ジェラルド・ホーンの『Race War』

アメリカに住んでおりますと、何でもない事で『人種差別を受けた』と訴える方に出くわすことがあります。

 

私は『犠牲者カード』を使うことが好きではありません。陰謀説を唱えることにも嫌悪感を感じます。

 

これは、何かの犠牲となる場合が無いと主張するのでも、世界には陰謀というものが存在しないと主張している訳でもありません。

ただ、『犠牲者カード』を使う限りは、己の弱さを特権化してしまい、困難をバネにして強くなる機会を逃してしまうと思えますし、『陰謀説』についても、何か得体の知れない巨大な力が困難の背景にあると描く事によって、己の無力を正当化しているように思えます。

私は、可哀想な存在として同情されるよりは、憎まれても強く在る方が、潔い気がするのです。

 

ジェラルド・ホーンというマルクス主義者の書いた『Race War』という本があり、第二次世界大戦中の日米の戦いを説明するのに、アメリカ側の人種差別を原因としていますが、私は戦争という問題は、人種差別で片 づけてしまえる程単純ではないと考えます。(尤も、現在に於いても、黒人の抱える貧困や犯罪などの問題を、白人に責任があるように主張する考えがあります が、これは人種差別という犠牲者カードを利用した、単なる甘えです。)

Gerald Horne - Wikipedia, the free encyclopedia

 

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第二次世界大戦中には、日米それぞれに人種偏見とプロパガンダがありましたが、アメリカ側の人種偏見やプロパガンダだけを取り上げてみても、公平で誠実な議論とはなりません。

そうした戦時中の憎しみを強調して、人種差別の被害者であるかのように自ら(の国)を意識する事は、自ら進んで被差別者に甘んじる事とならないでしょうか。

 

因みに、世界で最も差別主義であるのは、シャリア法を信じるイスラム教徒です。彼らの差別意識はすさまじく、多神教を信じる非イスラム教徒に対して同情を覚える事を禁じるばかりか、生存の権利すら認めていません。

 

白人による人種差別の『意識』を訴える人々はいますが、イスラム教徒による人種差別の『意識』を訴える人が殆どいないのは何故でしょう。

私見ながら、それは私たちが彼らの主張や信念を、私たちのそれより劣ったものと考え、彼らによって差別される事を無意識のうちに拒否してるからです。

 

制度としての差別でない限り、犠牲者として被差別者となるかどうかは、私たちの考えによるのではないかと思えます。