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若者が過激派に加わる理由

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ジハーディ・ジョンと呼ばれたISISのメンバー、「モハメド・エムワジ」が、クウェート出身のイギリス人であることは知られています。彼はイギリスで教育を受け、ウェストミンスター大学を卒業しています。

 

実はヨーロッパやアメリカ、アジアで育ち、教育を受けた若者がISISに加わったり、彼らの活動を支援する若者が後を絶たず、各国は対応に追われていますが、近代民主主義国家の教育を受けた若者が、ISISに加わったり、自爆テロを行なうような『宗教的過激派テロリスト』になる理由は何でしょうか?

 

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多くの人は、『貧困』や『教育の欠如』が原因で、若者が過激派に加わると信じているようです。

貧困の場合は「逃れる道が閉ざされているように思える中、持たざる者が持つものに対して憎しみを抱き、福祉に頼って生きるよりは、殉教したとしても反抗して強く生きたいと願う」、無知が原因の場合は「教育によって知識や知恵が与えられず、機会の平等が望めない為に、過激派の思惑通りに洗脳されるようになる」と考えられています。

我々はこのどちらかが原因で、人々が宗教的テロリストとなるのであろうと想像しますが、これらの推測は事実に基づいてはいません。

実際に、人々が過激派と関わりを持ち、仲間に加わるのに、貧しさは関係ありませんし、高等教育の有無はもっと関係がありません。他者を殺害したり、自分自身の命を捧げるような宗教的過激派に仲間入りする多くの人々は、中流家庭出身で、大学卒業者です。

 

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それでは、一体、何が理由となっているのでしょうか。


まず第一に挙げられるのは、(人生の)意味や秩序への要求です。

 

政治秩序が崩壊し、社会が混沌とした時に、過激派宗教者らはハッキリと、明確な解決を提示します。


「この教えに従うなら、問題は解決し、社会問題の解決の為にはこの教えしかない」と主張するのです。


また、古く、腐敗した社会のルールを撤廃するには、暴力による排除しかないと主張します。『我々は暴力によって腐敗しきった政府を排除し、新しい社会を築いていかなければならない』と宣言するのです。


しかもここで、彼らは自分達こそが、乱れた社会風紀の犠牲者であるとして、暴力手段を正当化します。

 

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こういった理論は、レーニン、ムッソリーニ、ヒトラー、ビン・ラディンなどが、自分達に従う人々に説明して用いた手法です。


我々はこういった過激派にどの様に対応したら良いでしょうか。

まず、我々の側が、こうした過激思想の原因は、貧困や教育機会の無さが原因だという誤った考えを捨てる必要があります。彼らは、我々が同情したり、何らかの道義的責任を感じるべき犠牲者なのではありません。

次に、過激派の教えのもたらすものを吟味させるべきです。彼らの教えは、より優れたものを約束しますが、その教えによってもたらされるのは、更に多くの死、苦しみ、混沌、貧困であるのです。我々は、彼らの真の姿を晒さなければなりません。メディアは彼らを自由を得る為の戦士のように扱うべきではありません。

親も教師も、自分達が過激思想と関わりが無いからと言って、自分の子供たちや若い世代が過激思想に影響されない保証が無い事を、わきまえなければなりません。その上で、多様な近代的価値観を紹介し、異なった意見に対しても尊敬の念を持つ事を教えなければなりません。

また、国内問題の責任を、外国、特に欧米になすり付ける事を止めなければなりません。

 

 

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最も重要な事は、イスラム教の問題を直視する事です。イスラム教は人種や民族ではなく、問題を抱えたイデオロギーです。イデオロギーを批判する事は、差別ではありません。少なくともテロリストを英雄視したり、テロ行為に理解を示す事は、絶対に避けなければなりません。彼らがイスラムの宗教の名前で犠牲にしているのは、同じイスラム教徒を含む、無辜の人々なのです。


イスラム教の教職者や活動家たちは、イスラム教を批判する人々でなく、こういったイスラムの名を語る過激派こそ責めなければなりません。


貧困や教育欠如が原因で、過激派が生まれるのではありません。過激派によって、混沌がもたらされ、貧困がもたらされ、教育の欠如や、死や、恐怖がもたらされるのです。

イスラム教過激派に加わる人々を減らす為にも、これらの点は注視しなければなりません。