『愛国者』らは、北朝鮮軍事危機を直視せよ
Why North Korea Is a Black Hole for U.S. Intelligence | Observer
The Real North Korean Missile Crisis is Coming | World Affairs Journal
アサド政権による自国民への化学兵器使用と『アメリカ・ファースト』
4月4日火曜日、シリアのアサド政権が、反政府派の拠点の一つとなっているイドリブ地方を化学兵器を用いた爆弾攻撃により、子供や、まだオシメを履いている赤ん坊を含む市民少なくとも70人を殺害した。
Chemical Attack in Syria Puts Focus on Trump Policy - WSJ
Trump, Reshaping Syria Policy, Sets Aside Demand for Assad’s Ouster - WSJ
RFE/RL - U.S. Ambassador to the United Nations Nikki Haley...
https://www.nytimes.com/2017/04/05/world/middleeast/syria-chemical-attack-un.html
Syria chemical attack has changed my view of Assad, says Trump | US news | The Guardian
America First Committee - Wikipedia
二人の子供、妻、弟、甥を亡くしたシリア人男性。この写真こそ、アメリカが関心を内政だけに向け、一国主義となる『アメリカ・ファースト』を語っている。
日韓の和解を妨げる両国のナショナリストたちに反対する
United States Strategic Bombing Survey: Summary Report (Pacific War)
United States Strategic Bombing Survey: Summary Report (Pacific War)
シャリア法による裁きを容認してはならない
ウィツィロポチトリに捧げられた生贄は、祭壇に据えられた石のテーブルの上に仰向けにされ、神官達が四肢を抑えて黒曜石のナイフで生きたまま胸部を切り裂き、手づかみで動いている心臓を摘出した。シペ・トテックに捧げられた生贄は、神官達が生きたまま生贄から生皮を剥ぎ取り、数週間纏って踊り狂った。人身御供の神事は目的に応じて様々な形態があり、生贄を火中に放り込む事もあった。現代人から見れば残酷極まりない儀式であったが、生贄にされることは本人にとって名誉なことでもあった。通常、戦争捕虜や買い取られた奴隷の中から、見た目が高潔で健康な者が生贄に選ばれ、人身御供の神事の日まで丁重に扱われた。神事によっては貴人や若者さらには幼い小児が生贄にされることもあった。」とあります。
サティ―については、
「ヒンドゥー社会における慣行で、寡婦が夫の亡骸とともに焼身自殺をすることである。日本語では「寡婦焚死」または「寡婦殉死」と訳されている。本来は「貞淑な女性」を意味する言葉であった。…17世紀のムガル帝国で支配者層であったムスリムは、サティーを野蛮な風習として反対していたが、被支配者層の絶対多数であるヒンドゥー教徒に配慮し、完全に禁じていたわけではなかった。その代わり、サティーを自ら望む女性は太守(ナワーブ)に許可を申し出るよう義務付け、ムスリムの女性たちを使って可能な限り説得を行い、それでもなお希望する者にのみ許可を与えた。ただ、全ての土地にムスリムの太守がいるわけではなく、説得が行われていない地域もあった。必ずしも寡婦の全てがサティーを望んだわけではない。中にはヨーロッパ人や家族の説得に応じて寸前で思いとどまった者もいたが、ほとんどの志願者は夫と共に焼け死ぬ貞淑な女性として自ら炎に包まれた。炎を前に怖気づいた者は、周りを囲むバラモンに無理やり押し戻されるか、仮に逃げたとしても背教者としてヒンズー社会から排除されるため、その最下層(アウト・カースト)の者に身を委ねざるを得なかった。場合によって、そのことを期待した者が見物に集まってくることもあったという」とあります。
いずれにせよ、長い人類の歴史の中では、いくつもの野蛮な教えが、『名誉』『貞淑』などの概念による「無言の強要」によって信者(他者)を拘束してきた点は否めません。こうした教えや強要による犠牲となってきたその殆どは、女性、子供、捕虜などです。アステカの人身御供は16世紀にスペインによってアステカ帝国と共に滅ぼされ、サティ―の教えは、17世紀から19世紀にかけて、イスラム教徒領主やイギリス帝国によって破棄され20世紀の初頭には殆どなくなりましたが、イスラム教シャリア法は、アステカの人身御供の宗教儀式よりも古い紀元8世紀から8世紀にかけて作られた教えであり、時代や人権意識の変化に合わせた改革を遂げていません。
シャリア法による人権侵害が認められれば、アステカ文明やサティ―の慣習復活を願う人々によって寡婦焚死や人身御供を教えはじめた時、これらも認められるのでしょうか。法の下では、シャリア法による人権侵害は許容しながら、別の宗教の危険な教えは禁じるという不平等は許されないのです。
シャリア法が危険な教えであっても、それが国境を越えて来なければ良いといった主張さえ時折目にしますが、これは国民として生まれたイスラム教徒、或いはイスラム教徒に改宗する国民の起こすテロや、シャリア法を現地法にしようとする動きを、全く考慮していない証拠です。ISISにせよ、アルカイダにせよ、彼らの行動の基となっているのは「シャリア法」ですが、ISISやアルカイダの過激さに心酔する若者は、中東諸国以外の先進国にも大勢住んでいます。シャリア法そのものを禁止しなければ、これらの若者が西側で行なう布教や政治活動を、どうやって止めるのでしょう。
シャリア法を実行する人々が、自分たちの移動(移民)と共にシャリア法を移住先に持ち込み、現地法となるように運動し、移住先にとっての直接的脅威となってきた事実を無視するべきではありません。
シャリア法を信望するイスラム教徒の多いソマリアでは、13歳の少女が輪姦され、加害者である男性側の証言が得られない為、「姦淫を行なった」と非難された被害者のみが石打ちの刑で処刑されました。シャリア法では、女性が強姦や輪姦の被害を証明する為には、男性イスラム教徒4人の証言が必要となるからであり、男性イスラム教徒の証言が無い場合は、強姦や輪姦の被害であっても「夫以外との性交渉を行なった」という、自らの姦淫を認める証言としかならないからです。
'Don't kill me,' she screamed. Then they stoned her to death | The Independent
またイランでは、夫の証言だけで「姦淫」を訴えられた妻も、石打ちによって処刑されています。離婚で生じる元妻への補償や生活保護に比較すれば、「妻が姦淫を行なった」という夫の証言のみで妻を処刑する方が容易です。この裁判で姪が石打ちで殺されたイラン人女性は、「この悲劇を世界に広めてほしい」とフランス人ジャーナリストに頼んだ為、悲劇的な彼女の死が明らかになっているのです。
Soraya Manutchehri - Wikipedia
こうした多くの悲劇は、主に女性や子供、捕虜に降りかかる人権侵害ですが、絶対的男性優位を主張するイスラム教原理社会では、1200年以上もの間、改革が行なわれていません。
地中に半身を埋められ、石打ちによって処刑される女性。石打ちの刑は、大き過ぎず、小さ過ぎない石を使った時間をかけた処刑方法である。
どこかで線引きがなされるべきです。勿論「異教徒」へのテロだけ禁じれば事足りるのではありません。イスラム教の支配する地域であっても、近代的な人権意識に基づく国際法の下、人権侵害と認められる行為は、たとえイスラム教徒に対してであっても禁止されるべきです。
International human rights law - Wikipedia
もちろん、法の下での基本的人権という概念は、西洋によって確立されましたが、これは絶対的正義を前に、欧米の人権意識がこれに倣ったからでしょう。これは西洋の果たした貢献の一つとして評価されるべきです。
インド総督であったチャールズ・ナピエ―将軍は述べています。
「好きにするが良い。寡婦を焼き殺す事があなた方の習慣ならば。葬儀の準備をしてやれ。しかしながら我々にも習慣というものはある。もし男が女を焼き殺すならば、こうした男たちを首吊りにし、彼らの財産を全て没収しなさい。私の大工が彼らの為の絞首台を作ってくれるだろう。寡婦が焼き殺される度に、それに関係した男たち全てを絞首台に吊るすのだ。我々すべてがその国の習慣に従って振る舞うべきだと言うならば。」
Charles James Napier - Wikipedia
基本的人権の尊重を唱える事は、決して西洋価値観の押し付けではありません。むしろ絶対的正義を示す行為であり、それに倣うよう、欧米も自らを変化させてきたのです。それぞれが自らの古い習慣に留まれば、共存や発展など不可能となるでしょう。
西洋のした事であればその価値を全く認めず、人権活動そのものにすら反対するような偏狭で安っぽい反欧米ナショナリズムに比較すれば、偽善的で優先順位のハッキリしないリベラル派の方が、矛盾を抱えながらも、却って人権問題について貢献をしていると言えます。
ロシア: 民主活動家アレクセイ・ナヴァルニィー逮捕に見る、独裁者プーチンの焦り
ロシア政府内の腐敗を暴露し、『プーチンが最も恐れる男』と呼ばれ、ロシア民主化運動の指導的立場である弁護士のアレクセイ・ナヴァルニィが逮捕された。彼が主催した「反腐敗デモ」はロシア連邦内の90カ所以上の都市に広まり、各地では何千人もの人々が集まり、2011年から2012年の間に起こったデモ以来、最大規模の行進を行なっている。非政府組織OVD-Infoによれば、このデモの為にロシア内で逮捕された市民は約800人に上るとされているが、この数の確認は取れておらず、ロシア国営放送のタス通信がモスクワ警察の発表として計算した逮捕者は、およそ500人とされている。また、デモ隊の参加者の半数は20歳以下の未成年であり、クレムリンのプロパガンダ報道機関である『ロシア・トゥデイ』や『スプートニック』、『タス通信』などではなく、インターネットから情報を得る世代である事が伺われる。
Protesters Gather in 99 Cities Across Russia; Top Putin Critic Is Arrested - NYTimes.com
Russia: Mass Protest Against Government in Moscow | Time.com
От Петербурга до Владивостока. Всероссийская акция протеста в фотографиях — Meduza
アレクセイ・ナヴァルニィー(右)と、収監される弟のオレグ・ナヴァルニィー(左)
デモ参加者の半数は20歳以下の若者である。
FBI Probing Breitbart, InfoWars In Russia Investigation | The Daily Caller
https://www.nytimes.com/2017/03/25/business/alex-jones-pizzagate-apology-comet-ping-pong.html?_r=0
https://www.nytimes.com/2017/02/14/us/politics/russia-intelligence-communications-trump.html
Trump aides were in constant touch with senior Russian officials during campaign - CNNPolitics.com
Updated Trump Russia election timeline FBI - Business Insider
Poll: Majority of Americans want independent commission to investigate Trump-Russia ties - POLITICO
『反腐敗』のプラカードを掲げた自転車に乗っていた為に逮捕された18歳の少年
ヘイトスピーチと「日本らしさ」の限界
最近私は、知日派のアメリカ人と議論を交わすことが多い。
勿論、アメリカ人と言っても様々な考えがあり、ナショナリストや保守派から始まって、左翼、リベラル派まであるのだが、一致しているのは、「日本の評判は、中韓の流すヘイトスピーチやプロパガンダではなく、現在の日本人の言動によって落とされている」という点だ。
アメリカ人の中には現在日本の政治事情に詳しい人もおり、一部『ネットウヨ』の主張を目にする事も多いようだが、自称人権派でなくても、人権に関する概念の育った環境で暮らした事のある人間にとって、「~人を殺せ」等というあからさまなへイトスピーチや、「韓国人を見たら泥棒を見たと思え」等の表現が、殆ど批判される事なく一部保守派の間で横行している現状は、日本在住の日本人が考えるよりも遥かに悪印象を与える。
あるアメリカ人は、ソーシャルメディアが発達した現在、フェイスブック上の議論によってファナティックな日本人のヘイトスピーチに接し、慰安婦問題において中国人学者の流すプロパガンダをすっかり信じてしまうようになった。彼の信じ込んだ誤解を解くには、こうしたヘイトスピーチの影響を過小評価したり、或いは「韓国人の方がもっと悪い」とファナティックな日本人ナショナリストを弁護する事ではなく、「こうしたヘイトスピーチがどれ程間違っているか」に同意する、普遍的な道徳心を示すことが先決となる。
こうした問題を考えていた矢先、桜井よしこ氏が2014年に書いた記事を目にした。
櫻井よしこ氏 ヘイトスピーチは日本人の誇りの欠如が原因│NEWSポストセブン
『最近、在日韓国人や在日朝鮮人に対するヘイトスピーチが問題に
桜井氏は、一応ヘイトスピーチに反対をなさっているようだ
しかしながら、ヘイトスピーチに反対されるその理由は、「根拠な
在日韓国人や在日朝鮮人に対するヘイトスピーチを行なう人々にと
加えて、桜井氏によるヘイトスピーチへの対処法は、①「私たちが『
①に関しては、「『日本らしさ』の根本とはいったい何でしょうか
しかしながら、ヘイトスピーチを行なっている人々は、主に『日本
桜井氏は「外国から来た人にもそれを理解し、受け入れてもらうこ
実際には、ヘイトスピーチは排他的ナショナリストの産物であり
何でも『日本らしさ』や『日本』に問題への解決があるかのような
もちろんの事、ヘイトスピーチやヘイトクライム、人種や国籍によ
伝統的保守派でありながら排他的ナショナリズムに陥らず、ヘイト
一部右派の間に見られるヘイトスピーチを撤廃する為には、「
因みに思い出していただければ、「普遍的な人権論」を「日本独自の考え方」、或いは「日本らしさ」に置き換えようとする論理こそが、普段は日本の憲法改正に賛成をするような米国保守派メディアをして、自民党憲法改正論に懸念を抱かせる根拠となっていた筈だ。
ナショナル・レビュー誌の書く『ファシズムに逆戻りする日本』 - HKennedyの見た世界
「日本らしさ」という「特別な日本論」に、他者を騙せるほどの魔法の力は無い。普遍的な人権論や道徳心を「西洋的な考え」を否定せずに、その重要性に立ち返る事も必要ではないだろうか。
愛国教育で有名な森友幼稚園の父兄に宛てられた手紙
日本政府によるグレンデール慰安婦像撤去裁判への意見書提出の問題
カリフォルニア州グレンデール市に設置された慰安婦像撤去を巡る裁判が、グレンデール近郊に住む日本人によって起こされたのは記憶に久しい。この裁判は現地の裁判所で一審、二審とも原告側の訴えが退けられているが、この判決を受け、原告側は先月、連邦最高裁判所に上告をした。
米国グレンデール市慰安婦像訴訟 日本国政府の意見書提出 | 外務省
こうした原告側の上告を受け、日本政府は、連邦最高裁判所に対し、「像の設置はアメリカ政府も支持する日韓合意の精神に反する」などとして、上告を認めて審理を行なうよう求める意見書を提出した。
また日本政府は、「像の設置は、国際社会で互いに非難や批判をすべきではないとした合意の精神にも反する」と意見書提出の正当性を訴えている。
外務省は「これまでもあらゆる場面で政府の立場や取り組みを説明しており、今回の意見書もその一環だ」と説明しているが、日本政府は、こうした行動が、米国をはじめ国際社会にどのように受け取られるかを、全く考慮していないのではないか。
まず、こうした日本政府の行動は、日本政府の立場や取り組みを説明しているものとは映らない。その動機が慰安婦像撤去に向けた意思表明であってもなくても、こうした意見書の提出は、日本政府による司法への介入、ひどい場合では外国権力による弾圧だと米国側に受け取られるだけだ。
三権分立の徹底している民主主義国家において、外国政府が第三者として司法に対して立場を示し、市民の起こした裁判の上告を求めるように要求をする事は、普通あり得ない。こうした行動が通常あり得ないことを認識してか、日本のメディアは『異例』という表現をするが、この『異例』は、米国にとっては呆れるばかりの『非常識』なのだ。
米国連邦最高裁判所
地元に住む日本人の起こした裁判そのものについて、裁判を起こす権利が二審判決で認められた点を踏まえ、原告側の主張や目的に同意するかしないかは別として、彼らが裁判を起こす権利がある事は認める。しかし、国民の行動と政府の起こす行動では意味が全く違う。
一連の日本政府の介入が、何故米国では権力による不当な介入と受け取られるかを説明しよう。
欧米社会では、政府は国民の権利を剥奪し得る権力として見做されている。また実際、強権を振るい、自国民の権利や自由を取り上げ、弾圧する国々が世界にある事を踏まえれば、こうした見方も一概に誤っているとは言えない。特に保守派の間では出来るだけ国民の自由や権利、活動に介入しない「小さい政府」が望ましいとされ、リベラル派の間では保守派に比較して、やや「大きな政府」を主張するが、その目的は「国民の自由や権利を更に拡大する為にある」と考えられ、いずれにせよ国民の自由と権利に関しては介入しない国家が求められている。権利の侵害や自由を拘束される事を嫌う気質がある英米では特に、国民は国の介入を拒絶する。自由と引き換えに、自由の責任を自分で負う覚悟も持たなければならない社会なのだ。
対して日本は、政府が国民の必要を満たす国家である。しばし誤解されるが、実際の日本は『全体主義国家』ではなく、『Nanny State』と呼ばれる方が相応しいだろう。これは、乳母が幼児の必要をすべて満たすように、国家が国民の必要を満たすシステムを指す。勿論日本では、しばし『全体主義国家』の『専制君主』がするように、国が国民に対して威圧や暴力を使ったことは皆無と言って良く、古い時代からかなりの法治国家でもあった。しかし国民は危険を避ける傾向があり、自らの責任を負うこともしない。日本人の多くの投資や勤労が無駄になるのは、その為である。勤勉な努力に相応する個人の成功も僅少だが、比較的安定をした社会ではある。親が子供の責任を負うように、リスクは政府が負ってくれるし、外交から内政まで、他国では介入しないような国民の為の諸問題まで、政府が介入する事を期待されているのである。
であるから日本人の間では、「政府は何をしている」「外務省は何をしているのか」という声がしばしあがる。これは英米では殆ど上がらない声である。まさに「国があなたの為に何が出来るか」を問う国民気質ではないからだ。
こうした文化的違いを念頭に、連邦最高裁判所への意見書を提出した日本政府の『外交』を考える前に、この慰安婦像を巡る裁判と米国司法制度について、簡単に纏めてみる。
まずこの裁判の一審では、グレンデール市が連邦政府に代わって外交を行なう事は憲法違法であるという原告の訴えそのものが棄却され、上告も二度却下されている。同じ裁判を、再び繰り返し審理してはならないという『一事不再審理原則』によって、連邦最高裁判所がこれを取り上げるとすれば、控訴判の手続きに不備があった場合である。そして、これが慰安婦像を巡る裁判である事をわきに置いて落ち着いて考えれば、一度訴えが棄却され、更に二度上告が却下された裁判に、手続きの不備があったとして、連邦最高裁判所で取り上げられるとは、常識的に到底考えられない。
原告側は、連邦最高裁判所がこの訴えを取り上げるか否か、あるいは原告側の主張を認めるかどうかを「米国の裁判所がどれだけ公正に法律の規則に従って判断するかのモデルケースになる」としているが、もしそうであるならば尚更、「外国政府からの要請(圧力)によって、米国の司法が動いた」と見られる行動を日本政府が取った事は、決定的な誤りである。
日本という外国政府による口出しが、米国司法に影響を与えることは勿論絶対にない。もし司法が、外部からの圧力によって特別処置を取るとすれば、それは法治国家ではない。法治国家としての米国司法の威信にかけても、こうした「要請」や「意見書」は、無視されるだろう。
勿論こうした日本政府の行動に影響がない訳ではないが、メディアや反対派は日本政府による司法への介入を厳しく咎め、現在の日本に対する誤解を広める助けとなるだけだ。
意見書提出にせよ、在韓大使を召還にせよ、日本政府とすれば、韓国側民間人の行動に怒りを感じる日本国民への理解や対処のつもりかもしれない。しかしそれならば、2014年から2015年にかけて、産経新聞の加藤記者が韓国政府によって自宅軟禁処分を受けた際に、日本政府が大使召還を決断しなかった理由は何か。大使召還という厳しい外交措置を取りたかったとして、最もそれに相応しく、国際的に理解を得られた機会は、加藤記者の人権が韓国政府によって侵害された際だ。あの時大使召還をしていても、日本の主張を支持せず、韓国政府を糾弾しなかった民主主義国家は無かっただろう。
政府は、国民の感情よりも、国民の人権や権利や報道の自由を守るべきではないか。
自国民の人権や報道の権利が、外国政府によって何か月に渡って侵害されていた際に何もせず、外国の民間が設置したただの像の為に異例な強硬手段を取るところに、日本政府が気にかけているのは、国民の権利や自由ではなく感情であり、名誉といった実態の無いものである事が伝わる。
安倍政権が「ナショナリスト」による政権だという外国の味方が間違っているならば、なぜそういった誤解を受けるのか、自身の行動を振り返るべきだ。