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『不自然な国境線』? (1)

中東の内戦、テロの原因を説明するのに、なんとか欧米に責任を求める論として『中東に不自然な国境を引いたのは欧米ではないか』という説①がありますが、これはいくつかの点から見て、事実に基づいていません。
 
まず第一に、『欧米』というからには、アメリカを含めた表現ですが、中東の国境を決めるに際して、アメリカは一切関わっていません。
 
中東の国境は、第一次世界大戦後のオスマン・トルコ帝国とイギリス、フランス、ロシアとの間の『サイクス・ピコ協定』に於いておおよそ決められました。② 正式にはセーヴル条約③で決められ、変更の後、ローザンヌ条約④に於いて最終決定され決められたものです。
 
ローザンヌ条約に調印したのは、トルコ(アンカラ政府)とイギリス、フランス、イタリア、日本、ギリシャ、ルーマニア、ユーゴスラビア王国(当時の国号は「セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国」)であって、アメリカは全く関係ありません。
 
また第二に、現在の国境が不自然かどうかという点ですが、『自然な国境』というものはどのような国境でしょうか?
 
それぞれの民族に従って国境線が引かれるべきだったという論理かもしれませんが、それぞれの民族によってまとまって暮らしていた訳ではなく、オスマン・トルコ帝国の崩壊まで、同じ民族が方々に散らばり、違う言語を話し、違う宗教(宗派)を信じていました。

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例えば、現在のイランでもイラン(ペルシャ)人と呼ばれる人々は半数で、あとは多々の少数民族が居住しています。また現在のトルコでも、多くの少数民族が居住し、クルド人は約人口の三分の一を占めます。ただ、民族を意識するナショナリズムは19世紀のヨーロッパで生まれた概念ですので、オスマントルコ帝国の一部であった中東の民族には、民族ごとの国家を建設する意識がありませんでした。
 

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例えばクルド人を見てみても、クルド国家を建設した場合、トルコの約3分の1、イラクの南部、イランやシリアの大きな部分を併せた巨大国家が考えられますが、クルドという国家の中で宗教(宗派)によって分裂し、違う言語(正確に言えば方言)が話されたままで、意思の疎通すら出来ないままだったでしょう。
 

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1910年の時点での民族の分布 を見れば、現在の私たちの考えるような『自然な国境線』という理想は、存在しない事がわかります。1923年のローザンヌ条約の締結時も、中東で暮らす 人々にとっては、『民族』という意識よりも、言語、宗教によって纏まろうとする意識の方が強かったのです。
 
 
また第三に、イスラエルを除き、中東には民主主義は現在も存在しません。民意を伺うという考えそのものがありません。ですから当然、元の帝国の有力者、或いは宗教指導者の意見が民族を代表するとして考えられ、イギリス、フランス、ロシアも、これらの指導者と協議の上に協定を結び、条約を締結しました。
 
以上を考えれば、中東の国境は、トルコ帝国崩壊後、現実的な最善を見計らって引かれ、決して『欧米』による不自然、また身勝手な線引きではなかった事がわかります。
 
中東の内戦や対立を『欧米の引いた不自然な国境線』の責任とする声は、無知が基となっている事は明らかですが、「何が何でも欧米に責任があるに違いない」というような陰謀説が背景にあるように思われます。
 
いずれにせよ、決して事実に基づいた論理ではありません。