』とは、虐殺をしている側に加担せず、虐殺をされている側も助けない、というものでした。

現地のPKO司令官からの増兵要請を断ったのも、増兵の要請にも関わらず現地の国連兵力を削減したのも、『中立』を保つよう命じたのも、2000人のツチ 族の子供たちが避難している学校の建物の周りを警護するPKOに対して退去を命じたのも、また、PKO司令官を退官したロメオ・ダレールに対して、ベル ギー政府が(PKOに派遣したベルギー兵士10人の惨殺について)証言を求めた時に、証言する事を禁じたのも、当時PKO担当国連事務次長だったコフィ・ アナンです。

 

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コフィ・アナンはルワンダの民族浄化から7年経った2001年に、ノーベル平和賞を受賞します。

この人物のこうした言動を、私は殆ど知る機会がありませんでした。
イラク戦争に於いて、アメリカの一国主義を批判し、国際社会の足並みの揃う事を訴えていたのは知っています。共和党のブッシュ大統領率いる当時のアメリカ 政府にとって、国連という組織との協調は、問題解決を却って困難にするという認識だったとしても、不思議ではありません。

イラク戦争前、核兵器や化学兵器などの大量破壊兵器を開発する事がないように経済制裁を受けていたイラクには、国民の飢えを防ぐため、国連の委託会社の監視のもと、石油と食料を交換する『オイル・フォー・フード』のプログラムがありました。

国連から委託を受けていたのは、スイスのコテクナ・インスペクション・サーヴィスという会社で、この会社にはサダム・フセイン側が入手する食料等を監視する役割がありました。

不思議な事に、コフィ―・アナンの息子、コジョー・アナンは、この会社に1998年まで勤務し、退職後も、このプログラムが終焉する2004年の初頭まで、彼は毎月この会社から多額の給与を受けていたのです。

Annan's Son Took Payments Through 2004 - The New York Sun

ルワンダに於いて、民族浄化の虐殺が起きていた最中は徹底して中立を叫んでいたコフィ・アナンですが、彼の叫ぶ『中立』や『公平』の基準は、一体何なのでしょう。