皇道派にとって、天皇の親政政治を目指した「昭和維新」が、昭和天皇その人の強い反発と怒りを買ったことは全くの計算外だったようです。昭和天皇は伏見宮を通した「昭和維新の大詔渙発」などの上伸にも、「自分の意見は宮内大臣に話し置いてある」「宮中に…
引用をストックしました
引用するにはまずログインしてください
引用をストックできませんでした。再度お試しください
限定公開記事のため引用できません。